帆が歌つた

帆が歌つた

暗い海の空で羽博いてゐる鴎の羽根は、肩を回せば肩に触れさうだ。
暗い海の空に啼いてゐる鴎の声は、手を伸ばせば掌に掴めさうだ。
掴めさうで、だが姿の見えないのは、首に吊したランプの瞬いてゐるせゐだらう。
私はランプを吹き消さう。
そして消されたランプの燃殻のうへに鴎が来てとまるのを待たう。

ランプが歌つた

私の眼のとどかない闇深く海面に消えてゐる錨鎖。
私の眼のとどかない闇高くマストに逃げてゐる帆索。
私の光は乏しい。盲目の私の顔を照らしてゐるばかりだ。
私に見えない闇の遠くで私を瞶めてゐる鴎が啼いた。

鴎が歌つた

私の姿は私自身にすら見えない。
ましてランプや、ランプに反射してゐる帆に見えようか?
だが私からランプと帆ははつきり見える。
凍えて遠く、私は闇を回るばかりだ。

丸山薫
「帆・ランプ・鴎」所収
1932

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