酸素の希薄な上空に群れ
南へめざす候鳥の飛翔
鳴膜管を秋に鳴らし
本能の焦る方角へ
悲しく鼓翼する
花雲は映えて
微塵は亂れ
空に散る
天末線
落暈
海
・
石川善助
「亜寒帯」所収
1936
指呼すれば、国境はひとすじの白い流れ、
高原を走る夏期電車の窓で、
貴女は小さな扇をひらいた。
津村信夫
「愛する神のうた」所収
1935
私はもう歌なぞ歌わない
誰が歌なぞ歌うものか
みんな歌なぞ聴いてはいない
聴いてるようなふりだけはする
みんなただ冷たい心を持っていて
歌なぞどうだったってかまわないのだ
それなのに聴いてるようなふりはする
そして盛んに拍手を送る
拍手を送るからもう一つ歌おうとすると
もう沢山といった顔
私はもう歌なぞ歌わない
こんな御都合な世の中に歌なぞ歌わない
中原中也
1935
人間のたましひと虫のたましひとがしづかに抱きあふ五月のゆふがた、
そこに愛につかれた老婆の眼が永遠にむかつてさびしい光をなげかけ、
また、やはらかなうぶ毛のなかににほふ処女の肌が香炉のやうにたえまなく幻想を生んでゐる。
わたしはいま、窓の椅子によりかかつて眠らうとしてゐる。
そのところへ沢山の魚はおよいできた、
けむりのやうに また あをい花環のやうに。
魚のむれはそよそよとうごいて、
窓よりはひるゆふぐれの光をなめてゐる。
わたしの眼はふたつの雪洞のやうにこの海のなかにおよぎまはり、
ときどき その溜塗のきやしやな椅子のうへにもどつてくる。
魚のむれのうごき方は、だんだんに賑かさを増してきて、
まつしろな音楽ばかりになつた。
これは凡てのいきものの持つてゐる心霊のながれである。
魚のむれは三角の帆となり、
魚のむれはまつさをな森林となり、
魚のむれはまるのこぎりとなり、
魚のむれは亡霊の形なき手となり、
わたしの椅子のまはりに いつまでもおよいでゐる。
大手拓次
1934
Ⅰ
幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙のようでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰のように散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
中原中也
「山羊の歌」所収
1934
学校の帽子をかぶつた僕と黒いソフトをかぶ
つた友だちが歩いてゐると、それを見たもう
一人の友だちが後になつてあのときかぶつて
ゐたソフトは君に似あふといひだす。僕はソ
フトなんかかぶつてゐなかつたのに、何度い
つても、あのとき黒いソフトをかぶつてゐた
といふ。
立原道造
手製詩集「日曜日」所収
1933
ロシヤ人よ
君達の国では
──たふれるまで飲んでさわいだ(註1)
あのコバーク踊りは、もうないだらう。
だが悲しむな、
ドニヱプルの傍には
君等の心臓は高鳴り、踊つてゐるだらうから、
君等は飛び立つた、夜鶯のために悲しむな、
よし夜鶯はゐなくても
幸福な夜は君等のためにやつてきてゐるから、
君はもつと君等の国のシラミの為めにたたかへ、
それとも君等はシラミ共の
追ひ出しの仕事を
すつかり終つたとでもいふのか、
我々の国では追ひ出しどころか、
我々のところは──シラミそのものなんだ、
いま私の机の上にはロシアの同志、
君たちの優秀な詩人、
ベズイミンスキイと
ジャーロフと
ウートキンと
三人で撮つた写真が飾つてある、
私はいまそれに接吻した、
接吻──それは私の国の
習慣に依る愛情のあらはし方ではない、
東洋では十米突離れて
ペコリと頭をさげるのだ、
貴重な脳味噌の入つた頭を──。
肉体の熱さを伝ひ合ふ握手さへしない、
挨拶にかぎらないだらう、
我々の国ではすべてが形式的で
すべてがまだ伝統的だ、
あゝ、だが間もなく我々若者の手によつて
これらの習慣はなくなるだらう、
しかも新しい形式は始まり
新しい伝統は既に始まつてゐる
我々は目に見えてロシア的になつた、
ザーのロシアではなく
君たちのロシアに──。
ロシア人よ、
私の耳にはドニイブルの水の響はきこえない
きこえるものは我々の国の
凶悪な歌ごゑ叫びごゑだ、
ただ私はドニイブルの水の響を
心臓の中に移したいと思ふ、
私はそのやうにも高い感情を欲してゐる、
君よ、シラミと南京虫のために――、
世界共通の虫のために――、
たがひに自分の立つてゐる土地の上から
共同でこれらの虫を追はう、
ロシア人よ、
君は仕事部屋で手を差出せ
私は私の仕事部屋でそれを握る、
間髪を入れない
同一の感情の手をもつて――、
それはおそらく電気の手だらう、
更に接吻をおくらう、
――人間と鳩とアヒル(註2)の習慣を、
接吻
おゝ、衛生的ではないが
なんと率直な感情表現
もつとも肉体的な挨拶よ、
われわれは東洋流に十米突離れて
たたかつて来たが
いま我々は肉体を打ちつけて争ひ始めた、
我々のところの現実がそれを教へた、
我々はだまつて接近し
君の国の習慣のやうに
我々はかたく手を握り合ふ、
我々もあるひは君等のやうに接吻し合ふだらう、
男同志の、鬚ツラの勝利の接吻
おゝ、なんとそれは素晴らしいことよ。
(註1)ベズイミンスキイの詩『悲劇の夜』の一節、コパーク踊は旧ロシアの農民踊
(註2)『接吻の習慣のあるものは、人間と斑鳩と家鴨だけだといはれてゐる』ヴォルテール
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935
アカシヤの花の匂ひの、
プンと高く風にただよふところに──、
私の姉は不幸な弟のことを考へてゐるでせう
酔つてあばれた
ふしだらであつた弟は
いまピンと体がしまつてゐるのです。
そして弟は考へてゐるのです、
苦労といふものは
どんなに人間を強くするものであるかを。
私は悲しむといふことを忘れました、
そのことこそ
私をいちばん悲しませ、
そのことこそ、私をいちばん勇気づけます
私が何べんも都会へとびだして
何べんも故郷へ舞ひ戻つたとき
姉さん、あなたが夜どほし泣いて
意見をしてくれたことを
はつきりと目に浮びます、
──この子はどうして
そんなに東京にでゝ行きたいのだらう、
弟はだまつて答へませんでした、
運命とは、私にとつて今では
手の中の一握りのやうに小さなものです。
私はこれをじつと強く、
こいつをにぎりしめます、
私は快感を覚えます、
──私は喰ふためにではなく
生活のために生きてゐるのです。
といふほどに、今では大胆な言葉を
吐くことができます、
労働のために握りしめられた手を
私はそつと開いてみます、
そこには何物もありません
ただ憎しみの汗をかいてゐるだけです、
御安心下さい、
私は東京に落ちつきました。
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935