魚の祭礼

人間のたましひと虫のたましひとがしづかに抱きあふ五月のゆふがた、

そこに愛につかれた老婆の眼が永遠にむかつてさびしい光をなげかけ、

また、やはらかなうぶ毛のなかににほふ処女の肌が香炉のやうにたえまなく幻想を生んでゐる。

わたしはいま、窓の椅子によりかかつて眠らうとしてゐる。

そのところへ沢山の魚はおよいできた、

けむりのやうに また あをい花環のやうに。

魚のむれはそよそよとうごいて、

窓よりはひるゆふぐれの光をなめてゐる。

わたしの眼はふたつの雪洞のやうにこの海のなかにおよぎまはり、

ときどき その溜塗のきやしやな椅子のうへにもどつてくる。

魚のむれのうごき方は、だんだんに賑かさを増してきて、

まつしろな音楽ばかりになつた。

これは凡てのいきものの持つてゐる心霊のながれである。

魚のむれは三角の帆となり、

魚のむれはまつさをな森林となり、

魚のむれはまるのこぎりとなり、

魚のむれは亡霊の形なき手となり、

わたしの椅子のまはりに いつまでもおよいでゐる。

 

大手拓次

1934

4 comments on “魚の祭礼

  1. とても気持ち良く読みました。
    現代詩は難しいものとばかり思っていましたが、
    また読んでみようかな、と思いました。

    1. コメント、ありがとうございます。新しい詩の投稿は基本的にほぼ毎日行っていますので、良ければ見に来てください。
      詩人一覧で詩人の生年順に詩を並べていますので、新しい時代のものも読んでみると面白いと思いますよ。

      コメントの際にチェックマークを入れてもらっていれば、投稿のたびにメールが飛ぶと思います。

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