ロシヤ人よ
君達の国では
──たふれるまで飲んでさわいだ(註1)
あのコバーク踊りは、もうないだらう。
だが悲しむな、
ドニヱプルの傍には
君等の心臓は高鳴り、踊つてゐるだらうから、
君等は飛び立つた、夜鶯のために悲しむな、
よし夜鶯はゐなくても
幸福な夜は君等のためにやつてきてゐるから、
君はもつと君等の国のシラミの為めにたたかへ、
それとも君等はシラミ共の
追ひ出しの仕事を
すつかり終つたとでもいふのか、
我々の国では追ひ出しどころか、
我々のところは──シラミそのものなんだ、
いま私の机の上にはロシアの同志、
君たちの優秀な詩人、
ベズイミンスキイと
ジャーロフと
ウートキンと
三人で撮つた写真が飾つてある、
私はいまそれに接吻した、
接吻──それは私の国の
習慣に依る愛情のあらはし方ではない、
東洋では十米突離れて
ペコリと頭をさげるのだ、
貴重な脳味噌の入つた頭を──。
肉体の熱さを伝ひ合ふ握手さへしない、
挨拶にかぎらないだらう、
我々の国ではすべてが形式的で
すべてがまだ伝統的だ、
あゝ、だが間もなく我々若者の手によつて
これらの習慣はなくなるだらう、
しかも新しい形式は始まり
新しい伝統は既に始まつてゐる
我々は目に見えてロシア的になつた、
ザーのロシアではなく
君たちのロシアに──。
ロシア人よ、
私の耳にはドニイブルの水の響はきこえない
きこえるものは我々の国の
凶悪な歌ごゑ叫びごゑだ、
ただ私はドニイブルの水の響を
心臓の中に移したいと思ふ、
私はそのやうにも高い感情を欲してゐる、
君よ、シラミと南京虫のために――、
世界共通の虫のために――、
たがひに自分の立つてゐる土地の上から
共同でこれらの虫を追はう、
ロシア人よ、
君は仕事部屋で手を差出せ
私は私の仕事部屋でそれを握る、
間髪を入れない
同一の感情の手をもつて――、
それはおそらく電気の手だらう、
更に接吻をおくらう、
――人間と鳩とアヒル(註2)の習慣を、
接吻
おゝ、衛生的ではないが
なんと率直な感情表現
もつとも肉体的な挨拶よ、
われわれは東洋流に十米突離れて
たたかつて来たが
いま我々は肉体を打ちつけて争ひ始めた、
我々のところの現実がそれを教へた、
我々はだまつて接近し
君の国の習慣のやうに
我々はかたく手を握り合ふ、
我々もあるひは君等のやうに接吻し合ふだらう、
男同志の、鬚ツラの勝利の接吻
おゝ、なんとそれは素晴らしいことよ。
(註1)ベズイミンスキイの詩『悲劇の夜』の一節、コパーク踊は旧ロシアの農民踊
(註2)『接吻の習慣のあるものは、人間と斑鳩と家鴨だけだといはれてゐる』ヴォルテール
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935