Category archives: 1970 ― 1979

日常

私の所有は
ガラクタばっかりなんだが。
居場所は世間の端っこなんだが。

他人さまの眼からすれば
悪知恵だって
それなりにある。ということであるだろう。

巣箱ほどではあるけれども
あいつの住家
雨漏りにはまだ年月が足らぬ。ということであるだろう。

知人、友人が先立つのに
まんまと生き延びて
老年なんぞ抱えこんでる。ということであるだろう。

孫の二、三人はあるようで
昔話なんぞ反芻して
いい気になって呆けてる。というふうであるだろう。

女友だちも何人かいて
喫茶店あたりで
デイトしてる。といった噂だってあるだろう。

戦争はごめんだ
絶対権力はごめんだなどと
ぶつくさ言ってる弱虫めが。ということであるだろう。

白髪。
残り歯。
白内障。
メニエル氏病や
老齢病。
長寿手帳の無賃乗車証も授かって。
私の非所有は
権威的肩書の類いで。
居場所は現代雑居地。その平均値の揺れ揺れで。

伊藤信吉
「風や天」所収
1979

塩の道

ショッペナシ。
こいつは幼な馴染の叱られ文句だ。

詰らぬ。
意味なし。
余計ごと。
などに通じる批判的訛語といったところだ。

そしてショッペエは塩っぱい。
ショッペナシは塩っ気なし。つまりは味っ気なしの手応え無しだ。

田舎で馴らしたおれの喰べもんは
塩をぶちこめ。
醤油をかけろ。
辛口ミソを存分に。

塩原多助という江戸講談のまじめ人間はいたが
おれの生国に塩の地名はない。
塩の運び路もない。
それに代って
塩っ辛く
舌にこびりついてるショッペエ味覚だ。

そういう風土に味つけされたおれの家内に
医師は言う。
絶対塩分を摂らぬこと。
高血圧に
塩は禁物。
三ヵ月もすれば薄味もおいしい。

そうではあろうが
おれは嫌だ。
これまでつづいたショッペエ家系を。
胃の腑につづく塩の道を。
何でいまさらショッペナシ。ショッペエ暮らしが忘れられるか。

伊藤信吉
「上州」所収
1976

理由

おれの理由は
おれには見えぬ
おれの涙が
見えないように
見ようとしても
眼がくもるだけだ
涙はおれに
物質だすくなくとも。
見ようとすれば
それだけ見えぬもの
そこへ一挙に
理由が集中する

石原吉郎
「満月をしも」所収
1978

夢のなかでだけわたしは
叫ぶことができた
目尻に涙をひきながら

衿をたてて
停車場の角をまがる
するといつも 列車はうしろ姿なのだった

世界がわたしを包んでいるのに
わたしののばす腕は
いつも そのふちにとどかない

世界が あまりうつくしいので
目ざめて わたしは 名を呼べない

もどかしい自転車 だけが
枯れた桑畑の道をはしる

吉原幸子
「魚たち・犬たち・少女たち」所収
1975

世界がほろびる日に

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

石原吉郎
禮節」所収
1974

日曜日

貧しい父は
娘をどこへも連れてゆけず
近くの町の公園で
ブランコに乗せ
倦きるとベンチに並んで
リンゴをむいてやった

肩をよせあう
父と娘に
風は冷たく吹いたが
陽ざしはやわらかく
娘の微笑みが 寂しい
父の気持をなぐさめてくれた

きょう
ブランコをゆすり
高みより微笑みかける
幼い娘はどこの子か
ベンチで微笑みかえす
父親らしい若い男は何をするひとか

からだも弱く辛かったあのころの日々
私のかわいいひとり娘
こころ素直に私は感謝する
生きてきた幸せを
きのうのことのようにおもい浮かべる
遠い日の日曜日の午後

大木実
「夜半の声」所収
1976

くりかえしのうた

日本の若い高校生ら
在日朝鮮高校生らに 乱暴狼藉
集団で 陰惨なやりかたで
虚をつかれるとはこのことか
頭にくわっと血がのぼる
手をこまねいて見てたのか
その時 プラットフォームにいた大人たち

父母の世代に解決できなかったことどもは
われらも手をこまねき
孫の世代でくりかえされた 盲目的に

田中正造が白髪ふりみだし
声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ

自分の腹に局部麻酔を打ち
みずから執刀
病める我が盲腸をり剔出した医者もいる
現実に
かかる豪の者もおるぞ

茨木のり子
人名詩集」所収
1971

吐かせて

くろいくちびる くるほしいくさむら
ちちいろのちぶさ ちのいろのちくび

いろはにほへど nothing
あさきゆめみて nothing!

直立する たての重み
横臥する うすい重み

  ──笑ひ声

撃つ
狡猾の硝煙の にくしみの薬莢の

吐く
胃のなかのにがさ めのなかのからさ

さうして?さうして出かけるの?
やま?それとも水、どこか水?

わたしはただ 月に小石を投げ入れただけ
ぶたの死ぬのをみてきただけです

昨日はあった
今日はあるのか

邪魔な目かくし
ひらひらする手を唇をひっこめて

世界をおくれ
まるごとガブリ

ひっこめないのだなどうしても
よろしい では

わたしは
狂ふ

吉原幸子
「昼顔」所収
1973

新幹線

 満員、一箱丹九十人は乗っている。
 私には始発の岡山から東京まで四時間半だけれど、全部で考えれば平均三百時間以上がこの一箱につまっている。(その時間は殆ど誰も何もできず茫然としている。)
 四千時間ほどの列車がいま夕がたの背高泡立草の黄色な中を走っていく。

永瀬清子
「短章集/流れる髪」所収
1977

蜜はなぜ黄色なのか

蜜はなぜ黄色なのか?
永遠に
瞑想的でなく
愛することもなく
虎のように
フォルムを所有する
秋の青空はあくまで疾走し
眼と眼は暗く
向きあった男と女の立体感覚!
内臓へまでとどく
四つの腕の様式美
求めている森の
紅葉の錦
いま近づけば発火する?
格子を出てゆく金蠅
かくてモノトーンの夜を
なまめかしい水槽で
恋する幽霊
水の回転する泡の苦界の
男声・女声
ながながと哭く老婆
ながながと鳴くウグイス
白地に赤く
燃えるランジェリー
燃えるフロア
コカコーラの壜のうしろの沖を
走るあらゆる船は静止し
蜜のような物質で
徐々に包まれる

吉岡実
神秘的な時代の詩」所収
1974