トラックが来て私を轢いた時、私の口からは「飢えたる魂」がとび出す。私の肋骨からははめられていた格子が解かれて「自由」が流れだす。
トラックが轢かないうちは、それはただの他人とみわけがつかない。
だから詩を書くことはトラックに轢かれる位の重さだと知ってもらいたい。あんまり手軽には考えてほしうない。
永瀬清子
短章集「蝶のめいてい」所収
1977
トラックが来て私を轢いた時、私の口からは「飢えたる魂」がとび出す。私の肋骨からははめられていた格子が解かれて「自由」が流れだす。
トラックが轢かないうちは、それはただの他人とみわけがつかない。
だから詩を書くことはトラックに轢かれる位の重さだと知ってもらいたい。あんまり手軽には考えてほしうない。
永瀬清子
短章集「蝶のめいてい」所収
1977
二人の幻術使いが
向き合って、たがいに印を結んだ。
一人の幻術者の咒文は
相手の天空を地面に引きずり下ろした。
もう一人の幻術者の咒文は
相手の立つ地面をぐんぐん縮めた。
天と地の境いが無くなる。
生きて立つ足場が無くなる。
薄っぺらい一枚の紙型に化した一方の幻術者。
足場が無くなって奈落の底へ落ちていったもう一方の幻術者。
昔の豆本で読んだ
いのちの瀬戸際の作り話である。
幼年の記憶が
老年の私におそいかかる。
私の生活が薄っぺらい紙型になる。
私の生が地上の面積から蹴落とされる。
伊藤信吉
「上州」所収
1976
孤独が 孤独を 生み落す
ごらん
ようやく立てたばかりの幼児の顔の
時として そそけだつような寂しさ
風に 髪なんぞ ぽやぽやさせて
孤独が 孤独を 生み落す
子の孤独が孵って一人旅立つ
親の孤独がその頃になってあわてふためくのは
笑止なはなしである
厖大に残された経文のなかに
たった一箇所だけ
人間の定義と目されるところがあり
<境をひくもの>とあるそうな
ずいぶん古くからの認識だが
いまだにとっくり呑みこめてはいない
それはとどのつまりではなく
そもそもの出発点
もぐらは土のなかで生き
さくらはふぶく
渡り鳥は二つのふるさとを持ち
海はまあるくまるく逆巻かざるをえない
人間に特有の附帯条件もまたあろうではないか
茨木のり子
「自分の感受性くらい」所収
1977
しん 父はは、近親者がそう呼んだ。
しんちゃん 村びと、幼な友だちは村訛りで。
しんこぼたもち 悪態ついた悪童たち。
しんきち 二十歳 徴兵検査官は呼び捨てで。
いとう 二十七歳 特高警察は留置所で。
しんきち 三十六歳 戦時徴用官は権力づらで。
おとうさん 家族たちは暮しの座で。
しんきちさん わかい娘がそう呼んだ。
おじいちゃん、おじいちゃん 孫むすめは遊び相手を呼ぶ声で。
そして、
おれは
おれで、
そんなわけで
伊藤君。
このあと幾つ、私の呼び名は残ってる。
伊藤信吉
「上州」所収
1976
あら あの方がいない
村長さんの娘がいった
忘れていたからだわ
ふたりで肩をすぼめあった
暗い片隅に ギラギラ光るものが二つある
注意してみると
そこに鴉猫が一匹いて
いまにも襲いかかろうとしてみがまえている
あのかたよ
村長さんの娘が叫んだ
小松郁子
「鴉猫」所収
1979
土をほっていました
庭のまんなかに 大きな深い穴を掘ります
弟はものを言いません
わたくしも黙っています
なぜほるの
ともきかなければ
なにのために掘るのか
考えてもみませんでした
弟の額に汗がにじんでいます
わたくしの掌には豆が出来ました
けれど
わたくしと弟は土を掘っています
父を埋めるためかもしれません
弟とわたくしは土を掘ることを
やめようとはしません
やめるのが こわいのかもしれません
虫が鳴いています
小松郁子
「鴉猫」所収
1979
外国に半年いたあいだ
詩を書きたいと
一度も思わなかった
わたしはわたしを忘れて
歩きまわっていた
なぜ詩を書かないのかとたずねられて
わたしはいつも答えることができなかった。
日本に帰って来ると
しばらくして
詩を書かずにいられなくなった
わたしには今
ようやく詩を書かずに歩けた
半年間のことがわかる。
わたしは母国語のなかに
また帰ってきたのだ。
母国語ということばのなかには
母と国と言語がある
母と国と言語から
切れていたと自分に言いきかせた半年間
わたしは傷つくことなく
現実のなかを歩いていた。
わたしには 詩を書く必要は
ほとんどなかった。
四月にパウル・ツェランが
セーヌ川に投身自殺をしたが、
ユダヤ人だったこの詩人のその行為が、
わたしにはわかる気がする。
詩とは悲しいものだ
詩とは国語を正すものだと言われるが
わたしにとってはそうではない
わたしは母国語で日々傷を負う
わたしは毎夜 もう一つの母国語へと
出発しなければならない
それがわたしに詩を書かせ わたしをなおも存在させる。
飯島耕一
「ゴヤのファースト・ネームは」所収
1974
「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。
「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりだという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。
やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。
子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。
中桐雅夫
「会社の人事」所収
1979
ししん しんしん ししん しんしん
ししん しんしん ししん しんしん
しんしん 歩め
きみたち行進する
土偶たち行進する
集まれ波 波うて波
ばらばら波 はがれ波
くだけ波 あられ波
波のない波
地球につもらぬ雪のふるなかを
ししん しんしん ししん しんしん
ししん しんしん ししん しんしん
おこれよ地震
落下傘兵が落下傘を追いかけている
夢の底なんかであるものか
飛行機雲が飛行機を追いかけている
ううん うんうん ううん うんうん
ううん うんうん ううん うんうん
うなれよ 仲間
土偶たち行進する
おれたち行進する
集まれ波 波うて波
はなびら波 ちぢれ波
めがね波 うろこ波
波のない波
地球にささらぬ氷の散るなかを
ううん うんうん ううん うんうん
ううん うんうん ううん うんうん
うめけよ 影たち
落下傘兵が落下傘に追いつかない
夢の底なんかであるものか
飛行機雲が飛行機に追いつかない
はっは はははは はっは はははは
はっは はははは はっは はははは
はきだせ 炎
土偶たち行進する
きみたち行進する
集まれ波 波うて波
糸くず波 なみだ波
まぎれ波 えくぼ波
波のない波
地球に落ちない光りの舞うなかを
はっは はははは はっは はははは
はっは はははは はっは はははは
はじけろ 縄文
落下傘兵が落下傘に追いぬいている
夢の底なんかであるものか
飛行機雲が飛行機に追いぬいている
はっは しんしん うんうん はっは
ししん はっはは ううん しんしん
地球をとりまく 眩暈となって
集まれ波 波うて波
びいだま波 指輪波
ぼたん波 ほたる波
波のない波
波うたぬ波の波のなか
波うたぬ波に波うたせ
おれたち行進する
きみたち行進する
宗左近
「縄文」所収
1979