Category archives: 1980 ─ 1989

最も鈍い者が

言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日

人を教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が
それぞれの分野で生涯を掛けるのではあるまいか

言葉の道に行き昏れた者が
己にかかわりのない人々にまで
言いがかりをつける寒い日

吉野弘
「自然渋滞」所収
1989

或る声・或る音

発車合図の笛が駅のホームに響き
電車が静かに動き出すと
隣り座席の若い母親の
膝に寝かされた一歳ほどの男の子が
仰向いたまま
また、声を発する。
初めは低く
次第に声を高め
或る高さになったところで
そのあと、ずーっと同じ声を発し続けるのだ。
電車が次の駅のホームにすべりこむと
その声は止む
電車が動き出すと
その子は再び声を発し
次第に声を高め
或る高さの声を保ち続ける
母親の膝に仰向いたまま、微笑んで。
──私は気付いた
レールを走る車輪の音を、その子は
声で真似ていたのだ。
発車して、車輪が低いサイレンのように唸り始める
速度を増すにつれて、やや高まり
走行中、唸りは切れめなく続く
その音を、声でなぞっていたのだ。
レールを走る車輪の音に、こんなにも親しく
どこの大人が
声で寄り添ったりしただろう。
電車に乗れば足もとから
必ず湧き上がってくる車輪の音に
私は、なんと久しく耳を貸さなかったことか。
私は俄かに身の内が熱くなり
目をつむり
あどけないその子の声と
その声に寄り添われた鉄の車輪の荒い息づかいを
そのとき、聞いた
聞えるままに、素直に聞いた。

吉野弘
陽を浴びて」所収
1983

青蜜柑

ある日
白昼の昼のプラットフォームに電車を待っていて
とつぜん自分のからだがばらばらに分解するような激動を感じたという
それは一瞬のうちに消えたが
わけが分からず
たいそう恐ろしかったという
そのあとすぐに
かつて覚えたことのない深い疲れが全身に広がっていった
健康に自信を持っていた男だが
ああ、おれは近いうちに死ぬんだな、と思ったそうだ

男はまもなく死病にとりつかれ
あの世に行った
臨終は
すごい苦しみようだったという

同じことが精神にも起こらないだろうか
ある日
べつの男が一人の部屋で青蜜柑をむきながら夜をむかえようとする
とつぜん男の精神がばらばらに砕かれる
落日が
とてつもなく大きく見えてくる
そのあとすぐに暗くなって
男は大きなため息をつく
「地獄へだってなかなか行けやしない」

北村太郎
「ピアノ線の夢」所収
1980

水分について

崖の下で やぶ椿や楊梅の毛根があらわに垂れ下っている場所に湧き水があって 水のカプセルである洞の あのいい匂いは水からのものだとその頃は信じていた。
たしかに水の香というものはあるのだ 断じて無味無臭などではなく。
微量の塩分の臭いは むしろ甘さとして感じられる。鉄分の強い臭いが実際はポンプの錆のせいだった というような間違いは無数にあった。南島の水には大きな雨雲のかたまりの湿った匂いがあった。
どの地方でも 幼い子供を抱き上げると 子供の躰からその土地の水がかすかに匂った。

  *

ゆきおばさんがすき
ゆきおばさんの顔まるいね
そばかす あるのね
ねえ おばさんのにおいかがせて
手のにおい
きもののにおい
お乳のにおい
かがせて!

  *

水分が蒸発してゆくのがわかる。やわらかで無防備な部分からまずかわき 表面が硬化してゆくその時間は思いのほか短い。
急速なかわきがものの内部まで及ぶころ 最初の細い亀裂が一直線に表皮を走る。稲妻のように鋭く。次第に亀裂の溝が楔状に深まるとともに たて よこ ななめ 四方八方へ蜘蛛の巣のように拡がり 表層部分が割れてついに最初のさけ目の深さがものの底部にまで達する。そうなればもういなおるしかない。水仙や薔薇が枯れ花瓶のガラスまでが割れて散らばるが気にはならない。すべての塗料がぺらぺらとまくれ上がって剥がれ 床があお向けに反り返り 戸障子の立て付けが狂う。その頃には天井板の隙間から星空がのぞけるようになる。むろんすべての器具類も同様にすでに破壊されているので使いものにはならないがそればかりでなく いきものそのものも乾燥してゆくのだから全身のヒフが垂れ下がるまでになるのは当然として 骨までもがちぢんでゆくとは知らなかった。 大人は子供の 子供は人形ほどに小さく硬く種子のように凝固し石化してゆくのだ。
こうしてすべてが石化し終わったあと 石そのものも激しく涸き 太い亀裂が走って粉々に割れる。ついにものは水の呪縛から解放されたのだ。もういちど雨季が訪れるまで。

  *

いちど眠ってから 夜ふけにめざめて蛇口をひねることがある。コップ一杯の水道の水がまっすぐに咽喉を下ってゆく。
無味乾燥のその水はどこにゆくのだろうか。
水を飲んだあとに 夢を見ることはない。

新井豊美
「いすろまにあ」所収
1984

風の女

風に吹かれていると
たよりない柳になったようで
いとしさが溢れてくるから
女は愛撫に身を跼め
髪に手をやり うなじをすくめる
捲きあげられるスカートを押え
見えない橇に乗ろうと
永遠にむかって身構える
ずっと遠くへ連れていってもらえば
たぶん願いは叶えられると
まばゆさに 想像の野火を放つ
光のなかにゆらぐ影が
渦をつくり 不確かな形になって 流れ
くずれて 駆けぬけ
樹々の梢をからかったり
枯葉を追い立てて遊んだかと思うと
とつぜん引き払ってしまう
ハルイチバンになる前に
いくども名前が変ったのだ
その土地と結婚するたびに
ハエ ニシ ミナミ と数えてみて
三界に住む家なしと共感する
風が落していった春龍胆の花は青い
手をさしのべて身替りを愛撫すれば
また吹いてくる
常緑樹の葉は厚くて
太陽を照り返して無情にゆれる
やわらかい葉に憧れて
こんどは立ったまま顔に受ける
押されてよろめき
はずかしい姿勢の快感に小さく叫んだのは
盲いた歌
いつのまにか このあたりに住みついていた姿を見せない鬼
日傘は飛ばされてしまった
もともと理性など要らなかったのだと分って女は笑いだす
侮蔑を忘れようと
からかい返すように 誘うように
身もだえて語りかける
応えて また襲ってきたハルイチバンが
高下駄を踏み鳴し
天狗の団扇をうち振って
カラカラと哄笑する
その晩
女は透明になった夢を見る
肉体がないから
いつもより感じやすくて
流浪する風の女は
からだのすみずみを撫でられ
声もたてずに地獄へと昇天する

辻井喬
「ようなき人の」所収
1989

私が豆の煮方を

私が豆の煮方を工夫しこげつきにあわてているひまに
あなたは人間の不条理についてお考えです
私が小さい物たちのあすの運動着のことや
あかいピン止めも買ってやろうかと財布をのぞいて迷っている時
あなたは我々の共通の運命についてお思いなさり
あなたは磁石の接近で一時に整頓する鉄砂のように
すべての事が解決できるとお思いです

私が小さい乳母車を押して
道のでこぼこに行き悩むとき
あなたは力強い回転で雪をはねとばすラッセル車のように
いつも物事を解決される

私のみみっちいのは 女の生まれつきか
腕の力がちがうのか 心の力もちがうのか
それでも私は自分のあり方でしか行けず
私は地面を刺繍するように一歩ずつしか進めない。
きっとあなたは遠い遠いことをお考えなさり
でも私は自分の小さい針で
こころこめて刺すことしかできないのです。

それは不要のこと甲斐のないムダでしょうか
あなたを補ってはいないでしょうか

もしか三月、葡萄の木の根元をたがやし
よい土入れをしてやるように──
そして五月、みのりすぎた実をまびいて
一粒ずつを大事に大きくするように──
熟れゆく葡萄はそのことをいつも喜びはしないでしょうか

永瀬清子
「あけがたにくる人よ」所収
1987

この失敗にもかかわらず

五月の風にのって
英語の朗読がきこえてくる
裏の家の大学生の声
ついで日本語の逐次訳が追いかける
どこかで発表しなければならないのか
よそゆきの気取った声で
英語と日本語交互に織りなし

その若々しさに
手を休め
聴きいれば

この失敗にもかかわらず……
この失敗にもかかわらず……
そこで はたりと 沈黙がきた
どうしたの? その先は

失恋の痛手にわかに疼きだしたのか
あるいは深い思索の淵に
突然ひきずり込まれたのか
吹きぬける風に
ふたたび彼の声はのらず
あとはライラックの匂いばかり

原文は知らないが
あとは私が続けよう
そう
この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして

茨木のり子
寸志」所収
1982

港の人(抄)

なにか滴るような音がする
水だろうか
暗闇にベッドから下りて調べにいく気はしない

水でなければ
なんでありうるか
夢のなかの答えはいくつもある

今日は平穏な一日だった
窓のそとが
うす暗くなるまで雨がふりつづき
風がないのに
夜なかにかけてゆっくりやんでいった

鞍をつかんで
地面を蹴るような思いをしたのは
いつのことだったろう

むろん空は青かったし
水は
そのためにあったようだった
愛する人の体じゅうからあんなに汗がしたたるなんて
思いもしなかった
コップを持っていく自分の指が
とってもあお白くみえた

あれは

そうにきまっている
そうでなければ
なんでありえないか
夢のなかの答えがいくつかあったって
ほかのいろであるわけがない
あしたも
おなじいろの天気であればいい

北村太郎
「港の人」所収
1989

光る魚、百円硬貨がいく枚か

やえさん?でしょう
(レールの)白く光っている川のむこう岸
すこし離れたところに立っているそのひとはやえさん、だと思う
やえさんの
みじかく刈り上げた
ふわふわした銀髪がちらっと見えて
ちいさい足元にまとわりついているちいさい影
(そこ)
(いつか長身のナミザキさんの立っていた場所に近いところ)
ナミザキサーンと呼んだ記憶の
声のひびきが水に落ちた小石
波紋になって音の輪をひろげていった
あかるい水底にやえさん
ではなくナミザキさん
ではない石 白い石がころんと落ちていて
ひかるレールが二本 頭上を走っていった
三十五日前の彼岸の大雪
三十日前の桜の満開
十五日前の八重桜
いまは新緑のまぶしい筒の中を湧き立っている樹々のセクス
こずえの先まで
みずのながれ
みずのながれ

きっと無限のいのちのながれがそこから
光の泡になってはじき出されていて
ぽん ぽん
ぽん ぽん
かるくかるく
やえさん空にかえってゆくのですか

四月二十七日。
 ヨコスカ市に住む八十二歳の江川八重さんは、妹さんの三回忌にひとりで上京。(妹さんのご家族が東京のどこかにいるのでしょう)連休前の混んだ電車の中で外人の女のひとに「ドーゾ」と席を譲られる。
嬉しかった八重さんのはにかんだ笑顔
外人の女のひとの白い肌の笑顔
が市井の 井戸の底にのぞかれるありふれた
ブリキの星々になって

今日の朝刊の、
「声」の、

水底に一瞬
光る魚
百円硬貨がいく枚かサイフからこぼれ落ちていた
腰骨の中に沈んでいる
まあるく硬い金属の冷たさに
指をふれ
ぎざぎざの端をまさぐる まさぐる
(これは手帖、これはシャープペン、これはティッシュ、これは鏡、口紅のケース、封を切っていない手紙、鍵)
掃きよせられた光が
小魚のかたちに群がっている影を踏んで
ドア の黒い鍵穴のひとのかたちへ流れこむ

ひとにぎりのにごりが
しずかに沈殿してゆく

新井豊美
「半島を吹く風の歌」所収
1988

岸辺へ

それは光のように透明で
幻のようにとらえがたく
実態はあっても型を持つことはない
手のひらに掬えばただの水なのに
空の下に置くと
いつの間にかあふれ出ようとしている
近づくと見失うが
はなれているときには
よしきりがキリキリ鳴き
さざ波の寄せてくる水の風景が
ほとんど愛という
至上の言葉に思えたりするから
最初のかなしみに似たその葦の岸辺に
わたしはくり返し戻りつづけるのだろう
某月某日
その河の長い橋を渡り水郷に入る
変貌する町まちの上空を
旋回する白い風も
光る葉先まで ひとり
かえってゆく

新井豊美
「半島を吹く風の歌」所収
1988