風の女

風に吹かれていると
たよりない柳になったようで
いとしさが溢れてくるから
女は愛撫に身を跼め
髪に手をやり うなじをすくめる
捲きあげられるスカートを押え
見えない橇に乗ろうと
永遠にむかって身構える
ずっと遠くへ連れていってもらえば
たぶん願いは叶えられると
まばゆさに 想像の野火を放つ
光のなかにゆらぐ影が
渦をつくり 不確かな形になって 流れ
くずれて 駆けぬけ
樹々の梢をからかったり
枯葉を追い立てて遊んだかと思うと
とつぜん引き払ってしまう
ハルイチバンになる前に
いくども名前が変ったのだ
その土地と結婚するたびに
ハエ ニシ ミナミ と数えてみて
三界に住む家なしと共感する
風が落していった春龍胆の花は青い
手をさしのべて身替りを愛撫すれば
また吹いてくる
常緑樹の葉は厚くて
太陽を照り返して無情にゆれる
やわらかい葉に憧れて
こんどは立ったまま顔に受ける
押されてよろめき
はずかしい姿勢の快感に小さく叫んだのは
盲いた歌
いつのまにか このあたりに住みついていた姿を見せない鬼
日傘は飛ばされてしまった
もともと理性など要らなかったのだと分って女は笑いだす
侮蔑を忘れようと
からかい返すように 誘うように
身もだえて語りかける
応えて また襲ってきたハルイチバンが
高下駄を踏み鳴し
天狗の団扇をうち振って
カラカラと哄笑する
その晩
女は透明になった夢を見る
肉体がないから
いつもより感じやすくて
流浪する風の女は
からだのすみずみを撫でられ
声もたてずに地獄へと昇天する

辻井喬
「ようなき人の」所収
1989

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください