Category archives: 2000 ─ 2009

真珠玉

 バスに乗っていた。
 ぱちぱちと音を立てて、白いものがいくつか、床の上を跳ねた。前の方の席に座っていた女の人が、バッグを抱えて立ち上がり、床へと屈みこむ。
 真珠だ。ネックレスが切れたのだとわかった。意思あるもののように転がる真珠の玉を、その女の人は、伸ばした指先で追いかけた。一つは無事、捕まえられた。けれど、そのあいだにも、他の真珠球は勝手気ままな方向へそれぞれに転がり、遠ざかっていく。
 車内はすいていて、立っている人はほかにはいない。座ったまま、首を下方へ向け、眼だけで真珠を追う乗客もいた。女の人は手すりを握り、からだを半分に折り曲げて、近くの椅子の下も、遠くの椅子の下も、覗きこもうとする。
 「危ないですから席にお座りください」
 運転手が注意した。筆圧の高い人が、ブルーブラックのインクで書いたような声だった。真っ直ぐな、怒っている声だ。注意されて、女の人は元の場所に座った。急いで。でもすごすごと。
 曲がり角に差し掛かると、バスはわずかに傾いた。一粒、転がり出た。高校生くらいの男の子が、椅子から腰を浮かせたかと思うと、真珠を拾って、女の人に手渡す。荷物のなかから、ラケットが飛び出している。テニス部らしい。
 走行中なのに立ち上がったから、また注意されるだろうか。運転手の後頭部を見つめる。潰れた帽子が載っている。今度は、なにもいわれなかった。
 「ありがとう。ありがとうね」
 女の人は頷くようにして繰り返した。大事なネックレスなのだ、ということが伝わってきた。私も、探さなければ。と床から眼を離さずにいるあいだも、女の人は背もたれから背中を離したまま、そわそわと落ち着かない。
 バス停で止まる。一人だけ乗ってくる。車内の出来事を知らない年配の男性。女の人は椅子に腰掛けたまま、その男性のことをじろっと見る。もしも真珠を見つけたら、それは私のだから。というような、強い視線を向ける。瞬間的に。
 発車。流れ去るバス停。窓の外に、酒屋。更地。スーパー。郵便局。あと二つ、三つはあったのに、どこかに引っ掛かったのだろうか真珠は。と、見ていると一粒、白色の光を引いて転がった。
 小学生の女の子の足元へそれは転がり、拾われた。拾うのを見ていて、女の人は首を縦に振りながら、両手を差し出した。道が悪いのか、バスは揺れていた。立ち上がろうとしながら、立ち上がれない。小学生は、揺れがおさまるのを待っているようだった。揺れも避けなければならないが、運転手の不機嫌な声も、避けなければならない。けれど女の人は、待ち切れなさそうな眼つきをしてあたりを睨んだ。あと、何個、落ちたのだろう。
 バスが止まる。降りる人より、乗る人のほうが少ない。小学生は、急いで真珠を渡す。女の人は両手で受け取った。うやうやしく、宝物を受けるように。前髪の短い小学生は、恥ずかしそうにくるっと身を翻して、席へ戻った。
 乗客が入れ替わったので、真珠が落ちたことを、どの人が知っていて、どの人が知らないのか、わからなくなった。出来事を知っている人たちのあいだに漂うのは、緊張、同情、巻きこまれたくない、という気もち。知らない人たちのあいだには流れるものはなくて、それぞれがそれぞれの行き先に心を引かれ、動きを封じられている。石像のように。持ち主の女の人だけがいつまでも落ち着かない。
 降車を知らせるボタンに手を伸ばす。力を持て余した虫のように、ブザーが鳴る。次、降りる。どうなるのだろう。見とどけられない。まだ二つ、三つは転がったはずなのに。白い玉。
 女の人の脇を通ったとき、確かに聴こえた。本物じゃないから、いいか。はっとしたけれど、気づかないふりをして、バスを降りた。靴の周りに影が落ちた。

蜂飼耳
「夜の絵本 ルオーの贈り物」所収
2008

この世の不思議に ── A Love Song

われらふたり
この世の不思議を生きている

われらふたり
この世の不思議を感じあう

われらふたり
この世の不思議を語りあう

われらふたり
この世の不思議を不思議がる

われらふたり
この世の不思議に目覚めている

われらふたり
この世の不思議に慄えはじめる

われらふたり
この世の不思議に觸れる

われらふたり
この世の不思議を抱きしめる

われらふたり
この世の不思議におぼれはじめる

われらふたり
この世の不思議に流されてゆく

われらふたり
この世の不思議に揺すられ

われらふたり
この世の不思議のなかで眠りにはいる

加島祥造
帰谷」所収
2003

「空っぽ」こそ役に立つ

粘土をこねくって
ひとつの器をつくるんだが、
器は、かならず
中がくられて空になっている。
この空の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちやしない。

同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空でなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空いていること、
それが家の有用性なのだ。

これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。

加島祥造
タオ──老子」所収
2000

そのふくふくとしてやらかいもの。

子どもはふくふくとやらかいものをくばるので
ママはわたしをとしょうりのところに連れて行く。

子どもはてぇげぇはんけなので
ぼけたみかんを大わらいして
二つたべて、三つたべて、四つめを半分こしてたべられる。
子どもはこたつの角にさす西日を
きれいと思い、
たいくつを転がして
しかし笑いながら、
指先でその影をなぞってあそぶことができる。

子どもはしわしわの千円札の、
価値がわからなくても、意味を見ることができる。

今日会ったとしょうりが近いうちまるぶのは、
とてもよくあるおはなしなので、わたしは名前をおぼえたりしない。
ママはわたしを色んなとしょうりのところへ連れて行くので、
初めて会うとしょうりに、ぼうくなって、と言われると
その人が知ってるわらいがおになれる気がする。
最後にわたしに会えてうれぇしかったろうあの人は、とママがゆうので
わたしはママの、ありがとうねぇ、ということばだけおぼえて
その人がまるぼことはわすれる。

ふくふくとやらかいものを置いて帰る道で
ママは、としょうりは子どもを見るとうれぇしけだら、とゆうので
ふくふくとやらかいとはわたしのうれしけことと知る。

ママは少し小さくなったので
わたしは左右にゆれながらちぃと大またに歩いて
だからふだんもまっすぐに歩かない。
わたしはママのもってる千円札も
きっとしわしわなんだろうとおもっている。

しかしてぇげぇとしょうりは先にまるばぁんて
時々おもう。ふりかえったら
だれもいない。しかし
だれもいないところから来て、
だれもいないところにわたしは帰ってしまうから
だれもいないのは始めからかと
おもい出して、ママとふたり
左右にゆれて、歩いて帰る。

右手にさっき半分にわったみかんを持っている。
西日のときの影は、長くてあたまはねぇこくて
わたしは影の、あたまの先を
手をのばしてなでてみる。

そのふくふくとしてやらかいもの。

清水あすか
「頭を残して放られる」所収
2006

虫の息

家に一匹の秋の虫が住み着いたらしかった。
五日ほど前から、かすかな鈴の音が聞こえてくる。

最初、仕事で原稿を書いていてその音に気がついた。
り り り り り

規則正しく、金の茶碗を叩いているような、そんな音だった。
どこか外から聞こえてくるのだろうと思っていた。

二階で仕事をして、喉が渇いたので台所に水を飲みに来た。
あの音が、なんだか家の中から聞こえるような気がした。

玄関のあたりで、鳴いているようだ。
見つけようとしたけれど、姿は見えなかった。

翌日も、鳴いている。
鳴きながら家の中をゆっくりと移動しているらしい。
その日は風呂場の方で聞こえた。

その翌日は、二階の天井の方から聞こえる。
仕事をしているとすぐ近くで鳴いているのがわかる。
うんと耳を澄ませて、声のする方を探してみた。

窓のカーテンレールに隠れるようにして、
三センチほどの小さな虫がいた。
双眼鏡で眺めてみると、羽をこすりあわせて鳴いている。
り り り り り

昨日あたりから、一階の居間に移動したようだ。
こたつのある居間のどこかで鳴いている。
冬に近くなると一階は寒いので、私は日当たりのよい二階にばかりいる。
猫も帰ってくるなり二階に飛んでいく。二階は夜になっても暖かい。
虫も二階にいればよかったのに、と思った。

今日、居間で一人でテレビを見ながら夕食を食べていると、
あの、虫が、鳴いていた。
今日あたりは、ひどく弱った声で、緩慢にか細く鳴いている。
り  り  り  り  り

めっきり寒くなった。
虫はもうすぐ死ぬのだろうなあ、と思った。
その、虫の鳴き声は、なんだか、切なくて、
私は「虫の息」という言葉を思い出した。
鳴き声は、声という威勢を失って、
確かに「息」のようにか細くなっていた。
り   り   り   り   り

羽を合わせる力もないでいるのだ。

一人で薄暗い和室の居間にいたら、
なんだか急に怖くなった。

いま、この部屋に いるのは 私と
もうすぐ死んでいく 虫だけなのだと思った
そして、私は、虫の息が絶えるのを、こうして見送るのだろうか

とぎれとぎれになっていくその声が
どうしても 耳を離れなくなって 恐ろしくて
私は 二階に上がってベランダに出てみた
外は秋の雨

この雨の下で、どんなに多くの小さな生き物たちが命絶えているのだろう。
海の向こうに、冬が黒いマントを広げて 立っていた。

田口ランディ
オカルト」所収
2001

皿と魚

さあ務めを果たそう
ここで一日を始めよう

台所のテーブルの上では
磨かれた皿が
乗せるものを待っている
「運命というものは最後は
磨かれた皿の上に乗るんだよ」
何万という群れの中の一ぴき
一ぴきの青い魚の不運を
乗せる皿
花の絵でかざられているその皿を
磨いたのはだれですか?
もう死んでいて キナキナと光る魚
それを料理したのはだれですか?
魚の皿を囲み
みんなでおいしく食べた
きれいにすっかり食べた
不運まですっかりと食べてしまった

さあ務めを果たそう
ここで一日を終らせよう
よごれた皿を洗うのは
だれですか?

山崎るり子
だいどころ」所収
2000

詩を書こう詩を読もう楽しもう

 詩を書こう!と私はあなたに呼びかける。おもしろそう、書いてみようかな、あなたが思った途端、あなたはタモ(小型の掬い網)を持つ人になる。川が足元をさらさらと流れはじめる。あなたはタモを川に差し入れ持ち上げてみる。ほら、何か入っている。ゴミと一緒に小さなチラリと光るものが入っている。あなたはそれを広告の裏や、いらなくなった書類の裏に広げていく。自分という流れの中にこんなに沢山のものが流れていたなんて、とあなたはびっくりする。
 私も長い間詩を書くということを考えもせずに暮らしてきたので、タモに入っていたものを見てびっくりした。そして生まれてからずっと川は流れていたのに、掬ってみることをしなかったことに気づいた。
 詩はいい。掬って並べて、これが詩です、と本人が言えば間違いなくそれは詩だからだ。むずかしい約束ごとは何も無い。「その変なものを詩とは呼びません」などと文句をつける人はだれもいない。流れに立って一つ一つ大事に掬いあげていくたびに、自分というものが見えてくる気がする。それはちょっと楽しい。いくつかたまったら、清書してコピーしてリボンで綴じて友達にあげよう。私も友達からそんな詩集をもらった。それがとてもうれしかったので私も書いてみようと思った。書きはじめたのは四十六歳のころ。タモを持つようになって一人の時間を楽しめるようになった。だから詩はいいよ、詩を書こうよ、と私はあなたに呼びかける。

 詩を読もう!と私はあなたに呼びかける。二十一世紀は詩の時代ですよと強気で話を進めてみる。まずは若者に架空のインタビュー。
「うん、詩って難解だって言われてるみたいだけどそんなことないね。ヘンテコリンなのやゾクゾクするのやいろいろあるもんね。おもしろいよ。僕は今までマンガしか読まなかったんだけどね。詩ってほら、字がかたまっていて白いところがいっぱいあるでしょう、だからとてもいい。リュックの中にいつも一冊入ってるよ」
 ビルから出てきたサラリーマン風の人は、
「ええ、読みますよ。電車の中で読むのに丁度いいんです。自然を詠んだものが好きですね。ページを開くと、さああっと風が吹いてくるような詩。忙しさを忘れさせてくれますね。システム手帳と並んでカバンの中に入っていますよ、ほら」
 子供をだっこしたお母さんは、
「毎晩子供にせがまれて絵本を読んでいるんですよ。子供が寝てしまうと絵本を本棚にもどして棚の隅に置いてある詩集を取り出すんです。そして今度は自分のために詩を読むんです。美しい言葉がカサカサになった心に染み込んでいきます。一日の疲れがパアーっと取れて、私にとっては大事な大事な時間なんです」
 庭で花の手入れをしていた老夫婦は、
「ああ、詩、ね。毎日読んでいます。私達は目が覚めるのがどんどん早くなってきましてね。あまり朝早くからゴソゴソやるのはご近所迷惑かなと思いまして、五時頃目覚めてしまったら布団の中で詩を読むことにしたのです。小説は目が疲れますけどね。詩は大丈夫です。枕元にね、お気に入りの詩集を置いて寝てますよ。人生について静かに考えさせてくれるような詩が好きです。じっくり何度も読み返していますよ」
 ・・・・・とこんなふうに皆が詩を読むようになったらどんなにいいか。いろいろな絵やいろいろな音楽があるように、いろいろな詩がある。いろいろないい詩がたくさんある。あっ私この詩好きだな、というものにきっと出会える。図書館に行って、本屋に出かけて、詩とのいい出会いをしてほしい。学校に通う子がいたら教科書を見せてもらうのもいい。へえ、今はこんな詩が載っているのかと、新しい詩に出会えるかもしれない。あれ、これは私の頃にもあったぞと、なつかしい詩と再会するかもしれない。
 私が中学、高校の時、詩は現代国語の教科書の一番はじめに出ていた。

 小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ

 島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」を子供の教科書で見つけた時、教室の窓から見た淡い色の空が広がった。あの頃の風が吹いてきた。冬の寒さから解き放たれた体と、新学期の始まりの張りつめた心が、新しい教科書の匂いと混ざっていたっけ・・・・・。
 詩とのいい出会いをしてください。
 私はあなたに呼びかける。
 詩を書こう詩を読もう楽しもうよ。

山崎るり子
「月間百科」2001年5月号初出
山崎るり子詩集」所収
2001

父と将棋

わたしの父親は、日曜日の「将棋番組」を欠かさず見るような将棋好きでした。

この父の影響でいつのまにかわたしは将棋を好きになっていたのです。

子供の頃、父と将棋をするときは、もちろん駒落ち。

飛車を落とせば「飛車落ち」、飛車と角を落とせば「二枚落ち」

わたしはこの二枚落ちでよく父と将棋をしました。

大人になってからも、私の将棋好きは変わりません。

多少、将棋の本を読んで強くなったといい気になり

実家へ帰れば、必ず父と将棋を指しました。

しかしまったく勝てません。

 

父は病院で死んだのですが

死ぬ少し前、入院先の病室で、毎日毎日、父と将棋を指しました。

父の病気は治る見込みはなく、長くて一ヶ月

それは父以外、みんな知っていることでした。

病室は三階にありました。

エレベーターを降り、白い廊下を真っ直ぐ奥まで行くと

六人部屋の病室を入ってすぐのベッドに父は横になっていました。

わたしが行くと父はベッドのリクライニングを起こします。

小さなロッカーのようなテーブルの引き出しから、将棋盤と駒箱を出します。

わたしは病院の名の書かれたボロボロの丸椅子に座り、日がな一日将棋三昧です。

 

父は将棋をしながら、将棋の格言のようなことをよく口にする人でした。

「王の早逃げ八手の得」「金底の歩、岩より固し」「桂馬の高飛び歩のえじき」

わたしはその頃、なぜか桂馬が好きで、桂馬をはねることが多かったのでしょう。

「桂馬の高飛び歩のえじき」は、よく父が口にする言葉でした。

しかしわたしが勝つことはありませんでした。

体が衰弱していても、父の思考は至ってまともなのです。

 

ところがある日、これは「勝てるな」と思ったことがあります。

その日、わたしは平手で父と将棋を指していました。

わたしは途中で「勝てるな」と思ったのです。

それからすぐに「おかしいなあ」と

わたしが平手で父に勝てるはずはないのです。

思えば中盤あたりから、父の指す一手一手が、あきらかにおかしくなっていました。

父は、その頃から痛み止めに強い薬を飲んでいたのでした。

そのせいで深くものを考えられなくなっていたのです。

薬が相当強いものだということを、このとき知りました。

そして「この人は死ぬんだな」

そう確信したのです。

あれだけ将棋の強い父が、まるでとんちんかんな手を打って

そのことに、もう気付けなくなっている。

このままいけばわたしは勝てるのです。

そして、わたしがここで勝てば

父は自分の病気の重大さを知ってしまうかもしれない、と思いました。

わざと負けようか。そんな考えが自分の中に過ったとき

勝たなければと思ったのです。

わたしが今後将棋が強くなったとして、その過程に父はいません。

わたしは今日勝とうと思ったのです。勝とう、勝てる、と。

そう思うと、なかなか次の一手が思いつかないものです。

「指す手がないときは端歩をつけ」

むかし父が教えてくれた言葉通り、わたしは端歩(右)をつきました。

わたしがあまり意味のない歩をあげたことで

「なんでまた、そんなとこつくかなあ」と父はため息混じりに言うのです。

この局面で端歩がおかしいことだけはわかるようでした。

こういった状況で、わざと負ける、嘘でもいいから勝たせてあげる

そんなことは承知で、わたしは勝たなければなりませんでした。

父はもうすぐ死ぬんですから

嘘でもいいから治ると言ってあげれば、わざと負けてあげれば

それでも人は死ぬのです。

人は死んでゆくものなんだ、ということを

こうして父と将棋を指すことでしかわたしにはわからなかったでしょう。

わたしは父が死んだあとも生きていきます。生き続けなければならないのです。

 

わたしはいまでも、あの勝負は絶対に勝たなければならなかったと思っています。

しかし、この日もわたしは父に勝てませんでした。

端歩を指した辺りから、なにがなんだかわからなくなってしまい

そのあと十分もしないうちに王手をかけられ、その局面で詰んでいたのです。

わざと負けたのではなく、弱いから負けたのです。

 

その翌々日、父は病室を四階に移され、特別室に入ったあと、すぐに死にました。

将棋好きだった父の棺にわたしは将棋の駒を入れました。

中村葉子
「夜、ながい電車に乗って」所収
2006

贈りもの(古いアルバムからの)

    草原の斜めに傾いた風が

    まばらな樹々と石と岩とところどころの

    土のうえに夕陽をおいてはどけてゆく

    二人をかこんでいる

    風が

    東から吹いてくる少しばかり潮と鳥の

    匂いをさせながら

    二人の手と手に見えない花輪をかけてゆく

            一九七八年一月二十八日

 

古い日付をもつ紙片が

風にめくられて(頁がとぶように)

失われる

 

朝、上着の水滴をはらいながら

雨あがりのひとけない坂道をのぼってゆく

 

ツツジの緑の小径をぬけると

黒い塀の一軒家があって

おはようございます

 

ガラスペンをください

竹の軸、さもなければ

木の軸があります

まっすぐのペン尖、さもなければ

蕪菁のペン尖があります

(ぷっくりとふくらんだ蕪菁のペン尖)

失われた紙片のかわりにゆっくりと文字を

書いてみたいのです

 

さんと出会ったのも雨あがりだった(だろうか)

洋書の紙とインクがすこし黴くさく匂っていた

ほそい鉛筆のようだったさん

それからしばらくして私たちは再会した

渡仏するまでの蜜の様な

濃密な

 

そして私は眠っていたようだ

ジンチョウゲの

悩ましいかおり、さまざまな草の

いきれ

でなしだから

脚や腕をおおきくふって歩いてゆく

風がふくたびに

水滴まみれになる

ねえ、さん

いつからいっしょにいるんだい

さみしい蛇崩の坂道

 

蕪菁のペン尖をつけた木軸に光が射しこんで

ダヴィンチが壁の剥げた漆喰に貴婦人を透視したように

その杢のひとつひとつの屈折に

私の夢のかけらがあらわれては消えてゆく

泡杢のつがって泳ぐウヲの黄金

鳥瞰図法の

アヲ

孔雀杢の微風と愛撫にたふたふ揺蕩ふ黒髪

虎杢の(といっても焔のようにすこしずつ乱れる)

うしろから抱く臀

 

玉杢の

瑠璃も玻璃もいのちの泡も

沸騰する

射干

 

そして私は眠っていたようだ

鬢からいいかおりのするお嬢さん、こちらは黄楊、さもなければ

櫻、さもなければ楓、欅、黒柿

やわらかい木は持つとなじみがいいですし

かたい木はつかえばつかうほどあじわいがでます

アブラ紙につつまれた

慎重にえらんだ木軸とガラスの蕪菁のかすかに蒼い

ペン尖をだいじに握って

水滴をはらい

またはらいながら

私は帰り道をいそいだのだ、いつの日にか

私はゆっくりと文字を書くだろう

古い紙片のように

その文字もまた

風にめくられて(頁がとぶように)

失われる

 

ねえ、さん、雨はもうとうにあがったね

緑は

あざやかだけれど、スズメやヒバリも鳴きはじめているけれど

(まがまがしい蛇崩のまがり道)

どうしてもこの空洞から抜けでることができないよ

 

死にたくなるような朝

まばゆいばかりの

 

朝吹亮二

まばゆいばかりの」所収

2008

新婚旅行

うさを

あけたりしめたりしている

サバ

ふくらはぎ の なめらかな したたかな魚的に白い ふくらみ に

ミスプリント(ジャバと書いてある

何?

ジャワ科 ジャパン科)

のゆかたなど着せて

晴らす障子の うっすラ・イト

お宿のお蒲団 ぬくぬくと 悪気もなく

口をマさぐっては離れ うとう してる

鳩 だまれ

ずっとずっと吸っていたい

就職してるわけでもないのに

朝です、、、と目覚ましに叱られ

避難訓練みいたいなテレビのせわしなく

朝の汁が酸化する

お連れの おんな の かた は

と聞いてくれれば

わたしの妻です

と おんながてら に

かってらに

しとしとやかに

ところが

「その ガイ の 方 は」

と お宿 の おかみ は 尋ねる

「その 外部 の 方 は トーストは

めしあがれますか」  (差別用語を避けているみたいな様子 さすが京都)

納豆 と 言おうとして まちがえたの鴨

それとも時代が変わったの

時代がかわったおんなは みんな偏食視される

たべられますか めしますか めし/あがりますか

おかわり しますか? おかわり ありませんか?

おかわりした おんな かわった おん

この ひと おんな で ね

わたし も おんな で ね

でも わたし たち けっこん してます

けっこん

漢字を間違えて おかみは あわてて洗濯し始める

ぬるぬる と 真っ赤に

選択した 感じ では

なにがなんでも 血痕の疑いを洗い落として

おんな と おんな を

ふうふ(う)と(熱い汁を吹きながら)見なしたくない

たくない

らしい

なにしろ 観光地ですから と

そんな ささなこと を 言い訳にして

 

多和田葉子

傘の死体とわたしの妻」所収

2006