詩を書こう!と私はあなたに呼びかける。おもしろそう、書いてみようかな、あなたが思った途端、あなたはタモ(小型の掬い網)を持つ人になる。川が足元をさらさらと流れはじめる。あなたはタモを川に差し入れ持ち上げてみる。ほら、何か入っている。ゴミと一緒に小さなチラリと光るものが入っている。あなたはそれを広告の裏や、いらなくなった書類の裏に広げていく。自分という流れの中にこんなに沢山のものが流れていたなんて、とあなたはびっくりする。
私も長い間詩を書くということを考えもせずに暮らしてきたので、タモに入っていたものを見てびっくりした。そして生まれてからずっと川は流れていたのに、掬ってみることをしなかったことに気づいた。
詩はいい。掬って並べて、これが詩です、と本人が言えば間違いなくそれは詩だからだ。むずかしい約束ごとは何も無い。「その変なものを詩とは呼びません」などと文句をつける人はだれもいない。流れに立って一つ一つ大事に掬いあげていくたびに、自分というものが見えてくる気がする。それはちょっと楽しい。いくつかたまったら、清書してコピーしてリボンで綴じて友達にあげよう。私も友達からそんな詩集をもらった。それがとてもうれしかったので私も書いてみようと思った。書きはじめたのは四十六歳のころ。タモを持つようになって一人の時間を楽しめるようになった。だから詩はいいよ、詩を書こうよ、と私はあなたに呼びかける。
詩を読もう!と私はあなたに呼びかける。二十一世紀は詩の時代ですよと強気で話を進めてみる。まずは若者に架空のインタビュー。
「うん、詩って難解だって言われてるみたいだけどそんなことないね。ヘンテコリンなのやゾクゾクするのやいろいろあるもんね。おもしろいよ。僕は今までマンガしか読まなかったんだけどね。詩ってほら、字がかたまっていて白いところがいっぱいあるでしょう、だからとてもいい。リュックの中にいつも一冊入ってるよ」
ビルから出てきたサラリーマン風の人は、
「ええ、読みますよ。電車の中で読むのに丁度いいんです。自然を詠んだものが好きですね。ページを開くと、さああっと風が吹いてくるような詩。忙しさを忘れさせてくれますね。システム手帳と並んでカバンの中に入っていますよ、ほら」
子供をだっこしたお母さんは、
「毎晩子供にせがまれて絵本を読んでいるんですよ。子供が寝てしまうと絵本を本棚にもどして棚の隅に置いてある詩集を取り出すんです。そして今度は自分のために詩を読むんです。美しい言葉がカサカサになった心に染み込んでいきます。一日の疲れがパアーっと取れて、私にとっては大事な大事な時間なんです」
庭で花の手入れをしていた老夫婦は、
「ああ、詩、ね。毎日読んでいます。私達は目が覚めるのがどんどん早くなってきましてね。あまり朝早くからゴソゴソやるのはご近所迷惑かなと思いまして、五時頃目覚めてしまったら布団の中で詩を読むことにしたのです。小説は目が疲れますけどね。詩は大丈夫です。枕元にね、お気に入りの詩集を置いて寝てますよ。人生について静かに考えさせてくれるような詩が好きです。じっくり何度も読み返していますよ」
・・・・・とこんなふうに皆が詩を読むようになったらどんなにいいか。いろいろな絵やいろいろな音楽があるように、いろいろな詩がある。いろいろないい詩がたくさんある。あっ私この詩好きだな、というものにきっと出会える。図書館に行って、本屋に出かけて、詩とのいい出会いをしてほしい。学校に通う子がいたら教科書を見せてもらうのもいい。へえ、今はこんな詩が載っているのかと、新しい詩に出会えるかもしれない。あれ、これは私の頃にもあったぞと、なつかしい詩と再会するかもしれない。
私が中学、高校の時、詩は現代国語の教科書の一番はじめに出ていた。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」を子供の教科書で見つけた時、教室の窓から見た淡い色の空が広がった。あの頃の風が吹いてきた。冬の寒さから解き放たれた体と、新学期の始まりの張りつめた心が、新しい教科書の匂いと混ざっていたっけ・・・・・。
詩とのいい出会いをしてください。
私はあなたに呼びかける。
詩を書こう詩を読もう楽しもうよ。
山崎るり子
「月間百科」2001年5月号初出
「山崎るり子詩集」所収
2001
「詩を書こう詩を読もう楽しもう」は山崎さんの許可をいただいた上で掲載しております。
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