Category archives: 2010 ─ 2018 (Current)

抱きしめる

妻を抱きしめると
彼女は年を遡っていく
今日の妻は昨日の妻になり
昨日の妻は一昨日の妻になる
彼女の時間が逆戻りしていく
一年前の妻 二年前の妻
治った傷がまた口を開き
怪我する前のきれいな肌へと戻っていく
三年前の妻 四年前の妻
私の腕の中で目をつむり
血液は逆さに流れていく

私と共に過ごしてきた
長い時間の中で刻まれた
皺の一つ一つ伸ばされていく
結婚したての頃
デートを重ねた頃
妻を抱きしめ続けると
さらに彼女は年を遡る
今とは髪形が違っていた頃
私と付き合い始めた頃
私が妻と会う前の
私が知らない妻の頃
腕の輪の中 とても小さな空間で
妻は時を遡り続け
形を戻し続ける
今の彼女の面影を残しながらも
年の若いほうへと
体も小さいほうへと
私はそれを腕の輪の外から
惑星の一生を巡るように見届けている

抱きしめる妻は
実家暮らしの高校生の頃
あどけない中学生の頃
活発な小学生の頃
私の知らない時代の妻に
留まることなく戻っていく
お花を摘んだ幼稚園の頃
言葉もあやふやな幼児の頃

窓の外では陽が沈みかかっている
古い時計はカチカチと動いている
電灯もついていなくて薄暗い部屋
西日だけが二人を焼く
包み込んで抱いた妻は
音も立てず流れるように
幼く小さく戻っていく
時間と成熟を取り除いていく
幾十年生きてきて
それなりの疲れを宿した私の腕
その中で私の知らない時代へと遡っていく妻は
胎児へと還って
あまりにも小さくなった妻は
人の姿から魚の姿へと変わり
分裂した細胞たちは次々に結合していき
受精卵から精子が飛び出した瞬間
私の腕の中で妻は
無となった

幾十年の年月を
共に過ごしてきた妻は
私の腕の中
そこに形はない
そこに鼓動はない
しかし私は妻を抱いている
無である妻をせいいっぱい
抱きしめている

私が手をほどくと
遡った時間は今の時へと戻ってくる
無から原子を集め 姿を作り
体積を増やして 妻を形成していく
一度はほどかれた時間が
次々に編み戻されていく
そして春風に若葉が芽吹くよう
瞬く間に妻は今の妻へと戻り
つむったまぶたを開けた

幾十年もの間
二人並んで同じ景色を眺めてきたその瞳で
私のことをじっと見つめたかと思うと
「夕飯作るね」と言って立ち上がり
私の腕の輪の中から出ていった

渡辺八畳@祝儀敷
詩と思想」2017年5月号掲載

ある朝にぼくは

ある朝にぼくは
むろんそれはただ
なんのへんてつもない
いつもの朝で

鳥なんか
さえずっていない
都会のマンション
いつものように
マサルとともに
きらく庵
202号で
目を覚ます

あまり眠れなかったけれど
歯を磨いて
ズボンを履いて
作業所に出かけてゆく前のひととき

ぼくにとって残念なのは
ニューヨーク摩天楼の朝でも
浅く長いシエスタのあとの
目覚めでもなく
恋人ととなりあわせの美しい朝でもなく
ガンジスのほとりの
瞑想のあとの時間でもない
なんて
ことではなく

マサルを起こし
1杯15円たらずの
そう濃くはない
コーヒーを入れてやり
ゆうべの悪夢を聞いてやり
自分のコーヒーを入れ
二人分の卵を溶き
ご飯をよそい
みそ汁を注がせ
ときどきマサルの失敗を
笑って叱る
そんな腕のいい家政婦のような朝

なんのことはない
いつもの朝
けれど
もしかあす
ほんとうに

とれない詩の賞の話が
降って沸いて
あこがれのアツコさんが
ぼくを夫に選ぶことを
真剣に考えてくれ
障害者の寄り合いのような
きらく庵を
晴れて
出ることができて
躁も鬱もやってこず
呪文のようなお薬に頼る
必要もなく
月給20万の仕事を手にして
マサルやぼくの病の再発と
きらく庵の
だれかとの
残酷な死別などを
恐れる必要もない
ほんとうに
幸せな
明日が来たら

ぼくは今日の日を
忘れてしまうだろう
花ちゃんののんびりした足音も
アッくんの愚痴と
壁ごしに聞こえる
障害者の限定された苦労話に
そうだそうだと
一緒に腹を立てることも

たとえさまざまな
偶然で与えられたにせよ
用意したご飯を前に
マサルはおごそかなこどもの目になる
ぼくは穏やかな目をした
父親になる
テーブルのあいだに
訪れる
ぼくらの朝の食事の前の
静かな
時間

それがこの世で
二度とない
得がたいときであるように

蛇口からしたたる雫も
ふるえる冷蔵庫のタービンも
笑いとともに
減ってゆくコーヒーや
部屋ぜんたいに広がってゆく
卵の焦げた香りさえもが
特別にかしこまって
神聖な時間であるように思える

いつもの朝のこと

岡田直樹
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

長いつき指

放尿という言葉は
体温のあたたかみをもって
わたしの心を油断させる

あれは
記憶のはじまりに ちかい頃
男の人が
立ったまま用を足すのを見て
わたしにも できる気がした
想像していたようには上手くいかず
こっぴどく叱られた

あのとき わたしが持っていた
猿の手足のような柔軟性
内股をつたう温度は
いつ進化したのか

入院して検査を受けた時
トイレへ行くことを制限された
看護師は慣れたようすで
寝たまま、してくださいね
と言って
尿瓶をおいていった
ただひとつの事に
あんなにも心をしぼられたことはなかった
白くなり黒くなり
暑くなり寒くなった

タオルを絞ると思いだす
ジャムを開けると思いだす
なおらない右手の中指のつき指

してしまったことと
できなかったこととが
入らない指輪のように
時々 わたしの胸をかすめる

あんずの花の色が
月に滲んで沁みだすように
わたしの人間と性が
言うことを聞かずに
ちょっと めくれるのかもしれない

くつずり ゆう
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

ミネラルショップの片隅で。

 色とりどりの美しい鉱物や、原始の姿をとどめたまま悠久の時に身をあずける太古の化石類を所狭しと陳列した、街のミネラルショップに立ち寄る。するとそこに、鯨の耳石と名付けられた商品が置かれている。わずかに反りをもつ姿形の全体をくすんだ暗黒が覆い、わずかにしめやかにつやを帯びている。やや横長にずんぐりとして楕円の形状に近く、内側に大きくカーブする大小の渦巻きの層を刻む。掌に包みこむ。しっかりと重量を保つのがわかり、静謐がひんやり染み込んでくる。

 鯨類に属するものには、エコーロケーションとよばれる超音波による周辺情報の把握や餌の採取、仲間との意思疎通を行うものたちがいて、音の受動と伝達は骨伝導によるという。耳の穴はふさがり耳殻も持たないとされる。いつしかわたしは想像の川をくだりながら、彼らはいったいどんな会話を行っていただろうかと、やがて思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。

 きこえというものが鈍かったらしい。物心ついたころすでに耳鼻科に通院していた。高校に上がり大学病院に行き、精密検査を受けたところ、わたしの左耳には聴力がなかった。断続的に流される微細な機械音を聞き取り、手元の丸いボタンを押せば大きく右へぶれるはずの検査機器の針は停止したままだった。
 現代医学では不可能
 大きな音は避けるように
 医療は日進月歩だから と、わたしを見て医師が言った。
 残る右側を大事にしながら治療が可能になる日を待つ。そういうことだった。

 慰めや同情。そうした人に備わる諸々の感情は大事だ。たとえ意味の裏側を伝えるため、そのようなものだとしても。言いあらわすことの、言いつくすことのできない、───はりついたままの沈黙、とともにわたしは今も海原をめぐりつづけている。変わらず止むことを知らない喧騒のなか。

湯煙
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

不眠

二段ベッドは重ねた柩
低いほうは地に潜り
高いほうは宙に浮き
あいだに軋む水の音
これはただしい比喩?
それともまちがった比喩?
六月の夕暮れというのに僕は
上段ベッドに浮いたまま
胸のうえで両手を組んで
背筋をのばして目を閉じていると
このまま眠ってしまうのがこわくって

冷たい手が置かれる
熱い頬のうえに
叫ぼうとして
声が出ない
ただ吐く息が
天井と口のあいだで膨らんで
膨らんで
鼻と口をふさぐから
息がくるしくて動けない

きょう僕が授業中
ノートに夢の続きを描いていたら
隣の女子に見られてしまって
ハッとして目が合ったそのときの
怯えた顔が忘れられない
だから明日にはもう
僕はここにはいない
きっと今夜のうちに死ぬだろう
死ぬときはせめて
頭の芯がじーんと痺れて
そのまますべてを忘れるくらい
新鮮な瓶づめオキシドールを
胸いっぱい吸いこみたい

それから僕はあの森へ行く
森でしか会えない姉がいる
木立のとだえた日だまりで二人
蝶にたずねて野花を数える
シロツメクサ、ツユクサ
シシウドを這うカイツムリ
ところで姉はいつもこんなに白いワンピースで
夜のあいだはどこでなにしているんだろう
草むらに並んで寝ころびながら
いつも聞けずに横顔をのぞき見てしまう
「眠れないの? 目の下が蒼いよ」
「さむいな、ちょっとどっかへ行ってたみたい」

まぶたを開けたらまっくらだった
ベッドから降りて
キッチンへ水を飲みにいく
窓をあけると雨の匂い
暗闇のなか音もたてずに
水のとばりがじっとりとけぶって
重たい空気が押しよせる
これでやっと眠れるとおもう
ここは三階建十八世帯の棲む官舎
いまも柩のなかで水につつまれている
僕より年下の子どもがいて

きっと明日は
南岸の海のほうから晴れてくる
濡れた坂を
見知らぬ父さんが上ってくる

浜田優
生きる秘密」所収
2012

道へ

それぞれのはじまりについて、わたしはなにもしらないが、はじける泡の生じるさまを眺めるくらいはしていたはずだ

(星々の獣道)にたって、草木の靡くのに耳をすませていたのだったか、蜜蜂や蝶の描くおぼつかない風の起こりを嗅いだのだったか、いずれにしてもこまかな粒のその内側へ、封じられた声を辿って虹はたなびき、いや、蛹や繭が雨露のあたたかさに揺すられたのか

やがて櫻の葉のふちに指をそわせ、蟬が啼くのにくすぐられた胸に、桃や枇杷の種を宿す

鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、乾いた土が濡れるのはただ、紙片がめくられつづけるからだ

狸を見たか
はたして陽炎が産毛に抱かれる日に
かれらの瞳は走ったか
笹笛をさずけて

まりにゃん
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

広島

娘の仮住まい
四畳半の離れで泣いている
さっきまで笑っていた
明かりが消え
向こう向きに横たわったまま
肩をふるわせ
それでも最後まで観るのだというように
テレビの画面は進行していた
森繁の演じる「恍惚の人」

午後には殺虫剤を抱いて
部屋のあちこちから湧き出るという
黒い虫と戦っていた
朝には
メモをとらせて
遺言を語り

花の終わった桜の土手
震えのやまない母とあるく
京橋川に架かる吊り橋
数歩歩いては立ち止まり
かすかな揺れに驚いて
幼子のように笑った

    *

いつか「ソフィーの選択」を観た
ナチの死の扉に
どちらか一人を迫られて
咄嗟に娘の背を押し
息子を抱いた

そのように
他国の背を押す
過去の一ページ
広島を福島を忘れる

    *    

広島が好きだ
水は大きく空を映し
路面電車の窓から街はおおらかに広がり
むすめたちはよく笑い美しかった

瀕死の床から母が生還し
私が初めて詩を書くことを知った場所

母の傍らで母の詩を書いていると
「そげんあたまをつこうたらいかん」
と何度も何度もいまも

fiorina
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

近所のコンビニで働いているずるぷかる君がどこの国から来て、何でコンビニで働くことを選んだのか考えるために、今日もそのコンビニに煙草を買いに行くけれどずるぷかる君はいなくて、新顔で中国から来たと思われる店員が働いていた。コンビニでしか会えないずるぷかる君がコンビニにいない時、君が何をしているのかを知る術はない。
母は「私はホタル族だから」と述べた。夜、ベランダで煙草を吸う人をホタル族と言うらしい。一時だけ放たれる光は母の手元から生まれたものだ。その光を頼りにする虫もまた夜になるまでどこで眠っていたというのだろうか。
パソコンの容量を空けるために様々なフォルダを開いた。気づかないうちに何層もの階層が用意されており、その奥へ奥へと辿ってゆく。その中で「兄より.txt」というファイルを見つけた。一時期だけ兄にパソコンを貸していたことがあって、ファイルは2013‎年‎12‎月‎10‎日、‏‎23:15:53に作成されていた。パソコンを貸したことへの感謝と家族への心配と、最後に、これらのことを口頭で伝えることへの照れくささが述べられていた。
そう言えば、兄を想って作った詩を乗せた同人誌を「とりあえず、これ」とか渡したことがある。「弟は兄の真似をすることしかできない」とかそんなことを書いた気がする。そうか、同人誌を渡した時の心境もまた「兄より.txt」を残した兄の心境の真似だったのかと2017年7月15日になって気づいた。この時、隣の部屋に兄はいなかった。
初めて家族の前で煙草を吸ったのは、2015年1月に沖縄へ家族旅行に行った時のことだ。煙草を吸っていることを家族に知られてはいたが、その姿は見せないようにしていた。だけど、旅行ともなればいたしかたなく、母親に薦められたものだから、なおいたしかたない。おそらくあれが最後の家族旅行となるのだろう。約15年の時を経て、沖縄に戻ったあの旅行が最後の家族旅行となるのだ。
ずるぷかる君にはわからないだろう。僕がいつも「49番を2つ」という時の震えがわからないだろう。それと同じように僕は、ずるぷかる君がどこの国から来て、何でコンビニを働くことを選んだのかがわからない。
一つだけ教えるとしたら、煙草を吸い始めたのは少女との約束を守るためだったこと。だから、僕と結婚する人にお願いしたいのは、僕の喫煙を辞めさせて欲しい。そうすれば少女との約束を破れるから、奥さんと子どもを沖縄旅行へ連れて行こうと思う。その時、右手に握られているものが何であるかを今は知る由もないのだ。

「弟より.txt」
今日、知り合いから「深夜高速」という歌があることを知らされました。サビは「生きてて良かった」が繰り返され、「そんな夜を探してる」「そんな夜はどこだ」と繋がります。これは、歌手自身が「生きてて良かった」ことを探すのですが、「生きてて良かった」のは何も「私」=「歌い手」だけではないんだと思います。僕はそんな夜をもう見つけています。だから、僕はあなたにこの歌を聞かせたいのです。どっかの歌手が歌っているのではなく、精一杯僕があなたに歌いたいと思います。「生きてて良かった」と。

なかたつ
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

故郷の河・東京・兄の内妻

 時間的距離、その奥行きのパース。消失点は、笑う人の笑いにある。僕の表情は今、そこに合わせて微笑している。黄変した山肌を遡る視線の先、峰の尾根筋で大きな発電用風車十機程が、列を成して回っている。風は午後の日を傾けて早くも白く、風車の長い強化プラスチック製ブレードもことさらに白い。
 雲。寒の青い空に孤立するいくつかの雲塊。雲は輪郭のほつれた低密度の立体で、常に高さを内包している。佇まいが「希望」に似ているのだ。そういう類似だけが、ある時は人にとって雲の存在意義である。雲自体にとって、雲であることが存在の様態の一局面に過ぎないことは自明であるとしても。
 歩をとめてみると足下の雑草も去年の今頃と同じように、びるびる音を立て風に吹かれている。ただ吹かれている。
 去年の今頃。東京の兄が違法薬物の摂取で錯乱して入院し、一緒に暮らしていた女性が自殺未遂の後行方不明になっている。彼女とはそのふた月前、兄を訪ねた折に一度だけ会った。つやのある黒髪と長い首が印象的だった。美しい唇がつうっと上下に割れて僅かに白い歯を見せてくれていた。「皓歯」といい「明眸」というが、目の辺りの造型は既に記憶の空白部となっている。
 顔の下半分だけに残る音のない笑い。
 そこで彼女についての記憶は消失している。何を話したのか。どこでどう別れたのか。浅草の古い雑居ビルの屋上。十二月の初め、曇天。低い鉄柵の向こう側では、くすんだ白や灰色、茶色、焦茶のコンクリート建築が無秩序に錯綜し、文字と図像を混濁させた看板や広告塔が散らばっていた。大通り。路地。建築の隙間から漏出する不定形の気配。それが走る自動車だったり、あるいは歩く人々だったりする。僕が不在である世界は実在するのだと、初めて実感として知った。
 あれから東京に行ったことはない。兄の病院にも顔を出していない。一度会っただけの女性のことはもともと何も知らない。知らされていない。母から名前を聞いたことはあるが、忘れてしまった。僕にとって彼女はひとつの表情だった。跳躍するプロミネンスが悉く鎮火し氷結すると、太陽は表情を変えて月になる。生死も判然としない、知らない女性の微笑が、今、故郷の河の土手から見る丘陵の尾根筋に昼間の月として淡く輝いている。
 僕に関係のない世界の、僕に関係のない生命体が、僕の知らない場所から僕の情欲を支配する。とても心細い。
 人間や人生の核心というべきものは僕から逃げ出し、世界と僕との間に成立した虚構の時空間を途方もない早さで移動している。傷病や死の苦痛が僕という個体を鷲掴みにする前に、僕は逃げたものを捉えなければいけないはずだ。が、それはとうに諦めている。僕を巡る公私の時間的領域が急速に消費されているのがよくわかる。
 短い枯れ草が足下で風に揺れる。堤防の上から振り返り見慣れた河を見る。広大な磧、白く乾いた丸石の堆積する向こうに、冬枯れの細流が幾筋かに分かれながら光を反射している。中学生だった時、増水して鉄橋を流した故郷の河が、今は何事もなく流れている。
 決定的な天変地異は、まだこれから起こるのだが。

右肩ヒサシ
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

文法のいない朝

言葉の迷路は暗くて長いから
文法と友好条約を結ぶことにする
文法はわたしよりずっと背が高い
力を合わせたらいいだろう
昔の敵意を忘れようとして
握手するとき わたしたちの手が
小人と巨人の手に見える

話の口火を切るのは文法
不信を抱いたまま
わたしたちは簡単な会話を交わす
そして 何度も右に曲がったり
左に曲がったりしているうちに
いつのまにか道案内を
文法に任せている

ある日起きたら 文法はいない
いつもより明るい朝に導かれて
探すが見当たらない
仕方がなく一人で歩き出す
暫くして 文法はまた現れる
肩を並べて歩くと 二人とも
同じ身長になっているのに気づく

文法のいない朝が多くなると
わたしの疑いが少しずつ膨らむ
文法は力強い外形を失って
時間が逆戻りしているように
声が高くなって 筋肉が溶けて
わたしのとなりに少年が残る
言葉を交わさない日々が増える

いま 文法は既に幼児
すぐ 歩けなくなる
言葉は喃語になりつつ
迷路を進むのはもう
わたしの責任になった
地図もコンパスもないが
朝がもう眩しくなっている

光に導かれて 近いうちに
出口が見つかるだろう
そして そのとき
わたしは言語の迷路から
誇らしげに出るのだ
むかし文法だった胎児を
身のうち深く宿しながら

ジェフリー・アングルス
わたしの日付変更線」所収
2011