Category archives: 1990 ─ 1999

伝言

ときどき
会社にいくのがいやになるから
いかないんだ
ベッドにひっくりかえって
ちりぢりばらばらの
友だちのことなんかかんがえている
ひとりで笑って
あれこのまえおれが笑ったのはいつだっけ
なんてかんがえたり
へんだろおれって

でも半月もぼんやりしてるとさ
金もなくなる食いものもなくなる
じゃかすかのびるのはひげばかりで
しかたがないから近所の
コンビニエンスストアでアルバイト
いがいと評判がよかったりしてさ
おれもはりきって あーあくたびれた
今日は帰るか なんて大声でいってみたり
へんだなおれって

まえの会社は病欠っていうのかな
月にいちどは電話があるんだ 母のところに
母はおろおろしているけれど
おれはなんだか筋肉がついちゃったし
背丈までのびたみたいだ
もちろんおれは書くのは苦手だから
何といったかな あの生涯ヒラ社員の
(子使いさんを夢みるひと)
に頼んで書いてもらう
おれの名前は出さないそうだけど
これ おれなんだ わかるかな

辻征夫
河口眺望」所収
1993

見知らぬ子へ

何だかとてもおこりながら
すたすた歩いて行くおかあさんのうしろから
中学に入ったばかりかな? 女の子が
重い鞄をぶらさげて
泣きながらついて行く

ときどき振り向いて
いいかげんにしなさいと
おかあさんは叱るけれど
悲しみは泣いても泣いても減らないから
やっぱり泣きながらついて行く

あんなにおおきな悲しみが
あんなにちいさな女の子に
あってもよいものだろうかと
とあるビルからふらりと出て来た
男のひとがかんがえている

そのひとはね ちいさいときに
とても厳しいおかあさんがいて
男の子は泣くものではありません! て
あんまりたびたび叱られたものだから
いつも黙っている 怖い顔のひとになっちゃったんだ

そのひとは(怖い顔のままで)
きみのうしろ姿を見ていた
それから
黙ってきみに呼びかけた
振り向いて ぼくを見てごらん!

涙でいっぱいの まっ赤な眼で
もちろんきみは振り向いて
黒々と立っている 見知らぬひとを見たのだけれど
そのひとが 黙ったまま
こう言ったのは通じただろうか

もうだいじょうぶだよ
なぜだかぼくにもわからないけれど
きみはだいじょうぶだとぼくは思うんだ
でも泣きたいときにはたくさん泣くといい
涙がたりなかったらお水を飲んで

泣きやむまで 泣くといい

辻征夫
鶯─こどもとさむらいの16篇」所収
1990

ライ麦の話

一本のライ麦の話をしよう。
一本のライ麦は、一粒のタネから芽を出して、日の光りと雨と、風にふかれてそだつ。ライ麦を生き生きとそだてるのは、土 深くのびる根。一本のライ麦の根は、ぜんぶをつなげば600キロにおよび、根はさらに、1400万本もの細い根に分かれ、毛根の数というと、あわせてじつ に140億本。みえない根のおどろくべき力にささえられて、はじめてたった一本のライ麦がそだつ。
何のために?
ただ、ゆたかに刈り取られるために。

長田弘
心の中にもっている問題」所収
1990

イノセント

為るたびに
ぴったりくる
いいと思う

合うのか
合わせるようになったのか
良さも解って
むしろ素朴な格好で
おつかいに行くように
慣れてゆく
一線を超えることに

とりあえず死ぬわけじゃなし
冷静に見上げればこの雲もまた
四季のひとつ
七十五日なんてすぐ
直におさまる
ジキ と頷けば
いい人 から降りてしまえば
雲を躱して
かるがると
月は昇る
ちょっと明るくなる

価値観は相似だし
深呼吸したら元気もでて
しみじみ今夜も二人して
月の下 まるまると
無罪である

佐藤正子
人間関係」所収
1994

必需品

屋根 壁 窓 ベッド
パン 水 トイレット

書物はいらない
世界は小さな窓から眺めるだけで充分

電話 ぼくの詩集 テレビ
そんなものはいらない いらない

いらないから備えている
銀行の口座番号は原稿用紙に印刷しておく

老人老婆 小児 妊婦 青年
見ただけで気持が悪くなる

鏡を見れば
あらゆる人間が登場する

それで
猫は鏡を見ない

鏡には星空と海と砂漠が写っていればいい
そんなことを思いうかべるのは森の中

裸体の若い女性には興味があるが
裸体の思想はワイセツだ

人が通りすぎる
人が街角で消える

そんな瞬間 ぼくは死んだ人間に出会う
ぼくは不定型の人間になる

今日の必需品
ヒゲ剃りとパジャマ それに
ワインの赤 一本

田村隆一
「ハミングバード」所収
1992

おけら

帰るつもりだった
この急な坂を上って右に曲れば
見なれた狭い通りに出る
ところが道はゆき止りで
よその家の庭のようなところに出てしまった
あきらめて坂を降りて左に曲った
裏をかくつもりだった
そこは広い辻で
人はいなかったが犬がなんとなく歩いていて
どこかで鉦を叩きながら経を誦む声がしていた
誰かが私を窺っているような感じがあった
どうもにんげんではないらしい
また引き返したが焦りはじめていた
僕にはまだすることがたくさんあるのに
いつまで経っても家に着けないのではないか
とても身近に題材をとった詩を書く気分ではなかった
それは僕が俗物だからだろうか
それとも才能の問題だろうか
あたりには明るさが残っていて
こんな夢をみたことがあったのを思い出した
その時 誰かが隠れた
こんどはにんげんだ
路地の入り口を素早く雀蛾のように横切って
かどの格子がはまった家の二三軒先に消えた
近寄ってみようとした時
何者かが僕より先にその後を追って駆けていった
辻にはざわめきが満ちているのに
はっきりした物音はひとつもない
こんなことになってしまった発端を一所懸命に考えた
僕はどこから来たのだろう
ほんとうに家に帰ろうとしていたのだろうか
そうだ と本人が考えるのだからそのはずだが
現実はそうはなっていない
こんな思いにたくさんの人が耐えてきたのだろうと
焦りから自暴自棄に傾く心を押えて
踏みとどまったのは理性と呼ばれる心の働きか
えらい人が恥し気もなく教えた人生訓の杖が
広場と呼んでもいい辻のあちこちに落ちていたが
僕は疲れていてからだを跼めるのも億劫だった
いつかは今の辛さもいい思い出になるだろうか
そう考え直した時 仄暗い空間に白い百合が見えた
花は地面から逆に地中に伸びた茎の先で咲いている
小さなもぐらに似た虫が土を掻き出して
けなげにも花を守っている
逆冨士というのは聞いたが
逆百合というのははじめてだ
そんな光景は狂った末の諦めが創り出したのか
想像力が大切と誰かが言っていたが
たしかに以前は辻にいつも人が群れていて
物売りの呼び声も男と女の愁歎場もあった
そこでは一日ずつ遅く五月六日には菖蒲
九月十日には菊が薫ったのだ
その前を帽子に手を当てた紳士
重い荷を背負った中年の男
それに顔役やチンピラ 子供も通っていて
バスを待つ勤め人は新聞を読み
そのうしろで理髪店のねじり棒が
どこまでも上昇を続けていた
幻の天へ 存在しない権威を探して
僕は何をしにここに来たのだろう
きっと何かを探しに
犬も歩けば棒に当るというから
あるいは恋人に会いに
でも本当はそれも不確かなことだ
とうとう帰るのは諦めて
そっと傍らの深い穴を覗いてみた
底の方には水が溜っていた
その時 僕の背中には短い翅が生えはじめ
ああなんていうことだろう
水に映る顔はいつのまにか螻蛄になっていたのだ

辻井喬
わたつみ・しあわせな日日」所収
1999

倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木のり子
倚りかからず」所収
1999

耳たぶにときたま
妖精がきてぶらさがる
虻みたいなものだが 声は静かだ
(いまなにをしているの?)
街に降る雨を見ている
テレビは付けっぱなしだが
それはわざとしていることだ
だれもいない空間に
放映を続けるテレビ
好きなんだそういうものが
(それでなにをしているの?)
雨を見ている
雨って
ひとつぶひとつぶを見ようとすると
せわしなくて疲れるものだ
雨の向こうの
工場とか
突堤の先の
あれはなんだろう
流木だかひとだかわからない
たとえばああいうものを見ながら雨のぜんたいを
見ているのがいちばんいい
そういうものなんだ 雨は
(むずかしいのね ずいぶん)
何気ないことはなんだってむずかしいさ
虻にはわからないだろうけれど
(妖精よ あなたの
雨の
ひとつぶくらいのわたしですけど)

辻征夫
河口眺望」所収
1993

学校

ゆうべからおなかが痛くて
医者へ行くから今日は休むと電話をかけた
もちろんおなかは痛くないし医者にも行かない
わたしは教師だが教師だってときには
学校なんかに行きたくない日があるんだよ
だれも私を(ぼくを/おれを)わかってくれない?
あたりまえじゃないか
ひとの内部ってのは やわらかい 壊れやすい 暗闇だから
無闇にずかずか踏み込んではいけない
それが礼儀なんだよ
それくらいのこともわからないぼんくらに
(きみの気持ちはよくわかるけどね)
そんなことまでいうんだわたしは
あああなんだかほんとうにおなかが痛んできたよ
だんだんずるやすみではなくなってきたみたいだけど
とにかく今日は行かないよ
ぜったいに行かない 登校拒否だ
そう決めたんだわたしはって
こういうところは子供のときと同じだなあ
おさなごころって
こんなところに残っていたんだ
あとで女房に話してやろう
女房のおさなごころはなへんにあるか 臀部か
と考えていると娘の部屋で物音がした
とうに学校へ行っていなければいけない時間なのに
どうしたのだろう
なになに ゆうべ遅くまで勉強したので起きられなかった?
今日は行きたくないから電話をかけて?
やだなあ
やだよ

娘と二人で散歩に出かけた
ちょっと近所のつもりが電車に乗って
郊外の川原に来た
変な気持ちだがいい気持ち
ぼんやりしてたら娘が言った
おとうさん?

なあに?

あしたは学校へ行く?

どうしよう

行けば?

うん

辻征夫
萌えいづる若葉に対峙して」所収
1998

火を焚きなさい

山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい

少しくらい煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そうしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか —
背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる
夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ
不思議の時
火が 永遠の物語を始める時なのだ

それは
眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものでもない
お前達自身が お前達自身の裸の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議の物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持で 火を焚きなさい

人間は
火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

山に夕闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色の神殿から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい

山尾三省
びろう葉帽子の下で 山尾三省詩集」所収
1993