一本のライ麦の話をしよう。
一本のライ麦は、一粒のタネから芽を出して、日の光りと雨と、風にふかれてそだつ。ライ麦を生き生きとそだてるのは、土 深くのびる根。一本のライ麦の根は、ぜんぶをつなげば600キロにおよび、根はさらに、1400万本もの細い根に分かれ、毛根の数というと、あわせてじつ に140億本。みえない根のおどろくべき力にささえられて、はじめてたった一本のライ麦がそだつ。
何のために?
ただ、ゆたかに刈り取られるために。
長田弘
「心の中にもっている問題」所収
1990
一本のライ麦の話をしよう。
一本のライ麦は、一粒のタネから芽を出して、日の光りと雨と、風にふかれてそだつ。ライ麦を生き生きとそだてるのは、土 深くのびる根。一本のライ麦の根は、ぜんぶをつなげば600キロにおよび、根はさらに、1400万本もの細い根に分かれ、毛根の数というと、あわせてじつ に140億本。みえない根のおどろくべき力にささえられて、はじめてたった一本のライ麦がそだつ。
何のために?
ただ、ゆたかに刈り取られるために。
長田弘
「心の中にもっている問題」所収
1990
長田弘さんの詩を読むと、情景描写だけではない、うっすらと残酷な現実を垣間見させてくれるような気がします。どこか、グリム童話にも似て「よかった、よかった」で終わらないものを提示しているように思います。これは異化作用と言ってよいのでしょうか。