Category archives: 1910 ─ 1919

ある街裏にて

ここは失敗と勝利と堕落とボロと

淫売と人殺しと

貧乏と詐欺と

煤と埃と饑渇と寒気と

押し合ひへし合ひ衝き倒し

人人の食べものを引きたくり

気狂ひと癲癇病みのやうな乞食と

恥知らずの餓鬼道の都市だ

やさしい魂をもつたものは脅かされたり

威かされたりして

しまひに図図しい盗人になるのだ

肺病やみや伝染病者や

生涯どうにもならないものらまで

這ひまはつて うじのやうに

その黴菌をふり散らして歩くことにより

自分の瀕死的な境遇の仇を打つところだ

女は無垢を破られたり

金に売られたり

畜妾や 畜生同棲や

師匠の妻をたぶらす子弟や

ここに正義も人道もない

下劣な利己主義者の群があるばかりだ

又すべての芸術志望者らの虐げられた生活は

極貧とたたかつて

ただ一本の燐寸のやうに瘠せほそつて

餓鬼道のやうに吠え立つてゐるところだ

空気はいつも湿け込んで

灰ばんでゐるのであつた

人間の心を温かにするものは無く

又不幸な魂を救ふべきことも為されてゐない

みんなはありのままに

ありのままなのら犬のやうに生きてゆく

 

室生犀星

愛の詩集」所収

1918

君は知つてゐるか

全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜びを

赤ん坊が乳を呑む時、涙ぐむやうに

冷たい飯を頬張ると

餘りのうまさに自ら笑ひが頬を崩し

眼に涙が浮ぶのを知つてゐるか

うまいものを食ふ喜びを知つてゐるか、

全身で働いたあとで飯を食ふ喜び

自分は心から感謝する。

 

千家元麿

自分は見た」所収

1918

初めて子供を

初めて子供を

草原で地の上に下ろして立たした時

子供は下ばかり向いて、

立つたり、しやがんだりして

一歩も動かず

笑つて笑つて笑ひぬいた、

恐さうに立つては嬉しくなり、そうつとしやがんで笑ひ

その可笑しかつた事

自分と子供は顔を見合はしては笑つた。

可笑しな奴と自分はあたりを見廻して笑ふと

子供はそつとしやがんで笑ひ

いつまでもいつまでも一つ所で

悠々と立つたりしやがんだり

小さな身をふるはして

喜んでゐた。

 

千家元麿

自分は見た」所収

1918

 

 

(げに、かの場末の縁日の夜の

げに、かの場末の縁日の夜の

活動写真の小屋の中に、

青臭きアセチリン瓦斯の漂へる中に、

鋭くも響きわたりし

秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。

ひよろろろと鳴りて消ゆれば、

あたり忽ち暗くなりて、

薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。

やがて、また、ひよろろと鳴れば、

声嗄れし説明者こそ、

西洋の幽霊の如き手つきをして、

くどくどと何事をか語り出でけれ。

我はただ涙ぐまれき。

 

されど、そは三年も前の記憶なり。

 

はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、

同志の中の誰彼の心弱さを憎みつつ、

ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、

ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。

──ひよろろろと、

また、ひよろろろと──

 

我は、ふと、涙ぐまれぬ。

げに、げに、わが心の餓ゑて空しきこと、

今も猶昔のごとし。

 

石川啄木

呼子と口笛」所収

1911

書斎の午後

われはこの国の女を好まず。

 

読みさしの舶来の本の

手ざはりあらき紙の上に、

あやまちてしたる葡萄酒

なかなかにみてゆかぬかなしみ。

 

われはこの国の女を好まず。

 

石川啄木

呼子と口笛」所収

1911

 

一日のはじめに於て

みろ

太陽はいま世界のはてから上るところだ

此の朝霧の街と家家

此の朝あけの鋭い光線

まづ木木の梢のてつぺんからして

新鮮な意識をあたへる

みづみづしい空よ

からすがなき

すすめがなき

ひとびとはかつきりと目ざめ

おきいで

そして言ふ

お早う

お早うと

よろこびと力に満ちてはつきりと

おお此の言葉は生きてゐる!

何という美しいことばであらう

此の言葉の中に人間の純さはいまも残つてゐる

此の言葉より人間の一日ははじまる

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

星めぐりの歌

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の  つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

 

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

 

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

 

宮沢賢治

双子の星」所収

1918

恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬつて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

よしんば私が美男であらうとも

わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない

わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない

わたしはしなびきつた薄命男だ

ああなんといふいぢらしい男だ

けふのかぐはしい初夏の野原で

きらきらする木立の中で

手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた

腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた

襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた

かうしてひつそりとしなをつくりながら

わたしは娘たちのするやうに

こころもちくびをかしげて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

くちびるにばらいろのべにをぬつて

まつしろの高い樹木にすがりついた。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

人間に与える詩

そこに太い根がある

これをわすれているからいけないのだ

腕のような枝をひっ裂き

葉っぱをふきちらし

頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら

まっ暗な地べたの下で

ぐっと踏張っている根があると思えば何でもないのだ

それでいいのだ

そこに此の壮麗がある

樹木をみろ

大木をみろ

このどっしりとしたところはどうだ

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

長崎ぶり

袖にのこりし南蛮の花手拭よ、

染めた模様の唐草は

誰がうつり香ぞ、にほひあらせいとう。

蘆会、蛮紅花、天南星、

平戸、出島の港ぐさ、

たはれ乙女の花言葉。

いざ赤き実を吸ひたまへ。

口はただれて血をはかむ。

牛胆、南星、めるくうる。

南無波羅葦増雲善主麿。

 

木下杢太郎

1912