昨日うまれたあかんぼを、
その眼を、指を、ちんぽこを、
真夏真昼の醜さに
憎さも憎く睨む時。
何かうしろに来る音に
はつと恐れてわななきぬ。
『そのあかんぼを食べたし。』と
黒い女猫がそつと寄る。
北原白秋
「思ひ出 抒情小曲集」所収
1911
The little river twittering in the twilight,
The wan, wondering look of the pale sky,
This is almost bliss.
And everything shut up and gone to sleep,
All the troubles and anxieties and pain
Gone under the twilight.
Only the twilight now, and the soft “Sh!” of the river
That will last forever.
And at last I know my love for you is here,
I can see it all, it is whole like the twilight,
It is large, so large, I could not see it before
Because of the little lights and flickers and interruptions,
Troubles, anxieties, and pains.
You are the call and I am the answer,
You are the wish, and I the fulfillment,
You are the night, and I the day.
What else—it is perfect enough,
It is perfectly complete,
You and I.
Strange, how we suffer in spite of this!
D. H. Lawrence
From “Love Poems and Others”
1913
ヘネフにて
小さな川が薄明の中、ささやいている
青白く、おぼろな空は素晴らしい眺めだ
何という無上の喜び
万物が静まり返り、眠ろうとしている
全ての苦悩、懊悩、痛みは
行ってしまったのだ。薄明の中へと。
今は薄明と、そして川の優しくささやく音だけがある
それは永遠に続くだろう
そしてついに、私はあなたへの愛を今ここに感じ取る
私はそれを全て掴み取ることが出来る、この目の前の薄明のように
それは大きい。大きすぎて、だから気づかなかったのだ。
光が少なすぎたのだ、それにちかちかと瞬き、邪魔が入ってしまう
苦悩、懊悩、そして痛み。
あなたは「呼ぶ声」そして私は「答える声」
あなたは「希望」そして私は「満たすもの」
あなたは「夜」そして私は「昼」
何と言うことだ。完璧ではないか。
そう正に完璧。
あなたとそして私。
何と奇妙なことだ!それなのに、私たちは傷ついている!
きつと可愛いかたい歯で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそばう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。
萩原朔太郎
「月に吠える」所収
1917
一といふ盲人に、二といふ女盲人、悲しい生命いのちは其の間からうまれた
四番目の扉をひらいて
五番目の椅子へ座つた
六番目の燈明に火をともし
七番目の女の死骸を鞭つた
そして八番目の打下にがつかりと力がぬけて
神へ悲しい哀訴の手をあげた
身體は浮上るやうに淨くかろくなり
眞黒な錦襴の帷は九番目の祕密を垂らした
夢に照るらしい月夜はその中に薄青くけむつてゐる
星は覺束なげに天にひかつてゐる
十番目の吐息をすると
古めかしい記憶がしんとして行つた
十一番目の火をともすと
月光はおぼろげな火陰を搖らめかした
十二番目の大理石像の背後には
私にいきうつしの老人が俯向に倒れてゐる
眞白にしをれた薔薇は
うろ覺えの記憶をにほはしてゆく
十三番目の空中には
一つの棺が星雲のやうに浮いてゐる
悲しい一生の悔恨や悲嘆や追憶は
其處に匿れて齒がみしてゐる
捉へがたい鎖になげいて
私は十四番目の哀訴の手をあげた
福士幸次郎
「太陽の子」所収
1912
其一
煙草のめのめ、空まで煙せ
どうせ、この世は癪のたね
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
煙草のめのめ、照る日も曇れ
どうせ、一度は涙雨
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
煙草のめのめ、忘れて暮らせ
どうせ、昔はかへりやせぬ
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
煙草のめのめ、あの世も煙れ
どうせ、亡くなりや野の煙
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
其二
煙草よくよく 横目で見たら
好きなお方も、また煙草。
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
煙草付けよか、紅つけませうか、
紅ぢやあるまい、脂であろ。
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
煙草ぶかぶかキッスしてゐたら、
鼻のパイプに、火をつけた。
煙よ、煙よ、ただ煙
一切合切、みな煙
北原白秋
「白秋愛唱歌集」所収
1919
紫の酒をたうべて醉ひしれぬ春の都は
夜は來る深き夜はいと妖艷に
うるはしき玉の如き燈火は點ず
辻々にゆきもどる若人のため
まだ殘る日のかげに遊べるあり
美しの少女あまた打群れて
その派手やかに着かざる衣裳は
人目を眩ず薄明り亂して
玻璃いろの人形めきたる
榮ちやんもたえまなく銀色のまりをつき
お手玉に燦爛と耽る子もあり
にほひよき薄明り美少女の群をたたへて
ただ消えゆくばかりなり春の夜に
時に燈火は叫ぶおごそかに「少女よ去れ」と
村山槐多
1919
暖い靜かな夕方の空を
百羽ばかりの雁が
一列になつて飛んで行く
天も地も動か無い靜かな景色の中を、不思議に默つて
同じ樣に一つ一つセツセと羽を動かして
黒い列をつくつて
靜かに音も立てずに横切つてゆく
側へ行つたら翅の音が騷がしいのだらう
息切れがして疲れて居るのもあるのだらう。
だが地上にはそれは聞えない
彼等は皆んなが默つて、心でいたはり合ひ助け合つて飛んでゆく。
前のものが後になり、後ろの者が前になり
心が心を助けて、セツセセツセと
勇ましく飛んで行く。
その中には親子もあらう、兄弟姉妹も友人もあるにちがひない
この空氣も柔いで靜かな風のない夕方の空を選んで、
一團になつて飛んで行く
暖い一團の心よ。
天も地も動かない靜かさの中を汝許りが動いてゆく
默つてすてきな早さで
見て居る内に通り過ぎてしまふ
千家元麿
「自分は見た」所収
1918
月が痛む、光を失うた月の亡骸は赤銅色をして気絶した。
滅びてしまうやうでもあり、生きかへるようでもあり、萎えはてた月の面は苦痛にあへぎ、絶望にうめく。
夜の力はゆるんでいく。
鳥は塒から落ち、人は地に躓く、葉は黒い息を吐き大地は静かに沈んでゆく。
まだ月が痛む。
たよりない色よ、心細い姿よ、生きる勢ひはまるで失せた地平に落ちるやうにも見えない、われわれに近づくやうにも思へない、遠ざかるのだ、恐れ恐れ遠ざかるのだ。
河井醉茗
「霧」所収
1910
十一月の風の宵に
外套の襟を立てて
明石町の河岸を歩いたが
その時の船の唄がまだ忘れられぬ。
同じ冬は来れども
また歌はひびけども
なぜかその夜が忘れられぬ。
木下杢太郎
1910