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生ましめんかな ─原子爆弾秘話─

こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

栗原貞子
「黒い卵」所収
1946
 

だまして下さい言葉やさしく

だまして下さい言葉やさしく
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬ私の心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
ああ貴方には誰よりも私が要ると
感謝のほほえみでだまして下さい。
 
その時私は
思いあがって傲慢になるでしょうか
いえいえ私は
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ちあがりましょう。
もっともっとやさしくなりましょう
もっともっと美しく
心ききたる女子になりましょう。
 
ああ私はあまりにも荒地にそだちました。
飢えた心にせめて一つほしいものは
私が貴方によろこばれると
そう考えるよろこびです。
あけがたの露やそよかぜほどにも
貴方にそれが判って下されば
私の瞳はいきいきと若くなりましょう。
うれしさに涙をいっぱいためながら
だまされだまされてゆたかになりましょう。
目かくしの鬼を導くように
ああ私をやさしい拍手で導いて下さい。

永瀬清子
焔について」所収
1950

乾いた眼

あれは
不気味に靄が立ちこめている
キナ臭い昨日の戦場から
突然湧き起り
流れてくるミサの声だ──
左手に聖書を持ち
天に祈る黒衣の牧師
その前にひざまずき
十字を切っている兵士の群れ
見知らぬ土地に
戦友の死体を埋め
やっとここまでたどりついた若い生命たち
その乾いた両眼から
少しずつ悲しみの涙が滲み落ちる
一枚の額縁にはめこまれたこの情景が
返ってきた手紙のように
いつも私の前の壁に架かっている

巨大な地球儀がのろのろ廻り
きまぐれな一本の針が刺した地点で
また戦争が起った
しばらくして
顔をかくした神が腐爛した死体の間を
こちらに向って歩いてこられると
街の暗闇で
チュウインガムのように
無造作に吐き捨てられた若い命が
あちらの谷間から 水田の中から
いくつもいくつも起き上がり
ぼろぼろの魂を引きずって
少しずつ海の方へ
故郷の方へ歩き出す

その時分
西でも 東でも
広い株式市場では
欲望でひん曲ってしまった
両の手を突き出して
戦争が狂気のように取引されている
私はいま新聞紙をひろげて
積み上げられた白い貝殻の山が
無惨に崩れ落ちる
その静かな静かな音を聞いた
いくつも嚥み下した新薬で
間違ってしまった現代の人々よ
地中深く埋没した
平和という名の埴輪を掘り出せ!
墓堀り人夫のスコップを持った
その汚れた手で

上林猷夫
「遠い行列」所収
1970

私の猫

わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ
毛なみもよごれて日暮れの窓枠の上に
うつつなく消えゆく日影を惜しむでゐるのだ
蛤のやうな顔に糸をひいて
二つの眼がいつも眠つてゐるのだ
わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ
眠つてゐる二つの眼から銀のやうな涙をながし
日が暮れて寒さのために眼がさめると
暗くなつたあたりの風景に驚いて
自分の涙をみるくとまちがへて舐めてしまふのだ
わたしの猫はずゐぶんと齢をとつてゐるのだ

三好達治
測量船」所収
1930

蛇をながむるこころ蛇になる
ぎんいろの鋭き蛇になる
どくだみの花あをじろく
くされたる噴井の匂ひ蛇になる
君をおもへば君がゆび
するするすると蛇になる

室生犀星
抒情小曲集」所収
1918

祈る言葉を知らざれば

祈る言葉を知らざれば
われは祈らざるなり。
魂の安さは人に託すべきものにあらず。
たきものの烟にむせかへるとも
亡せ行きたる人は幸にあらず。
声を合せて呼び、そそりたつるとも
その生命が背負ひたる泥を黄金とするあたはじ。

誰か空なる同感と
嵐に驚きたる感激とに迷はんや。
われはただとこしへに御身を見る。
相並びて行くべき道を歩むべきのみ。
御身はさらに明かに生きよ。
御身が負へるものを
何人も代る能はざるなり。

祈る言葉を知らざれば
われは祈らざるなり。

水野葉船
1947

夕暮れ

あんまりにも 夕暮れが美しかったので
荷物をおいて
追いかけることにしました。

あんまりにも 夕暮れがささやくもんだから
鼓膜をおいて
追いかけることにしました。
〈夕暮れはそっと、ささやいてくれました〉

あんまりにも 夕暮れがささやくもんだから
瞳をおいて
追いかけることにしました。
〈夕暮れはそっと、ささやいてくれました〉
朱色と黒の世界
を。

ボクは停留所から停留所へと
夕暮れを追いつづけました。

風はそっと肩をゆすり
起こしてくれました。
停留所のそばに
アリと一緒に寝ている
ボクを。

高田渡
個人的理由」所収
1969

鳥の一瞥

胴体から
首が
離れていていいわけはないように

指が腕から
足が脚から
離れていていいわけはない

しかし
腕から指が
脚から足が
離ればなれに飛散している情景は

鳥の一瞥が
その小さな網膜に まざまざと焼付けている
鳥は墜ちても
その情景は、小さな網膜と倶に腐化し去ることはないであろう

飛散した指は
足は
首は
その位置を恢復せねばならぬ
その位置を恢復せねばならぬ
 (飛散した指が 足が 首が 瞑目するのはそのときである)

北川冬彦
「北川冬彦全詩集」所収
1988

南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

西脇順三郎
Ambarvalia」所収
1933

ハーフ・アンド・ハーフ

ねむることによって毎日死を経験しているのに
不眠症にかかるなんて
なんと非人間的な苦しみだろう
毎日死を経験しないために
ほんとうに死にたいと思うのは
ごく自然ななりゆきだが
でも
死なないでくれきみがひとつかみの骨になるなんて

よくそんな勝手なことがいえるわね
よけいなお世話よ死ぬって
眠りだけど永遠のおやすみなの
わたしの目を吊り上がらせ
わたしのまんなかに鉛を入れたのは
あなたじゃない
わたしの暖かい骨は
きっと鉛まぶしよ

鉛まぶしで
永遠にやすめるならさめた白湯だって
おいしくなるよ
永遠なんて信じてないくせに
木の葉みたいにことばをつかうな
たしかに自殺ってこのうえなく論理的な死だけど
論理なんてたたみ鰯で
すきまだらけなんだ

こんどはお説教ね
あなたはわたしが死ぬのが恐ろしいのね
しんしんと降りつづく雪って
一瞬ごとに表情が変わっている
だからあなたが
われは昔のわれならずって顔をしても
わたしちっとも驚きはしないただ
あなたのロマンチシズムってとってもいや

きらうなら好きなだけきらうがいいでも
死ぬな
きみが死んだってちっともこわくないけど
永遠を信じていない者の死に
意味をつけるのがとてもつらいのだ
ぼくは少なくとも「半分の永遠」を信じてる
死は死んだのかと冬の林に
大声で叫びたい

叫べるの
ほんとうは叫びたくないのでしょう偽善者め
あなたが取り乱すの初めて見たわ
あなたは
狡猾で残忍で冷酷よ
さんざわたしを楽しんだりして
わたしがわたしの生をどう始末しても
あなたの知ったことじゃないでしょう

光り
夕方の海に見たひとすじの光りが
雨戸をあけた朝
同じところにあった
ぼくは失神しそうになって
「半分の永遠」を信じたというわけだ
きみはぼくを理解しているらしい
「半分の死」の地点から

わたしはくたびれてるのに
からだじゅうの毛がみんな立ってるの
もう口をききたくない
ことばを覚えてよかったのは
ただ悪罵を自由にいえるからなんて
気がくるいそう
勝手に海の光りを大事になさい
わたしは一晩じゅう降る雪を見てるわ

 *
**

死は死んだのか死なないのか
死なない死って何だろう
鳥たちゃ鳥のなかで死ぬ
猫たちゃ猫のなかで死ぬ
ひとはいつでもひとのそと
生まれるときも死ぬときも
だからいのちをたいせつに?
だから死ぬのもたいせつに?

北村太郎
「あかつき闇」所収
1978