Category archives: Chronology

風の女

風に吹かれていると
たよりない柳になったようで
いとしさが溢れてくるから
女は愛撫に身を跼め
髪に手をやり うなじをすくめる
捲きあげられるスカートを押え
見えない橇に乗ろうと
永遠にむかって身構える
ずっと遠くへ連れていってもらえば
たぶん願いは叶えられると
まばゆさに 想像の野火を放つ
光のなかにゆらぐ影が
渦をつくり 不確かな形になって 流れ
くずれて 駆けぬけ
樹々の梢をからかったり
枯葉を追い立てて遊んだかと思うと
とつぜん引き払ってしまう
ハルイチバンになる前に
いくども名前が変ったのだ
その土地と結婚するたびに
ハエ ニシ ミナミ と数えてみて
三界に住む家なしと共感する
風が落していった春龍胆の花は青い
手をさしのべて身替りを愛撫すれば
また吹いてくる
常緑樹の葉は厚くて
太陽を照り返して無情にゆれる
やわらかい葉に憧れて
こんどは立ったまま顔に受ける
押されてよろめき
はずかしい姿勢の快感に小さく叫んだのは
盲いた歌
いつのまにか このあたりに住みついていた姿を見せない鬼
日傘は飛ばされてしまった
もともと理性など要らなかったのだと分って女は笑いだす
侮蔑を忘れようと
からかい返すように 誘うように
身もだえて語りかける
応えて また襲ってきたハルイチバンが
高下駄を踏み鳴し
天狗の団扇をうち振って
カラカラと哄笑する
その晩
女は透明になった夢を見る
肉体がないから
いつもより感じやすくて
流浪する風の女は
からだのすみずみを撫でられ
声もたてずに地獄へと昇天する

辻井喬
「ようなき人の」所収
1989

あれは海猫

あれは海猫
あれはかもめ
なき声を聞きわけて教えてくれた人

これは巻貝
これは二枚貝
てのひらにのせて 教えてくれた人

海と母
思い出は波の匂いのようにわきあがる

サトウハチロー
おかあさん」所収
1961

私が豆の煮方を

私が豆の煮方を工夫しこげつきにあわてているひまに
あなたは人間の不条理についてお考えです
私が小さい物たちのあすの運動着のことや
あかいピン止めも買ってやろうかと財布をのぞいて迷っている時
あなたは我々の共通の運命についてお思いなさり
あなたは磁石の接近で一時に整頓する鉄砂のように
すべての事が解決できるとお思いです

私が小さい乳母車を押して
道のでこぼこに行き悩むとき
あなたは力強い回転で雪をはねとばすラッセル車のように
いつも物事を解決される

私のみみっちいのは 女の生まれつきか
腕の力がちがうのか 心の力もちがうのか
それでも私は自分のあり方でしか行けず
私は地面を刺繍するように一歩ずつしか進めない。
きっとあなたは遠い遠いことをお考えなさり
でも私は自分の小さい針で
こころこめて刺すことしかできないのです。

それは不要のこと甲斐のないムダでしょうか
あなたを補ってはいないでしょうか

もしか三月、葡萄の木の根元をたがやし
よい土入れをしてやるように──
そして五月、みのりすぎた実をまびいて
一粒ずつを大事に大きくするように──
熟れゆく葡萄はそのことをいつも喜びはしないでしょうか

永瀬清子
「あけがたにくる人よ」所収
1987

屋根

日本の家は屋根が低い
貧しい家ほど余計に低い、

その屋根の低さが
私の背中にのしかかる。

この屋根の重さは何か
十歩はなれて見入れば
家の上にあるもの
天空の青さではなく
血の色の濃さである。

私をとらえて行く手をはばむもの
私の力のその一軒の狭さにとぢこめて
費消させるもの、

病父は屋根の上に住む
義母は屋根の上に住む
きょうだいもまた屋根の上に住む。

風吹けばぺこりと鳴る
あのトタンの
吹けば飛ぶばかりの
せいぜい十坪程の屋根の上に、
みれば
大根ものっている
米ものっている
そして寝床のあたたかさ。

負えという
この屋根の重みに
女、私の春が暮れる
遠く遠く日が沈む。

石垣りん
私の前にある鍋とお釜と燃える火と」所収
1959

クロとぼく

学校から帰ってきた ぼくの
足音めがけて
クロが とっしんしてくる

めちゃなきの
めちゃかみの
めちゃめちゃなめだ

ぼくを待ちくたびれながら
そこらに書きちらしたらしい
でたらめの「すき」という字を
なん百 なん千
はねちらかし けちらかし

ぼくはクロをだいて
山のように どっかと座って
世界中を にらみまわしてやる

もしも ライオンとトラとヒョウと
オオカミとワニが
一どに
クロにとびかかってきたいのなら
いつでもこい! というように

まどみちお
まめつぶうた」所収
1973

この失敗にもかかわらず

五月の風にのって
英語の朗読がきこえてくる
裏の家の大学生の声
ついで日本語の逐次訳が追いかける
どこかで発表しなければならないのか
よそゆきの気取った声で
英語と日本語交互に織りなし

その若々しさに
手を休め
聴きいれば

この失敗にもかかわらず……
この失敗にもかかわらず……
そこで はたりと 沈黙がきた
どうしたの? その先は

失恋の痛手にわかに疼きだしたのか
あるいは深い思索の淵に
突然ひきずり込まれたのか
吹きぬける風に
ふたたび彼の声はのらず
あとはライラックの匂いばかり

原文は知らないが
あとは私が続けよう
そう
この失敗にもかかわらず
私もまた生きてゆかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして

茨木のり子
寸志」所収
1982

棒高跳び

彼は地蜂のように
長い棒をさげて駆けてくる
そして当然のごとく空に浮び
上昇する地平線を追いあげる
ついに一つの限界を飛びこえると
彼は支えるものを突きすてた
彼には落下があるばかりだ
おお 力なくおちる
いまや醜く地上に顛倒する彼の上へ
突如 ふたたび
地平線がおりてきて
はげしく彼の肩を打つ

村野四郎
体操詩集」所収
1939

港の人(抄)

なにか滴るような音がする
水だろうか
暗闇にベッドから下りて調べにいく気はしない

水でなければ
なんでありうるか
夢のなかの答えはいくつもある

今日は平穏な一日だった
窓のそとが
うす暗くなるまで雨がふりつづき
風がないのに
夜なかにかけてゆっくりやんでいった

鞍をつかんで
地面を蹴るような思いをしたのは
いつのことだったろう

むろん空は青かったし
水は
そのためにあったようだった
愛する人の体じゅうからあんなに汗がしたたるなんて
思いもしなかった
コップを持っていく自分の指が
とってもあお白くみえた

あれは

そうにきまっている
そうでなければ
なんでありえないか
夢のなかの答えがいくつかあったって
ほかのいろであるわけがない
あしたも
おなじいろの天気であればいい

北村太郎
「港の人」所収
1989

光る魚、百円硬貨がいく枚か

やえさん?でしょう
(レールの)白く光っている川のむこう岸
すこし離れたところに立っているそのひとはやえさん、だと思う
やえさんの
みじかく刈り上げた
ふわふわした銀髪がちらっと見えて
ちいさい足元にまとわりついているちいさい影
(そこ)
(いつか長身のナミザキさんの立っていた場所に近いところ)
ナミザキサーンと呼んだ記憶の
声のひびきが水に落ちた小石
波紋になって音の輪をひろげていった
あかるい水底にやえさん
ではなくナミザキさん
ではない石 白い石がころんと落ちていて
ひかるレールが二本 頭上を走っていった
三十五日前の彼岸の大雪
三十日前の桜の満開
十五日前の八重桜
いまは新緑のまぶしい筒の中を湧き立っている樹々のセクス
こずえの先まで
みずのながれ
みずのながれ

きっと無限のいのちのながれがそこから
光の泡になってはじき出されていて
ぽん ぽん
ぽん ぽん
かるくかるく
やえさん空にかえってゆくのですか

四月二十七日。
 ヨコスカ市に住む八十二歳の江川八重さんは、妹さんの三回忌にひとりで上京。(妹さんのご家族が東京のどこかにいるのでしょう)連休前の混んだ電車の中で外人の女のひとに「ドーゾ」と席を譲られる。
嬉しかった八重さんのはにかんだ笑顔
外人の女のひとの白い肌の笑顔
が市井の 井戸の底にのぞかれるありふれた
ブリキの星々になって

今日の朝刊の、
「声」の、

水底に一瞬
光る魚
百円硬貨がいく枚かサイフからこぼれ落ちていた
腰骨の中に沈んでいる
まあるく硬い金属の冷たさに
指をふれ
ぎざぎざの端をまさぐる まさぐる
(これは手帖、これはシャープペン、これはティッシュ、これは鏡、口紅のケース、封を切っていない手紙、鍵)
掃きよせられた光が
小魚のかたちに群がっている影を踏んで
ドア の黒い鍵穴のひとのかたちへ流れこむ

ひとにぎりのにごりが
しずかに沈殿してゆく

新井豊美
「半島を吹く風の歌」所収
1988

握手

手をさし出されて
握りかえす
しまったかな?と思う いつも
相手の顔に困惑のいろ ちらと走って

どうも強すぎるらしいのである
手をさし出されたら
女は楚々と手を与え
ただ委ねるだけが作法なのかもしれない

ああ しかし そんなことがなんじゃらべえ
わたしは わたしの流儀でやります

すなわち
親愛の情ゆうぜんと溢れるときは
握力計でも握るように
ぐ ぐ ぐっと 力を籠める
痛かったって知らないのだ
ブルガリヤの詩人は大きな手でこちらの方が痛かった
老舎の手はやわらかで私の手の中で痛そうだった

茨木のり子
「茨木のり子詩集」所収
1969