料理人が青空を握る。四本の指跡がついて、
──次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる青服の空の看守。
日光が駈け脚でゆくのを聞く。
彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守つてゐる。
刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために一匹の蛾となつて窓に突きあたる
死の長い巻鬚が一日だけしめつけるのをやめるならば私らは奇跡の上で跳びあがる。
死は私の殻を脱ぐ。
左川ちか
「左川ちか全詩集」所収
1936
料理人が青空を握る。四本の指跡がついて、
──次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる青服の空の看守。
日光が駈け脚でゆくのを聞く。
彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守つてゐる。
刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために一匹の蛾となつて窓に突きあたる
死の長い巻鬚が一日だけしめつけるのをやめるならば私らは奇跡の上で跳びあがる。
死は私の殻を脱ぐ。
左川ちか
「左川ちか全詩集」所収
1936
汗ばんだあなたの裸身を両手でだきしめるとき。
わたしはのこされた最期の現実に触っているのだ。
もっと多くのものに触りたい手のさびしさは。
氾濫するうつつの映像にただむなしくさしのべられて。
さわれないうつつ、ふれあえないうつつ。
こんなにもたえずいっぱい見つづけながら。
その指先はけっしてとどかないうつつは。
鏡の中にとじこめられている。
目ざめても目ざめてもまるでなおゆめのつづき。
のようなこの日々のよそよそしさは。
少しずつたましいをやせほそらせてゆく。
溺れても溺れても濡れない海の中で。
生きているうつつにさわれないでなお生きていく。
身体はどこまでたましいを生かしつづけることができるだろうか。
どれほどにはげしく、どれほどに深く。
あなたに触りつづけたとしても。
一人のあなたでは世界はまずしすぎるとしたら。
征矢泰子
「花の行方」所収
1993
おんなは
へそのおを
貝をちりばめたふくろにたたみ
ちぶさにあてがっていた
発見されて
こどもは死にましたと
泣いた
それもうそだと
おとこはおんなをけっとばし
あやしげな酒場で
めちゃくちゃにおどっていたが
おんなを死なせてはならぬと
かけもどり
へそのおを焼かせた
そのときから
おとこはわかれたがったが
わかれれば死ぬとおもい
なんねんもいっしょにくらしたあげく
なぜ死なせてはならぬのか
とうとうわからぬままに
旅さきで死にたえ
おんなは死に目にもあえなかったが
やがて再縁さきで
りっぱににどめのこどもをうんだ
会田綱雄
「鹹湖」所収
1957
眉をしかめた溝にむらがる昨日は過熱し燃え尽きる
低くなる陽は電柱に座り帽子の余る目庇を焼いた
鼻の下が煎ってもらってから来る
お豆の、とっても中挽きな
黒いに近いへ燃されると、すぐ
二つのしこりを塊を奇妙な形のままに下げる。
道の真ん中を歩いて帰った
未遂の卵と 暮らした日々は、おしまいだ。さあ
すっかりと 。
パッケージがレジ袋を圧する 指輪といっしょにくい込んでっくる
缶は出してみてタブは開けてみて虎縞ガードレールにめがけ
これまでの唾は吐くんだ、ぜんぶラックス
・コーヒーをすすってみれば 、
おくちににがい
にがくない
背すじが小規模に笑うんだ。かかった時間は大人の身体で
整う仕方のないことだ
電線が耳の穴を掘ってくる 、いちじくの葉っぱを貼る場所が
、ある
沸かしすぎは味が落ちるよ火を止めて
移そう適温に下げよう。
低くわだかまる茂みの茎根が触手が虎の白色を残さず隠せば
みっさなんだ、すぐ
瓶牛乳をだ巻き込み、ロゴでっだ
まんべんっなく
皆伐の端へと転がしたのだ
っ
今朝から 。 毛深い夜でしかない 。
くぼむ水溜まりに街景が降ったら舗道タイルを擦過してやる
まったく春宵な豪剛毛だ。
たくしあげた部屋着の裾から
小さな膝小僧がのぞく 逃れた腿に殴打の痕が 、
紫にくすみまだ散っている。核果をひっつけた褐色の肌を
焙煎するのだ脱ぎあいみるのだ
フィルターで抽出していく血まみれの乳幼児を掬いあい
紡いだ名前が口をふさぐ。
銀指輪の漏れる砂糖へ みっさへ、私が混ざる隙間へ
熱する液状化が垂れた
両方のまぶたが目にかぶさった
厚く 、
ひろげてゆっくり間を置く淹れる淡さに照らされる
。恋
は女子のキンタマです 。
っ
きりひらかれた柔らかい斜面が湿気になだれかかる土質をひろげつなぐ足裏に
吸いついてくる脂指の股へ舌を入れてくる 。
割れた一本道は長い
古砕アスファルトの合間に下生えが抱えた有機肥料の屑が臭くて
スチール缶は 濡れそぼる。夜は卓越する香気を、
肯定し合って、みっさと二人だ 。
絶滅するだけの個人という種が胸元をくつろげて祝福になる
黄ばむ滑らかな歯並びをたどって達して肌に育み続けて 、
去って行った 、悲しい息づかいを
いちもつ が救いあげていく 。正座した陽光は電信柱の頭から
、落ちてもつれて
臓物を吐き群生に合板に蔓に血流を塗る。内側の
吐瀉物を尾根までつないで谷あいの向こうに夕沁みをつくる。
ひどく懐かしくてたどり着けなく
みっさの旬の一瞬の
いとなみはなすすべもなく吸い飲み続け、やがて我にかえるんだろうね 。
醜悪な、えっちの片隅に人生を置く
ためらいだらけの身体にしがまれ、その時みっさは遂にっようやく、
一緒に居ちゃった その事実、が
。最大の自傷だったと気付く
樹木の感覚が広くなり、去年からの殻下生えが苔に滑り 振り回したコンビニ袋の
こよりが、ゆで卵の殻を剥く 。窓から
性器を出した、みっさは渋皮を裂き琥珀色に煮えこぼれているよ
着いたら つば帽子の身体滓から白牛乳を
噴射するんだ 。果芯のぬたくり返しに蹴り上げられて叫んで腫らすよ っ
ぶら下がる交じる溶けている渇きは出来あがりなんだ 。
混じり合うだろう、肉液カフェ・オ
・レ・コンバーナ が 、
あの部屋にせまい
せまくない
平川綾真智
「骨折りダンスっ」第7号掲載
2012
あれは夏の電車 記憶のかなたから陽炎のゆ
らめきをつっ切って 昼のホームに入ってく
る わたくしは乗れない 乗るには疲れすぎ
ている 電車の扉があき しまる でていく
電車の窓から 少女のわたくしが手をふって
いる 行ってしまった 逝ってしまった過去
に再会するために ひと茎の水草の想像力を
もった人が また一人 昼の駅に集まってく
る 水辺を失った水草の中を黒アゲハがゆっ
くりと羽ばたくけれど キミが卵を生みつけ
られる想像力などここにはないんだよ 補虫
網を持つには この駅に立ちつくす人は疲れ
て重すぎる 水草どうし手を広げると 夏の
電車の蜃気楼 誰も乗れない電車が音もなく
ホームに入ってくる 誰もが乗りたいのに
切符は水草の汁でビトビトに溶けていく わ
たくしも溶けた切符を手にぼんやり電車を見
送っている 窓から少女だった頃のわたくし
が かろやかに笑いながらやはり手をふって
いた ホームの外の街は反射光で何も見えな
い 街があったのか どの道をたどってここ
に行き着いたのか わからずに ここにいる
この昼の駅でホームのはしっこにつったった
まま どこにも行けずに ここにいる
こいけけいこ
「月と呼ばれていたとき」所収
1991
私は生きた心地もなく
死と隣りあわせて住んでいた
だれかに触れられると
そのまま首がぽろりと落ちそうなので
石になったのかもしれないと思った
不安は日々に深くなって
もう何も見えないほど私を包んだ
果てしない砂漠に取り残されて
ひとり しょんぼりと
夜明けの夢のように 声もなくさめざめと泣いた
口をあけたような青い空も泣いた
樹も泣いた
鳥の軀も
馬の白骨も
みんな魔法にかけられて
身うごきもせずに ひっそりと
息をひそめて死の姿を見守っていた
それは堪え難いほど静かな世界だった
私は死と隣りあわせ
生きた心地もなく現実にたたずんでいるだけだった
ただ倒れまいとして
中村千尾
「日付のない日記」所収
1965
眼が見えなくなる
ゆっくりだけれど 見えなくなる日がくると白衣の先生が言った
眼の見えなくなったときひとつのことを言おう
〈あなたが好きでした〉
好きなひとの見えなくなったとき
ひまわりを見上げている少女のように明るく
〈あなたが好きでした〉
見えていたときには言えなかった言葉を
一度だけ言う それから忘れてしまおう
見えなくなった眼に咲くひまわりは
闇にいつまでも寂しいだろう
大倉昭美
「あなたへの言伝」所収
1990
校庭の センダンの大木の下に
まごみたいな
小さいセンダンの木が 生えていた
木の好きな母さんに
持って帰ってあげたら
ベランダの植木鉢で
たいせつに育てるかもしれない
そう思って 一気に抜こうとしたが
葉を二、三枚しごいてしまっただけで
根は びくともしない
かんたんなことじゃ ないんだな
ここに根付いている ってことは──
ぼくなんか ふらふら
どこへでも行っちゃいそうだもんね
みちみち 考える
あの幼い木は
しんぼうづよくあそこで育って
やがて大木になり
青空にてっぺんを届かせるだろう
たくさんの小鳥たちを遊ばせてやり
風が運んでくる 遠い国の出来事にも
耳をかたむけるのだろう
その頃 ぼくは
どんなおじいさんになっている?
新川和江
「名づけられた葉なのだから」所収
2011
お手やわらかにと挨拶をして
茶室に入ると
人間(じんかん)いたるところ地獄(ぢごく)あり
と書かれた(ふりがなつきで)軸がかけられている
主人に地獄とはつとめですかと訊くと
まぁ、そう、あとかていとかさ。
とこたえる
茶がでる
実はこいつにゃ銘がねぇんだよ、
気楽な愛称でいいから
あんたよびなをつけてやってくんねぇか。
と言われる
すがすがしい茶の湯だ
緑に目が洗われる
ずずずーいっと啜ると底から
あっしの名まえ何とかなりませんか、
と陽気な声がする
そうさなぁ、
すぐは無理だな、次逢うまでに。
と告げると
あるじも笑ってうなずいている
礼を述べて
通称蛇のみちをくねくね帰ってゆくとき
蛇行する道の、ちょうど川なら
三カ月湖のできているあたりで
ごろんとシンノスケが寝ころがっていた
(大儀そうであるな)
(カホーハネテマテサ)
シンさんは本気を出せば
箱根八里もひとっとびさ
前脚のつけ根の上あたりから大翼が生えて
ぴかぴかの大空へねバサバサアッ
薄暮には少し早い空を仰いだ
古い風景画にあらわれる形の
雲の隙から
おっさんの髭面がぬっと出て
ニカッと笑って消えてしまったことがあった
少年の日の初夏のできごと──
皐月の暮れ方は
天空はまだ青いのに
地上のものは全て黒い影に包まれているふうだ
じきに雲間の髭男についても
忘れてしまっていたのだった
蛇のみちを歩きながら思い出された
雲割ってぬっと出現した男の破顔
それは少年の
四十年後の
笑顔だったとも
(自分の子供時代は心配または興味に値するだろ)
浮雲の上より
下界を覗くと
くねくねした道を少年がゆく
その子はいずれ
ある名器の名づけ親となるべきひとだ
岩佐なを
「鏡ノ場」所収
2003