お手やわらかにと挨拶をして
茶室に入ると
人間(じんかん)いたるところ地獄(ぢごく)あり
と書かれた(ふりがなつきで)軸がかけられている
主人に地獄とはつとめですかと訊くと
まぁ、そう、あとかていとかさ。
とこたえる
茶がでる
実はこいつにゃ銘がねぇんだよ、
気楽な愛称でいいから
あんたよびなをつけてやってくんねぇか。
と言われる
すがすがしい茶の湯だ
緑に目が洗われる
ずずずーいっと啜ると底から
あっしの名まえ何とかなりませんか、
と陽気な声がする
そうさなぁ、
すぐは無理だな、次逢うまでに。
と告げると
あるじも笑ってうなずいている
礼を述べて
通称蛇のみちをくねくね帰ってゆくとき
蛇行する道の、ちょうど川なら
三カ月湖のできているあたりで
ごろんとシンノスケが寝ころがっていた
(大儀そうであるな)
(カホーハネテマテサ)
シンさんは本気を出せば
箱根八里もひとっとびさ
前脚のつけ根の上あたりから大翼が生えて
ぴかぴかの大空へねバサバサアッ
薄暮には少し早い空を仰いだ
古い風景画にあらわれる形の
雲の隙から
おっさんの髭面がぬっと出て
ニカッと笑って消えてしまったことがあった
少年の日の初夏のできごと──
皐月の暮れ方は
天空はまだ青いのに
地上のものは全て黒い影に包まれているふうだ
じきに雲間の髭男についても
忘れてしまっていたのだった
蛇のみちを歩きながら思い出された
雲割ってぬっと出現した男の破顔
それは少年の
四十年後の
笑顔だったとも
(自分の子供時代は心配または興味に値するだろ)
浮雲の上より
下界を覗くと
くねくねした道を少年がゆく
その子はいずれ
ある名器の名づけ親となるべきひとだ
岩佐なを
「鏡ノ場」所収
2003
「お茶碗」は岩佐様の許諾をいただいた上で掲載しております。
無断転載はご遠慮ください。
この詩を読んで興味を持たれた方は下記も参照ください。
玄工房:岩佐なをのブログ
http://genkoubou.blog76.fc2.com/