目は見ることをたのしむ。
耳は聴くことをたのしむ。
こころは感じることをたのしむ。
どんな形容詞もなしに。
どんな比喩もいらないんだ。
描かれていない色を見るんだ。
聴こえない音楽を聴くんだ。
語られない言葉を読むんだ。
たのしむとは沈黙に聴きいることだ。
木々のうえの日の光り。
鳥の影。
花のまわりの正午の静けさ。
長田弘
「心の中にもっている問題」所収
1990
目は見ることをたのしむ。
耳は聴くことをたのしむ。
こころは感じることをたのしむ。
どんな形容詞もなしに。
どんな比喩もいらないんだ。
描かれていない色を見るんだ。
聴こえない音楽を聴くんだ。
語られない言葉を読むんだ。
たのしむとは沈黙に聴きいることだ。
木々のうえの日の光り。
鳥の影。
花のまわりの正午の静けさ。
長田弘
「心の中にもっている問題」所収
1990
一人では
生きてゆけないように
どうも人間はなっているらしい
群れて群れて生きてきた習性かしら
補いあってここまできた人類の遺伝子なのかしら
喜怒哀楽の桶のなか
ごろごろと泥つき里芋洗うよう
犇めきあって暮らすのが一番自然な
人の生き方なのかしら
ものごころついた時は
父と母と弟と四人で暮し(あの頃はよかった)
学生時代は寮生活 四、五人いっしょにわやわや暮し
結婚してからはあなたと二人
今はじめて 生まれてはじめて一人になって
ひとり暮し十年ともなれば
宇宙船のなか
あられもなく遊泳の感覚
さかさまになって
宇宙食嚙るような索漠の日々
手鏡をひょいと取れば
そこには
はぐれ猿の顔
ずいぶん無理をしている
寂寥がぴったり顔に貼りついて
パック剤剥はがすようにはいかなくなった
さりとて もう
ほかの誰かとも暮す気はなし
あなた以外の誰とも もう
しかたがない
さつまいもでも嚙りましょう
茨木のり子
「歳月」所収
2007
わずか幾筒かの爆薬で
地表の半分を吹きとばすより
たった数滴の香水が
世界の窓を 野を 海を
われらの思想と
言葉の自由を匂わしてほしい
ああ 誰かそんな香水を
発明しないものか
貴重なその一壜をめぐって
国際管理委員会を設けよ
人類のもっとも光栄にかがやく昧爽
それら噴霧を
棚引く淡紅のハンカチに浸ませ!
すみれ色の空から降らせ!
丸山薫
「丸山薫詩集」所収
1968
すべてのものが先端から落ちる、
いつの間にか、不意に。
銀杏の梢から最後の葉が落ちると、
高い竿の先端から一つの旗が落ちる。
敬愛された友人が
危険な先端から直角に落ちた。
ガラスをつらぬく夜の光のように
またゝくまに。
近くまた ひとりの友が
抛物線の形で
危険な先端から落ちるのを
放心して知らねばならない。
笹沢美明
「仮説のクリスタル」所収
1966
私の娘はまだ二歳だが、実に外出好きで、朝早くから赤いゴム長靴をはいて、階段をおりて外へ出て行く。一日外で遊んで飽きることがない。羨ましいほどである。雨が降るとレインコートを着て出かけて行く。
日曜日。外は大雨であった。秋の始めのひさかたぶりの雨である。私は布団の中で本を読んでいた。娘は朝からさわいでいる。外へ出たくてしかたがないのである。何回も外の雨を見せるのだが納得しない。そのうちとうとう泣き出してしまった。そこで私が外へ連れて行くことになった。赤ん坊の時のおぶりひもでおんぶし、傘をさして近くの小学校へ行った。
校庭にはだれもいなかった。家鴨の小舎を見て、鳩小舎を見、鶏小舎を見て、それから無人の教室に入って椅子に座り、黒板に貼ってある絵をひとつずつ眺めた。娘は大喜びである。「ピッピちゃーん」と大声で呼ぶ。鳥類はすべて「ピッピちゃん」である。
ひとしきり見たので帰ろうとして、鶏小舎の方へ行くと、一、二年生らしい小学生達が五、六人で餌をやっていた。二段になっている高い小舎で、餌は刻んだキャベツとトウモロコシである。子供達はみなおっかなびっくりで扉を開け、餌箱を放り投げるようにして入れる。クチバシでつつかれるのが怖いのである。鶏は子供達を馬鹿にしたようにうまそうに餌を食べ、水を口に含んで大声でトキの声をあげた。
それでもいちばん大柄な女の子は怖がらず、上段の小舎の扉を開けて餌箱を差し入れた。すると中から数羽の鶏がクチバシを突き出した。女の子はびっくりして手を放した。鶏はいっせいに外へ飛び出した。
五羽の鶏が校庭に飛び出したのを見て、子供達は大さわぎになった。女の子はきゃあといって逃げ出した。「先生、々々」といって男の子まで逃げ出した。鶏達は久しぶりの外に興奮したのか一ヶ所にかたまって、水溜りをけちらせ、こぼれた餌を拾って食べ、トキの声をあげた。捕えてやろうと私が追いかけると、鶏達は争って逃げた。背中の娘は狂ったように喜んだ。
そこへ子供達に呼ばれて女の先生がやってきた。若い女学生のような先生である。ズックの靴をはいていた。彼女は餌をついばんでいる鶏の背後からそっと近寄ると、サッと捕まえ羽をつかんで、ジタバタするのを鶏小舎の上段へ放り投げた。水溜りを避けながらひょいひょいと跳んで、次々鶏を捕まえ小舎に放りこんだ。あっという間の早業だった。鶏達も猫のようにおとなしいのがなにやらおかしかった。全部を収容すると子供達が拍手をした。先生は少し頬を染めた。
鶏達は静かになった。先生も子供達もいなくなった。帰りがけ私は背中の娘に聞いた。「ピッピちゃんどうした?」
「ピッピちゃんピョンしてた。センセイ、ピッピちゃんをつかまえた」
娘は大声で答えた。
井川博年
「胸の写真」所収
1980
やがて地獄へ下るとき
そこに待つ父母や
友人に私は何を持って行かう
たぶん私は懐から
蒼白い、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう
さうして渡しながら言ふだろう
一生を
子供のやうに、さみしく
これを追ってゐました、と
西條八十
「美しき喪失」所収
1929
まっさらな舌
どんなことばの欠けらものせたことがない
どんな食物もあじわったことがない
うまれたばかりのま新しい舌
それら聖なる純白の舌千の舌万の舌
なにかとてつもない予言を発するにふさわしい
それらうまれたてのきよらかな舌よ
白くすきとおってやわらかいその舌たちは
この世にうまれてほんの数分で脱けおちてしまうので
うみおとす当の本人さえみたことはないのだけれど
ねえ母さん
つぎからつぎへとうまれてきて
こっそりときえていく
あれらまっさらな舌たちは
いったいどこにいるのでしょうね
すりかえられた舌ともしらずわけしりがおに
鴨のオレンジ・ソースなどうれしげに食べている
どんな痴れ言だってぬけぬけといいとおしてみせる
わたしたちの舌のどこかに
かすかにあのまっさらのすきとおった
ついに一切から不可蝕のまま
消えていった舌たちへのうしろめたさがのこっていて
それで時々
ひとはぴったりと心よりそったつもりのおしゃべりの最中
とりつくしまもなくふいにこわばる舌の上で
ことばのつぎほ見失ったりするのではないでしょうか
征矢泰子
「花の行方」所収
1992
わたしを解き放ってください
わたしは ステインドグラスの影にそまった
床のうえの 小さなしみをみつめているのです
愛がこわい やさしさがこわい
かみつぶす思いの悔いがこわい
わたしをいのちに誘わないでください
わたしはどこへも行かない 笑わない
ここに このじっとしたひとりの場所に
わたしを解き放ってください
わたしの肩に手を置かないで
ふりむかせないで
わたしの見つめている小さなしみを
親切な 大きな掌で
ふいてしまわないでください
吉原幸子
「魚たち・犬たち・少女たち」所収
1975
夏は慌しく遠く立ち去つた
また新しい旅に
私らはのこりすくない日数をかぞへ
火の山にかかる雲・霧を眺め
うすら寒い宿の部屋にゐた それも多くは
何気ない草花の物語や町の人たちの噂に時をすごして
或る霧雨の日に私は停車場にその人を見送つた
村の入口では つめたい風に細かい落葉松が落葉してゐた
しきりなしに・・・部屋数のあまつた宿に 私ひとりが
所在ないあかりの下に その夜から いつも便りを書いてゐた
立原道造
「拾遺詩編」所収
1939
僕は生きられるだろう
僕は生きる
白菜の肌を舐めまわす
朝のかまどの火のように
僕は生きられるだろう
僕は生きる
夜ふけの皿の煮凝のように
肉と骨から完全に分離されて
僕は生きられるだろう
僕は生きる
中途でよじれちぎれながら
物をつかんでいる
枯れた蔓草のように
僕は生きられるだろう
僕は生きる
ただひとりでも僕は生きる
枯草の中で僕をつまずかせる
石のような
自分の生を確かめて
木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966