雨中の鶏

 私の娘はまだ二歳だが、実に外出好きで、朝早くから赤いゴム長靴をはいて、階段をおりて外へ出て行く。一日外で遊んで飽きることがない。羨ましいほどである。雨が降るとレインコートを着て出かけて行く。
 日曜日。外は大雨であった。秋の始めのひさかたぶりの雨である。私は布団の中で本を読んでいた。娘は朝からさわいでいる。外へ出たくてしかたがないのである。何回も外の雨を見せるのだが納得しない。そのうちとうとう泣き出してしまった。そこで私が外へ連れて行くことになった。赤ん坊の時のおぶりひもでおんぶし、傘をさして近くの小学校へ行った。
 校庭にはだれもいなかった。家鴨の小舎を見て、鳩小舎を見、鶏小舎を見て、それから無人の教室に入って椅子に座り、黒板に貼ってある絵をひとつずつ眺めた。娘は大喜びである。「ピッピちゃーん」と大声で呼ぶ。鳥類はすべて「ピッピちゃん」である。
 ひとしきり見たので帰ろうとして、鶏小舎の方へ行くと、一、二年生らしい小学生達が五、六人で餌をやっていた。二段になっている高い小舎で、餌は刻んだキャベツとトウモロコシである。子供達はみなおっかなびっくりで扉を開け、餌箱を放り投げるようにして入れる。クチバシでつつかれるのが怖いのである。鶏は子供達を馬鹿にしたようにうまそうに餌を食べ、水を口に含んで大声でトキの声をあげた。
 それでもいちばん大柄な女の子は怖がらず、上段の小舎の扉を開けて餌箱を差し入れた。すると中から数羽の鶏がクチバシを突き出した。女の子はびっくりして手を放した。鶏はいっせいに外へ飛び出した。
 五羽の鶏が校庭に飛び出したのを見て、子供達は大さわぎになった。女の子はきゃあといって逃げ出した。「先生、々々」といって男の子まで逃げ出した。鶏達は久しぶりの外に興奮したのか一ヶ所にかたまって、水溜りをけちらせ、こぼれた餌を拾って食べ、トキの声をあげた。捕えてやろうと私が追いかけると、鶏達は争って逃げた。背中の娘は狂ったように喜んだ。
 そこへ子供達に呼ばれて女の先生がやってきた。若い女学生のような先生である。ズックの靴をはいていた。彼女は餌をついばんでいる鶏の背後からそっと近寄ると、サッと捕まえ羽をつかんで、ジタバタするのを鶏小舎の上段へ放り投げた。水溜りを避けながらひょいひょいと跳んで、次々鶏を捕まえ小舎に放りこんだ。あっという間の早業だった。鶏達も猫のようにおとなしいのがなにやらおかしかった。全部を収容すると子供達が拍手をした。先生は少し頬を染めた。
 鶏達は静かになった。先生も子供達もいなくなった。帰りがけ私は背中の娘に聞いた。「ピッピちゃんどうした?」
「ピッピちゃんピョンしてた。センセイ、ピッピちゃんをつかまえた」
 娘は大声で答えた。

井川博年
胸の写真」所収
1980

One comment on “雨中の鶏

  1. 「雨中の鶏」は井川様の許諾をいただいた上で掲載しております。
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