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詩の計画

「ドイツからの手紙」という詩集がつくりたいんだ それから
「アフリカのソネット」
五十歳になったら着手したいね だから
ドイツとアフリカに行かなくちゃ
ドイツには森を見に行く
アフリカには動物の足音を聞きに行く
人間の言葉を聞く必要がないんだから
ぼくは語学の勉強なんかしないよ

言葉以外のものを聞くために耳を訓練せよ
黒い土からはえて黒い土にかえって行くものを見るために
眼を訓練せよ
そして舌は
土でできている言語
土でできている人間を愛撫するために

田村隆一
「新年の手紙」所収
1973

空へ消える

手でそっとぼくに触れてみた
ぼくは昨日のぼくと全く同じものだ
一つつきりだ
ぼくに加わつたものは今日のこの顔ばかりだ
かなしいときに
うれしいときに
一日を静かに通りぬけていくこの顔だけだ
しかしいま何も持つていないぼくがどんなにそれに堪えているか
だが時には真白い空をたぐりよせて
ひねもすぼくをそれに縫い合せて
それから空の中へひと羽摶きはばたいて消え去つてしまうことがある

嵯峨信之
「魂の中の死」所収
1966

ミネラルショップの片隅で。

 色とりどりの美しい鉱物や、原始の姿をとどめたまま悠久の時に身をあずける太古の化石類を所狭しと陳列した、街のミネラルショップに立ち寄る。するとそこに、鯨の耳石と名付けられた商品が置かれている。わずかに反りをもつ姿形の全体をくすんだ暗黒が覆い、わずかにしめやかにつやを帯びている。やや横長にずんぐりとして楕円の形状に近く、内側に大きくカーブする大小の渦巻きの層を刻む。掌に包みこむ。しっかりと重量を保つのがわかり、静謐がひんやり染み込んでくる。

 鯨類に属するものには、エコーロケーションとよばれる超音波による周辺情報の把握や餌の採取、仲間との意思疎通を行うものたちがいて、音の受動と伝達は骨伝導によるという。耳の穴はふさがり耳殻も持たないとされる。いつしかわたしは想像の川をくだりながら、彼らはいったいどんな会話を行っていただろうかと、やがて思考の網はゆるやかにひもとかれて流氷のささやきのままに誘われていく。

 きこえというものが鈍かったらしい。物心ついたころすでに耳鼻科に通院していた。高校に上がり大学病院に行き、精密検査を受けたところ、わたしの左耳には聴力がなかった。断続的に流される微細な機械音を聞き取り、手元の丸いボタンを押せば大きく右へぶれるはずの検査機器の針は停止したままだった。
 現代医学では不可能
 大きな音は避けるように
 医療は日進月歩だから と、わたしを見て医師が言った。
 残る右側を大事にしながら治療が可能になる日を待つ。そういうことだった。

 慰めや同情。そうした人に備わる諸々の感情は大事だ。たとえ意味の裏側を伝えるため、そのようなものだとしても。言いあらわすことの、言いつくすことのできない、───はりついたままの沈黙、とともにわたしは今も海原をめぐりつづけている。変わらず止むことを知らない喧騒のなか。

湯煙
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

散歩

 ただ歩く。手に何ももたない。急がない。気に入った
曲り角がきたら、すっと曲がる。曲り角を曲ると、道の
さきの風景がくるりと変わる。くねくねとつづいてゆく
細い道もあれば、おもいがけない下り坂で膝がわらいだ
すこともある。広い道にでると、空が遠くからゆっくり
とこちらにひろがってくる。どの道も、一つ一つの道が、
それぞれにちがう。
 街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目をするす
るとひろげてゆくように、曲り角をいくつも曲がって、
どこかへゆくためにでなく、歩くことをたのしむために
街を歩く。とても簡単なことだ。とても簡単なようなの
だが、そうだろうか。どこかへ何かをしにゆくことはで
きても、歩くことをたのしむために歩くこと。それがな
かなかにできない。この世でいちばん難しいのは、いち
ばん簡単なこと。

長田弘
深呼吸の必要」所収
1984

はなのふじ

まひるまにゆめのように咲くはなのかぎりを出て
出てゆくあなたに肩をならべてあるきながら
わたしのあしはゆめを踏んで
ゆめを出るうつつを踏んで
わらうあなたがはなにみえるゆめのまひる。
ふじのはなが
その名のふじが
わたしをからめたふじのいろを咲いているのを知りもせずに。
はなの岸にあるいていって
名のないあなたに溶けるときに
はなのまひるに咲いていたのを知りもせずに。

三井葉子
まいまい」所収
1972

祈り

母よ目をおひらき下さい
花びらばかりです
この世の中空は
あなたを焼いた炎の海の
波頭が瞼のむれみたいに消え残っていて
はれぼったい八重桜の花びらばかりです
緑の炎える葉っぱを食べあきて肥った毛虫のわたしを
間もなく火葬にしてくれるためにあかるむ炎の花びら
母よ目をおひらき下さい
この世の白い中空は
八重桜の紅で耀きたとうとして
わたしにはなやかな眠りの波頭をよせる
母よ花びらばかりです花びらばかりです

宗左近
「炎える母」所収
1967

沈黙は詩へわたす
橋のながさだ
そののちしばらくの
あゆみがある
それはとどまる
ふりかえる距離が
ふたつの端を
かさねあわせた
夜目にもあやな
跳ね橋の重さなのだ

石原吉郎
水準原点」所収
1972

洗濯

酒を飲み
ユリを泣かせ
うじうじといじけて
会社を休み

いいところはひとつもないのだ
意気地なし
恥知らず
ろくでなしの飲んだくれ

われとわが身を責める言葉には
限りがない
四畳半のしめっぽい部屋のなかで
立ち上ったり坐ったり

わたしはくだらん奴ですと
おろおろと
むきになって
いまさら誰に訴えよう

そうかそうかと
誰かがうなずいてくれるとでもいうのか
もういいよもういいよと
誰かがなだめてくれるとでもいうのか

路傍の乞食が
私は乞食ですと
いまさら声を張りあげているような
みじめな世界

しめっぽい四畳半の真中で
僕はあやうく立ち上がり
いそいで
洗い場へ駆けてゆく

小さなユリのシュミーズを洗い
パンツを洗い
誰もいないアパートの洗い場で
見えない敵にひとりいどむ

水は
激しく音をたてて流れ
木の葉は梢で
かすかに風にうなずく

黒田三郎
小さなユリと」所収
1960

機関車

彼は巨大な図体を持ち
黒い千貫の重量を持つ
彼の身体の各部はことごとく測定されてあり
彼の導管と車輪と無数のねじとは隈なく磨かれてある
彼の動くとき
メートルの針は敏感に回転し
彼の走るとき
軌道と枕木といつせいに振動する
シヤワッ シヤワッ という音を立てて彼のピストンの腕が動きはじめるとき
それが車輪をかきたてかきまわして行くとき
町と村々とをまつしぐらに駆けぬけて行くのを見るとき
おれの心臓はとどろき
おれの両眼は泪ぐむ
真鍮の文字板をかかげ
赤いランプを下げ
つねに煙をくぐつて千人の生活を運ぶもの
旗とシグナルとハンドルとによつて
かがやく軌道の上をまつたき統制のうちに驀進するもの
その律儀者の大男のうしろ姿に
おれら今あつい手をあげる

中野重治
「中野重治詩集」所収
1931

私の屋敷には秋の終り頃はぐれて一羽
柿の木のてっぺんに止まって残り実をつつく
小鳥がいる
子供たちがその小鳥に石を投げつけようとすると必ず「しっつ!」と
私の中で強く止めるものがある
妻となり 主婦となり 母となって 幾年
知らず知らず私は妻らしく母らしく主婦らしくなり
二十代 三十代 四十代と
着物も動作も髪型も変っていった
だのにこの変化についてこない
いつまでも私の中に
おきざりにされたままの少女がいる
人前にもどこへも顔を出すことの出来ないこの少女は
いつもこの屋敷の柿の木のてっぺんの
いずれの梢かに止まって飛び去らない

堀内幸枝
不意の翳」所収
1974