Category archives: Chronology

森。
彼女にひそむ無言。

夜を行く裸形の群。
彼等は踊る。

魚。
愚かなる野の祭り。

吉田一穂
海の聖母」所収
1926

わが住処

裏の谷間の小川をせり上った行きどまりの
三角地
みんなが粗末にしている石ころだらけの
地形がある
私は
そこが好きなのだ
小川にかかった
一本の丸木橋の袂のところに
四角い柱を組んで
方丈ほどの家を建てたい
お父さん お母さん 前のトマト畑と
あそこに一軒 家たってくれろ
庭に籾筵を干して
川の縁には一本の緋桃の木を植えるよ
私を嫁にやらんで
葱坊主で囲んだ
あの三角畑とトマト畑
私にくれろ
あそこに婿とってくれろ

堀内幸枝
村のアルバム」所収
1957

ある孤独

座っているのは彼の子どもたち。
包んであるのは骨壷だ。
写真のまえの
甘いものをつかんでむしゃむしゃ食う。
誰かついでくれたウィスキーをぐいとひっかける。
さびしくも口惜しくもなく。
──死んじまいやがって。
このしらじらしいおもいは
死んだやつにはわかるまい。
「いい人でしたねエ」
それっぽっちの無内容な回想言葉で
誰かれの記憶のなかに
うすっとぼけてゆくだけのものとなりおわった。
今夜ここで呑んでいるのは生きているものの特権だ。
すっぱぬきも
おひゃらかしも
おまえのかくしばなしも酒のサカナ。
つゆどきにしては また凄い雨が降るものだ。
死んでしまってはなにも知らぬということが無性にシャクにさわるのだ。
生きて残っているものがバカを見る。
こんな死んだやつも背負って
立って歩かねばならない。

秋山清
ある孤独」所収
1959

子供のころ僕は壁にマリを投げつけては受
けとめてあそんだ いま僕はあのマリだ
朝とんで出て夕方はね帰つてくる 家族は
それをうけとめてあそぶがいゝ 僕はマリ
だ はづんだマリだ

杉山平一
声を限りに」所収
1946

隠れんぼう

 雨空を、すばらしい青空にする。角砂糖を、空から墜
ちてきた星のカケラに変える。五本の指を五本の色鉛筆
にして、風の色、日の色をすっかり描きかえる。庭にチ
ョコレートの木を植える。どんなありえないことだって、
幼いきみは、遊びでできた。そうおもうだけで、きみは
誰にでもなれた。左官屋にだって。鷹匠にだって。「ハ
ートのジャック」にだって。
 できないことができた。難しいことだって、簡単だっ
た。遊びでほんとうに難しいのは、ただ一つだ。遊びを
終わらせること。どんなにたのしくたって、遊びはほん
とうは、とても怖しいのだ。
 きみの幼友達の一人は、遊びの終わらせかたを知らな
かった。日の暮れの隠れんぼう。その子は、おおきな銀
杏の木の幹の後ろに、隠れた。それきり、二どと姿をみ
せなかった。銀杏の木の後ろには、いまでもきみの幼友
達が一人、隠れている。

長田弘
深呼吸の必要
1984

非力

みんなが傷口をもってゐる
<炎える母>を読みかへして
はじめて泣いた

他人にも傷がある そのことで
救はれるときが たしかにある

でも
わたしの傷が 誰を救ふだらうか

蝶から空を
空から蝶を
奪った

鱗粉があたりに散ってゐる
くもは 頭を垂れる

いまこそ 大きなやさしさになりたい
傷みごと そのための爪ごと
すべてを包みたい

神の出番だ

吉原幸子
「昼顔」所収
1973

いま

もう おそい
いつも
そう 思った

いまから思うと
おそくはなかったのに

まだ 早い
いつも そう思った
そうして いつも
のりおくれた

大事なのは いまだ
やっと 気がついた
もう おそい

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

富士

重箱のやうに
狭つくるしいこの日本。

すみからすみまでみみつちく
俺たちは数えあげられてゐるのだ。

そして、失礼千万にも
俺たちを召集しやがるんだ。

戸籍簿よ。早く焼けてしまへ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。

息子よ。
この手のひらにもみこまれてゐろ。
帽子のうらへ一時、消えてゐろ。

父と母とは、裾野の宿で
一晩ぢゆう、そのことを話した。

裾野の枯林をぬらして
小枝をピシピシ折るやうな音を立てて
夜どほし、雨がふつてゐた。

息子よ。づぶぬれになつたお前が
重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら
自失したやうにあるいてゐる。それはどこだ?

どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやつと明ける。

雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
洗いざらした浴衣のやうな
富士。

金子光晴
」所収
1948

片道切符

私は切符を手にした
春だった
日付けは刻印され
改札はパチンと
心にまで深く穴をあけた
もう戻れない

ホームにベルが鳴りひびく

再び帰れぬと心にきめて
その日 私の十八歳は出発した

杉山平一
ぜぴゅろす」所収
1977

散る

時を待つものもいるだろう
いやいやしながら
その時がくるものもあるだろう
空から断が下る
いきなり魔の時がくるものもあるだろう
花は惜しまれても
その時がくるまえに
潔く散る

高木護
「やさしい電車」所収
1971