重箱のやうに
狭つくるしいこの日本。
すみからすみまでみみつちく
俺たちは数えあげられてゐるのだ。
そして、失礼千万にも
俺たちを召集しやがるんだ。
戸籍簿よ。早く焼けてしまへ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。
息子よ。
この手のひらにもみこまれてゐろ。
帽子のうらへ一時、消えてゐろ。
父と母とは、裾野の宿で
一晩ぢゆう、そのことを話した。
裾野の枯林をぬらして
小枝をピシピシ折るやうな音を立てて
夜どほし、雨がふつてゐた。
息子よ。づぶぬれになつたお前が
重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら
自失したやうにあるいてゐる。それはどこだ?
どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやつと明ける。
雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
洗いざらした浴衣のやうな
富士。
金子光晴
「蛾」所収
1948