月光日光

月光の

    語るらく

わが見しは一の姫

  古あをき笛吹いて

  夜も深く塔の

  階級に白々と

    立ちにけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姫

  香木の髄香る

  槽桁や白乳に

  浴みして降りかゝる

  花姿天人の

  喜悦に地どよみ

    虹たちぬ

 

月光の

    語るらく

わが見しは一の姫

  一葉舟湖にうけて

霧の下まよひては

  髪かたちなやましく

    乱れけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姫

  顔映る円柱

  驕り鳥尾を触れて

  風起り波怒る

  霞立つ空殿を

  七尺の裾曳いて

  黄金の跡印けぬ

 

月光の

    語るらく

わが見しは一の姫

  死の島の岩陰に

  青白くころび伏し

  花もなくむくろのみ

    冷えにけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姫

  城近く草ふみて

  妻覓ぐと来し王子は

  太刀取の耻見じと

  火を散らす駿足に

  かきのせて直走に

  国領を去りし時

  春風は微吹きぬ

 

伊良子清白

孔雀舟」所収

1905

負債の証券化について

(日本経済新聞連載「経済教室」より③)

 

80年代に入って急速に普及した負債の証券化

所謂「セキュリタイゼイション」は

それまで閉ざされていた債権者⇔債務者の関係を

本来の負債とは無縁の投資家へと解放することにより

全く新しい巨大金融市場を創出した

斯くしてアルゼンチンの首都に群がる失業者たちの未来は

先進諸国の銀行団(syndicate)の手を離れ

シアトル郊外で美しい朝露を光らせる芝生の行方は

日本の個人投資家たちの見定めるところとなった

だが如何に幅広く分散しようと

本来の負債に内在するリスクが消失する訳ではない

国家財政に巨額の損失を与えたS&L危機の問題を持ち出すまでもなく

投資に際してはこの点に充分留意する必要があろう

たとえば路上にたたずむ娼婦の胸に故知らず湧き上がる厭な予感

その感覚は証券化により流通可能に標準化され

全世界の都市から農村へと忽ちにして伝播される

その波から逃れることは水牛の背に止まる小鳥にも不可能なので

オプションあるいはスワップ等のヘッジング取引を介して

速やかに青空へ飛び去ることが望ましい

 

四元康祐

笑うバグ」所収

1991

ボール 2

ゆきちゃんが

てんこうして

ゆきちゃんのすがたが

みえなくなったら

ますますゆきちゃんのことが

どんどんすきになって

ゆきちゃんは

てんこうしていったけど

ひょっとしたら

まだ ゆきちゃんは

いえにいるかもしれないと

おもったから

がっこうのかえりに

ぼくは

ゆきちゃんのいえにむかって

どんどんはしっていって

ゆきちゃんのおおきないえに

いきはーはーついたけど

ゆきちゃんのいえには

だれもいなくて

ひろいにわをのぞいたら

いぬごやのまえに

ぼくのたいせつな

まついのサインボールが

ころがっていた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

ボール 1

ゆきちゃんのことが

こんなにすきなのに

ゆきちゃんは

てんこうしてきたばかりなのに

おとうさんのしごとで

ゆきちゃん

またてんこうしていくから

ぼくはげたばこのところで

ゆきちゃんを

どきどき まっていて

ぼくのいちばんたいせつな

まついのサインボールを

どきどき あげたら

ゆきちゃんは

ありがとうと

ランドセルのなかに

いれてくれた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

暴風のあとの海岸

白──

明るい海のにほひ、

濁った雲の静かさ、

 

白──灰──重苦しい痙攣・・・・・・・

腹立たしいような、

掻き毟しつたやうな空。

 

藻──流木──

磯草のにほひ。

 

白──

岸と波とのしづかさ。

 

──忘却──夢──

苦悶の影──

白──

 

波の遠くに遠くにひびく

 夢の如うな音──狂ひ──嘆き──

 

──白

──濁り──風

 

風──

しづかな音

風──

 

白──

 

川路柳虹

「路傍の花」所収

1910

あかんぼ

昨日うまれたあかんぼを、

その眼を、指を、ちんぽこを、

真夏真昼の醜さに

憎さも憎く睨む時。

 

何かうしろに来る音に

はつと恐れてわななきぬ。

『そのあかんぼを食べたし。』と

黒い女猫がそつと寄る。

 

北原白秋

思ひ出  抒情小曲集」所収

1911

Bei Hennef

 The little river twittering in the twilight,

The wan, wondering look of the pale sky,

             This is almost bliss.

 

And everything shut up and gone to sleep,

All the troubles and anxieties and pain

             Gone under the twilight.

 

Only the twilight now, and the soft “Sh!” of the river

             That will last forever.

 

And at last I know my love for you is here,

I can see it all, it is whole like the twilight,

It is large, so large, I could not see it before

Because of the little lights and flickers and interruptions,

             Troubles, anxieties, and pains.

 

             You are the call and I am the answer,

             You are the wish, and I the fulfillment,

             You are the night, and I the day.

                          What else—it is perfect enough,

                          It is perfectly complete,

                          You and I.

Strange, how we suffer in spite of this!

 

D. H. Lawrence

From “Love Poems and Others”

1913

 

ヘネフにて

 

小さな川が薄明の中、ささやいている

青白く、おぼろな空は素晴らしい眺めだ

何という無上の喜び

 

万物が静まり返り、眠ろうとしている

全ての苦悩、懊悩、痛みは

行ってしまったのだ。薄明の中へと。

 

今は薄明と、そして川の優しくささやく音だけがある

それは永遠に続くだろう

 

そしてついに、私はあなたへの愛を今ここに感じ取る

私はそれを全て掴み取ることが出来る、この目の前の薄明のように

それは大きい。大きすぎて、だから気づかなかったのだ。

光が少なすぎたのだ、それにちかちかと瞬き、邪魔が入ってしまう

苦悩、懊悩、そして痛み。

 

あなたは「呼ぶ声」そして私は「答える声」

あなたは「希望」そして私は「満たすもの」

あなたは「夜」そして私は「昼」

何と言うことだ。完璧ではないか。

そう正に完璧。

あなたとそして私。

何と奇妙なことだ!それなのに、私たちは傷ついている!

愛燐

きつと可愛いかたい歯で、

草のみどりをかみしめる女よ、

女よ、

このうす青い草のいんきで、

まんべんなくお前の顔をいろどつて、

おまへの情慾をたかぶらしめ、

しげる草むらでこつそりあそばう、

みたまへ、

ここにはつりがね草がくびをふり、

あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、

ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、

お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、

さうしてこの人気のない野原の中で、

わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、

ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、

おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

豆をひく男

手動のコーヒーミルで

がりがりとコーヒー豆をひくとき

男はいつも幸福になるのだった

それは男自身が

気がつかぬほどの微量の幸福であり

手ではらえばあとかたもなくなってしまう

こぼれたひきかすのようなものだったが

この感情をどう名づけてよいか

男自身にはわからなかった

長い年月

男は

自分が幸福であるとは

ついに一度もかんがえたことはなかったし

そもそも

不幸とか幸福という言葉は

じぶんがじぶんじしんに対して使う言葉ではなく

常に

他人が使う言葉であると

かんがえてきた

そしてこの朝のささやかな仕事が

自分に与えるささやかなものを

幸福などと呼んだことは一度もなかったし

ましてや

自分をささえる小さな力であることに

気付きようもなかった

 

コーヒーを飲んだあと

男は路上の仕事に出かけるのだ

看板を持ち

一日中、裏道の中央に立ち続ける仕事

看板の種類にはいろいろあって

大人のおもちゃ、極上新製品あり、このウラ

とか

CDショップ新規開店、一千枚大放出

などと書かれている

同じ場所・同じ位置に立ち続けること

それは簡単なようでいて難しい修行だった

生きている人間にはそれができない

彼らは始終、移動している

なぜ、一つの場所にとどまれないのか

なぜ、石のように在ることができないのか

男は板の棒を持って立っていると

いつも自分が棒に持たれているような気持ちになったものだ

「生きている棒」

そう自分につぶやくと

眼の奥が次第にどんよりとしてくるのだった

そんなとき、男はすでに

モノの一部に成り始めているのかもしれない

 

いつか勤務帰りの深夜

男は

駐車場の片隅で

黒い荷物が突然動き出したことに

驚いたことがあった

浮浪者の女だった

そのとき

一瞬でも、人をモノとして感じた自分に

はじめて衝撃を受けたのだったが

いまはその自分が

容赦もなく物自体になりかけている

しかし

きょう、始まりのとき

男はいまだ全体である

一日は

コーヒーを飲まなければ始まらないのだから

だから、こうして豆をひくことは

男の生の「栓」を開けることなのだった

男は

いつからかそんな風に感じている自分に少し驚く

豆をひき、コーヒーをつくる時間など、五分くらいのものだが

その五分が

自分にもたらす、ある働き

その五分に

自分が傾ける、ある激しさ

そして

この作業を

小さな儀式のように愛し

誰にもじゃまされたくないといつからか思った

もっとも、じゃまをする人間など、ひとりもいなかった

男はいつも一人だったのだ

 

がりがりと

最初は重かったてごたえが

やがてあるとき

不意に軽くなる

この軽さは

いつも突然もたらされる軽さである

 

 まるで死のように

 死のように

 

そのとき、ハンドルは

からからと

骨のように空疎な音をたてて空回りする

ようやく豆がひけたのだ

 

着手と過程と完成のある

この朝の仕事

きょうも重く始まった男のこころが

コーヒー豆をがりがりとひくとき

こなごなになり

なにかが終る

きょうが始まる

容赦のない日常がどっとなだれこむ

コーヒー豆はひけた

そして男は

「豆がひけた」と

口に出してつぶやく

 

小池昌代

雨男、山男、豆をひく男」所収

2001

魚の祭礼

人間のたましひと虫のたましひとがしづかに抱きあふ五月のゆふがた、

そこに愛につかれた老婆の眼が永遠にむかつてさびしい光をなげかけ、

また、やはらかなうぶ毛のなかににほふ処女の肌が香炉のやうにたえまなく幻想を生んでゐる。

わたしはいま、窓の椅子によりかかつて眠らうとしてゐる。

そのところへ沢山の魚はおよいできた、

けむりのやうに また あをい花環のやうに。

魚のむれはそよそよとうごいて、

窓よりはひるゆふぐれの光をなめてゐる。

わたしの眼はふたつの雪洞のやうにこの海のなかにおよぎまはり、

ときどき その溜塗のきやしやな椅子のうへにもどつてくる。

魚のむれのうごき方は、だんだんに賑かさを増してきて、

まつしろな音楽ばかりになつた。

これは凡てのいきものの持つてゐる心霊のながれである。

魚のむれは三角の帆となり、

魚のむれはまつさをな森林となり、

魚のむれはまるのこぎりとなり、

魚のむれは亡霊の形なき手となり、

わたしの椅子のまはりに いつまでもおよいでゐる。

 

大手拓次

1934