静かなクセニエ(わが友の独白)

私の切り離された行動に、書かうと思へば誰
でもクセニエを書くことが出来る。又その慾
望を持つものだ。私が真面目であればある程
に。

 と言つて、たれかれの私に寄するクセニエ
に、一向私は恐れない。私も同様、その気な
ら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが
出来るから。

 しかし安穏を私は愛するので、その片よつ
た力で衆愚を唆すクセニエから、私は自分を
衛らねばならぬ。

 そこでたつた一つ方法が私に残る。それは
自分で自分にクセニエを寄することである。

 私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と
振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、
寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さ
うすることで、彼らの風上に立つのである。
悪口を言つた人間に慇懃にすることは、一の
美徳で、この美徳に会つてくづほれぬ人間は
少ない。私は彼らの思ひついた語句を、いか
にも勿体らしく受領し、苦笑をかくして冠の
様にかぶり、彼らの目の前で、彼らの慧眼を
讚めたたへるのである。私は、幼児から投げ
られる父親を、力弱いと思ひこむものは一人
も居らぬことを、完全にのみこんでゐてかう
する。

 しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決
して粗野な彼らの言葉を、その儘には受領し
ない。いかにも私の丈に合ふやうに、却つて、
それで瀟洒に見える様、それを裁ち直すのだ。

 あゝ! かうして私は静かなクセニエを書
かねばならぬ!

 

伊東静雄

わがひとに与ふる哀歌

1935

雑木林 そのファンタジア

僕は雑木林が好きだ

(雑木林は お前だ)

 

多彩な感情が溢れて 四季に変貌する

ありきたりの

エゴが花を咲かせ 楢や櫟が紅葉し

やわらかな起伏が豊かにあって

下生いの雑草が 野兎やミソサザイの歌をかくしている

 

高い山でないのがいい

深い森でないのがいい

耕された土地でないのがいい

いつも僕を呼んでいる

林は

僕を招き入れて

林のなかに溶かしてしまい

沁みてきて

僕のなかに緑のしげりをつくる

 

──その道を

どれほど来たのだろうか

僕の前に

林の このひろがり

歩むところが道となり

すべてが

わがままな歩みのために準備されている

 

夕ぐれ 紫の露を散して露草が咲いていた

そこに 林の入口があった

僕は 言葉や身振りや不自然に自分を飾りたてるものをすてて

林の気に抱かれて 跳びはねる

野兎になろう

起伏のひろがりこそ 僕の故郷だ

 

たれにも狙われてはいない

もう時間をかけて あんなにおびえることはいらない

かたくなな 僕に 重い言葉を強いるものはいない

遠い道程へ駆りたてる むちの音に 身体をさらすこともない

意志に反した言葉にも

つくり笑いにも

疲れなくていい

ここは 僕一人に許された場所だ

 

抱かれている

一人の僕が 全体なのだ

林の全体が 僕なのだ

やわらかく包まれて 僕は 昇華し透明な存在になる

朝の林に太陽がかがやき始めるとき

光 が

樹木のあいだを縫い

葉むらを織りなしてすみずみまでも沁みとおっていくように

豊かな起伏を見せる 地肌が

静かに うるおいを枯生いの根元ににじませて しだいに 春を呼ぶとき

みずからの速度に温まりながら

明るいスロープを 沢へすべるように愛撫の息吹を送り込んでいく

僕は

風の 透明なゆらめきだけを残して

溶けてしまうのだ

 

魂の声の聞こえる静かな奥の方の場所で

幾つかの合図を待ちながら

そして

夏はエゴの白い可憐な 花の

冬はヤブコウジのつぶらな 実の

甘える眸がジッと見まもっている

オリオンのまたたくよる 林はその十字の影を地肌に焼きつけた

 

弱い陽差しをあつめて 陽溜りをつくっている

笹むらの蔭に 僕は

疲れた身体を しばしの憩に横たえる

つらい歩みを僕は言わない

荒い呼吸を整えよう

(リンドウの気づかわしげに覗く目を知っているから)

言葉の葉をふり落して

姿態をあらわしてきたさまざまの樹木の思想

その梢の上にひろがる 青い空

木の間にちらつく遠い地平の山脈

その距離の越えて行かなければならない いくつもの冬の季節の訪れに耐えるために

僕が

熱い光の息吹となって どのように吹込もうと

風の掌のぬくもりで愛撫をかさねようと

(懸命な努力にかかわらず)

いくたびか 冬は 林に迫って容相を変えるだろう

(時の流れのなかで)

光は雲にさえぎられ

風は奪いとり 裸を強いるだろう

(自然の摂理の厳しさは)

幾月も 幾回も 繰返して

ふるえる裸身の上にさらに覆うだろう

僕は

冬の林を 胸のなかに抱くだろう

僕の胸に厚い氷がはりつめるとき 林も霜柱の柱廊にかこわれて窒息するだろう

だが 僕は

信じることが出来る

耳を傾けて聞こう

枯生いの地肌に頬をこすりつけよう

固い樹皮の内側に流れる 樹木のさかんな脈動がある

かわいた地表に散した枯葉の裏側で けんめいにしめり気を蓄えているいとしさがある

一面に林を埋めた 雪が

樹木の根元から

落葉の下のぬくもりから

ほころびていく

ふっくらした黒い土の水みずしい部分に かげろうの息吹が立ち

朝もやが うすれながら後退して領域をひろげていく

早春の目覚めのなかで

林は いっせいに溢れてくる

 

──不意に

コロ コロと明るい声がはじけ

小雀の群が しじまをくすぐって飛び過ぎる

僕は

何か たまらぬところにうっかりと触れてしまったらしい

林の流れは

メルヘンの純粋さできよらかに溢れてくる

小鳥の可憐な胸をはずませて 悦びにふるえるところから

散らした枯葉が いくえにも重ねた想いをつづけるあいだから

野兎の無邪気なかわきをうるおすために

泉は吹き上げてくる

流れは小砂をひたし 石の合いまを縫って

光にあたって 明るくかえし

悦びの笑を羞らいながら立てて

ひそかに流れは

沢の奥の しげみの見えがたい内にかくす

流れの 源は つつましくかくしていなければいけない

僕は

この静寂をいくたびか驚ろかし 騒がせてしまっただろう

夢と まどかな想いを乱してはいけないのに

 

エゴの花が咲くころ

林は

さらに豊かなみどりを波打たせる

僕の帆船は水尾を引いて走り

波の底では

僕の夢のために一つの扉が音もなくひらきみどりの部屋を準備する

疲れたキャプテンは

漂泊の時の間を

青草の揺籃にゆられながら

進路の誤差を星座に修正するのだ

雲が 透明な水の底まで 他人ごとのように流れる影を落すが

ここでは 行きかう旅人もいないので

僕は

道を尋ねられたりして あわてたりいらだつこともない

羊の睡りは 林の午睡に重ねられる

もはや 僕と林との関係を 性急な乾いた接吻で傷つけることもない

時の しだいに熱してくる気に包まれて 無邪気な興奮があるばかりだ

 

青木繁

「青木繁詩集」所収

1959

記憶

 もしも一人の男がこの世から懸絶したところに、うら若い妻をつれて、そこで夢のやうな暮しをつづけたとしたら、男の魂のなかにたち還つてくるのは、恐らく幼ない日の記憶ばかりだらう。そして、その男の幼児のやうな暮しが、ひつそりとすぎ去つたとき、もう彼の妻はこの世にゐなかつたとしても、男の魂のなかに栖むのは妻の面影ばかりだらう。彼はまだ頑に呆然と待ち望んでゐる、満目蕭条たる己の晩年に、美しい記憶以上の記憶が甦つてくる奇蹟を。

 

原民喜

原民喜詩集」所収

1951

石神井書林の古書目録

石神井書林さんから古書目録が届きました!

石神井書林は詩集を扱う古書店としては有名な存在です。

目録販売が主で、店を持たない営業形態ですが、この目録の内容が素晴らしいです。

美しい写真が豊富に掲載されており、見ているだけで実に楽しい。

お値段は希少本だけにかなりお高めですが。

例えば、こちらの昭和15年発行の「山之口貘詩集」本人のサインと詩が書き込まれており、お値段15万円!

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また、こちらの北原白秋の「わすれなぐさ」大正4年発行、総皮装で、86400円。

 

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こちらは昭和27年刊行のロートレアモン「マルドロオルの歌」青柳瑞穂訳、オリジナルの銅版画5枚付きで151200円。

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このような希少な本の写真を見ているだけで、ため息がでますが、文章だけのページも楽しいです。

例えばこれなど。

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室生犀星自筆原稿、「汽車であった女」ペン書き400字詰め23枚、27万円とあります。

他にもコーネル革装、三方マーブル装、など、想像してみるだけでも楽しい。

 

目録が欲しくなった方はこちらを参照してください。200円切手を送付すれば、郵送してくれます。

 

少年 ─中学2年A組の諸君に─

─ぼくが ぼくでない

そんなこと あるだろうか

 

このあいだのこと

気がついたら

灰色の 画用紙みたいな

うすべったい空の すみの方に

ひらべったい人間がひとつ

風にあおられながら

たよりなげに つながれていた

よく見たら

それが

ぼくなんだ

 

だから

ぼくがぼくでないことを

ぼくは初めて知ったんだ

 

ぼくでないぼくは

やっこだこみたいに

ぴらぴらしていて

へんてこで

かわいそうだ

おまけに

ぼくでないぼくが見る太陽は

にせものの太陽 病んだ太陽

ぼくでないぼくが見る月は

おいぼれの月 やつれた月

ぼくでないぼくが見る景色は

こわれた景色 うばわれた景色

ぼくでないぼくが見ると

ぼくの父はよその人

ぼくの先生は

どこかの国の見知らぬ兵士

友だちはみんなむこうむき

タールを塗った倉庫の中に追いこめられる

帳簿の中には

友だちの点数と人数と等級とが

たんねんに

書きこまれる

やがて 友だちを運搬する列車がやって来て

等級別に行き先をきめられるのだろう

だけど

みんな大好きな友だちなのに

どうして

あんなにとろんとして

くらげみたいに無表情で

葬列みたいにのろのろと

歩くのだろう

 

傾いたクレーンが

砕けた鉄骨をむりやりつりあげる

溶接の火花が

ばちばちと鬼火のように飛びかう

すると 電子計算機が

たちまち友だちの値段を計算する

 

でも

これらこわれた景色をこえたもっとむこうに

ほんもののかけがえのない景色があることを

ほんものの頑丈な太陽がかがやくことを

ほんものの健康な月がのぼることを

ぼくは

がまんできないくらい よく知っている

 

なぜなら

このこわれた景色の中で

ぼくの骨格はかわき

ぼくの皮膚はつめたいけれど

ぼくの皮膚の裏がわの

遠い遠い奥の方では

何かが たえまもなく

やぶれ

くだけ

沸騰し

炸裂しているから

 

だから

このこわれた景色を

ほんとうの揺るぎない景色に作りかえるために

この

空気なしの 光なしの 季節なしの 景色の中から

また もうひとりの

ぼくでないぼくを

ぼくは見つけだすだろう

その中から

ぼくらみんな

ぼくらでないぼくらを

ぼくらよりも強いぼくらを

ほんとうのぼくらを

見つけだすだろう

 

杉浦鷹男

「答案」所収

1962

答案

なにイ てめエ やる気かア

カッと眼に憤怒をこめて

椅子からヌッと立ち上がった

背丈は六尺以上ある

サッカーで鍛えた両腕の先に

でっかい拳が固まってブルブル震えている

 

おれはやる気だ

お前がその態度を改めない限りはな

 

学期末試験の監督中に 僕は

彼が

これ見よがしに

机の中からノートを取り出しかけたのを

見咎めて 三回ほど警告した

四回目のときだ

彼が

殺気立った声で肩をことさら怒らせて

いきなり僕に向かって咆哮したのは

 

お前はスポーツマンだろう

おれはルール違反を認めない

暴力を振るうなら サッカーと同様罰則を食うぞ

 

拳が矢庭にとんで僕の顔面を張った

と思ったが

彼は

その寸前で腕をとめたのだ

 

よかった

もしあの拳が僕をふっとばしていたら

彼は

もちろん退学処分だ

僕も

間違いなく怪我をしていただろう

 

周囲の生徒たちは みんな

固唾を飲んで

一部始終を見つめていた

彼は

テレ隠しに 一と声 奇声を発して

席に腰を下ろした

ふて腐れて

今度は あられもない歌を

大声でわめき始めた

 

気にするな

あいつは

今はああするほかないんだ

君らも迷惑だろうが

ともかく試験問題に取り組め

 

クラス全体五十余人に向かって言おうと思ったが

それを 僕は口の中で呑み込んだ

 

彼は

わめき放題わめくと 机に顔をくっつけて

狸寝入りを装った

時たま 教壇にいる僕の方を

上目遣いにちらりちらりと見遣りながら

 

そのまま無事に試験は終わった

答案を集めて 枚数を確認していると

彼の答案は白紙だった

 

不正行為を未然に防いだ

という安堵感があった

と共に

彼にひとこと言葉をかけようと

彼の席の方を見たが

彼は

もうとっくに教室をとび出した後だった

 

杉浦鷹男

「答案」所収

1998

柱時計

ぼくが

死んでからでも

十二時がきたら 十二 

鳴るのかい

 

苦労するなあ

まあいいや

しっかり鳴って

おくれ

 

淵上毛錢

1950

囈語

竊盜金魚

強盜喇叭

恐喝胡弓

賭博ねこ

詐欺更紗

涜職天鵞絨

姦淫林檎

傷害雲雀

殺人ちゆりつぷ

墮胎陰影

騷擾ゆき

放火まるめろ

誘拐かすてえら。

 

山村暮鳥

聖三稜玻璃」所収

1915

秋風の歌

 さびしさはいつともわかぬ山里に

    尾花みだれて秋かぜぞふく

 

しづかにきたる秋風の

西の海より吹き起り

舞ひたちさわぐ白雲の

飛びて行くへも見ゆるかな

 

暮影高く秋は黄の

桐の梢の琴の音に

そのおとなひを聞くときは

風のきたると知られけり

 

ゆふべ西風吹き落ちて

あさ秋の葉の窓に入り

あさ秋風の吹きよせて

ゆふべの鶉巣に隠る

 

ふりさけ見れば青山も

色はもみぢに染めかへて

霜葉をかへす秋風の

空の明鏡にあらはれぬ

 

清しいかなや西風の

まづ秋の葉を吹けるとき

さびしいかなや秋風の

かのもみぢ葉にきたるとき

 

道を伝ふる婆羅門の

西に東に散るごとく

吹き漂蕩す秋風に

飄り行く木の葉かな

 

朝羽うちふる鷲鷹の

明闇天をゆくごとく

いたくも吹ける秋風の

羽に声あり力あり

 

見ればかしこし西風の

山の木の葉をはらふとき

悲しいかなや秋風の

秋の百葉を落すとき

 

人は利剣を振へども

げにかぞふればかぎりあり

舌は時世をのゝしるも

声はたちまち滅ぶめり

 

高くも烈し野も山も

息吹まどはす秋風よ

世をかれがれとなすまでは

吹きも休むべきけはひなし

 

あゝうらさびし天地の

壺の中なる秋の日や

落葉と共に飄る

風の行衛を誰か知る

 

島崎藤村

若菜集」所収

1897

朱のまだら

日射しの

緑ぞここちよき。

あやしや

並たち樹蔭路。

 

よろこび

あふるる、それか、君、

彼方を、

虚空を夏の雲。

 

あかしや

枝さすひまびまを

まろがり

耀く雲の色。

 

君、われ、

二人が樹蔭路、

緑の

匂ひここちよき。

 

軟風

あふぎて、あかしやの

葉は皆

たゆげに飜へり、

 

さゆらぐ

日影の朱の斑、

ふとこそ

みだるれわが思。

 

君はも

白帆の澪入りや、

わが身に

あだなる戀の杙。

 

軟風

あふぎて澪逸れぬ、

いづくへ

君ゆく、あな、うたて。

 

思ひに

みだるる時の間を

夏雲

重げに崩れぬる

 

緑か、

朱か、君、あかしやの

樹かげに

あやしき胸の汚染。

 

蒲原有明

有明集」所収

1908