僕は雑木林が好きだ
(雑木林は お前だ)
多彩な感情が溢れて 四季に変貌する
ありきたりの
エゴが花を咲かせ 楢や櫟が紅葉し
やわらかな起伏が豊かにあって
下生いの雑草が 野兎やミソサザイの歌をかくしている
高い山でないのがいい
深い森でないのがいい
耕された土地でないのがいい
いつも僕を呼んでいる
林は
僕を招き入れて
林のなかに溶かしてしまい
沁みてきて
僕のなかに緑のしげりをつくる
──その道を
どれほど来たのだろうか
僕の前に
林の このひろがり
歩むところが道となり
すべてが
わがままな歩みのために準備されている
夕ぐれ 紫の露を散して露草が咲いていた
そこに 林の入口があった
僕は 言葉や身振りや不自然に自分を飾りたてるものをすてて
林の気に抱かれて 跳びはねる
野兎になろう
起伏のひろがりこそ 僕の故郷だ
たれにも狙われてはいない
もう時間をかけて あんなにおびえることはいらない
かたくなな 僕に 重い言葉を強いるものはいない
遠い道程へ駆りたてる むちの音に 身体をさらすこともない
意志に反した言葉にも
つくり笑いにも
疲れなくていい
ここは 僕一人に許された場所だ
抱かれている
一人の僕が 全体なのだ
林の全体が 僕なのだ
やわらかく包まれて 僕は 昇華し透明な存在になる
朝の林に太陽がかがやき始めるとき
光 が
樹木のあいだを縫い
葉むらを織りなしてすみずみまでも沁みとおっていくように
豊かな起伏を見せる 地肌が
静かに うるおいを枯生いの根元ににじませて しだいに 春を呼ぶとき
みずからの速度に温まりながら
明るいスロープを 沢へすべるように愛撫の息吹を送り込んでいく
僕は
風の 透明なゆらめきだけを残して
溶けてしまうのだ
魂の声の聞こえる静かな奥の方の場所で
幾つかの合図を待ちながら
そして
夏はエゴの白い可憐な 花の
冬はヤブコウジのつぶらな 実の
甘える眸がジッと見まもっている
オリオンのまたたくよる 林はその十字の影を地肌に焼きつけた
弱い陽差しをあつめて 陽溜りをつくっている
笹むらの蔭に 僕は
疲れた身体を しばしの憩に横たえる
つらい歩みを僕は言わない
荒い呼吸を整えよう
(リンドウの気づかわしげに覗く目を知っているから)
言葉の葉をふり落して
姿態をあらわしてきたさまざまの樹木の思想
その梢の上にひろがる 青い空
木の間にちらつく遠い地平の山脈
その距離の越えて行かなければならない いくつもの冬の季節の訪れに耐えるために
僕が
熱い光の息吹となって どのように吹込もうと
風の掌のぬくもりで愛撫をかさねようと
(懸命な努力にかかわらず)
いくたびか 冬は 林に迫って容相を変えるだろう
(時の流れのなかで)
光は雲にさえぎられ
風は奪いとり 裸を強いるだろう
(自然の摂理の厳しさは)
幾月も 幾回も 繰返して
ふるえる裸身の上にさらに覆うだろう
僕は
冬の林を 胸のなかに抱くだろう
僕の胸に厚い氷がはりつめるとき 林も霜柱の柱廊にかこわれて窒息するだろう
だが 僕は
信じることが出来る
耳を傾けて聞こう
枯生いの地肌に頬をこすりつけよう
固い樹皮の内側に流れる 樹木のさかんな脈動がある
かわいた地表に散した枯葉の裏側で けんめいにしめり気を蓄えているいとしさがある
一面に林を埋めた 雪が
樹木の根元から
落葉の下のぬくもりから
ほころびていく
ふっくらした黒い土の水みずしい部分に かげろうの息吹が立ち
朝もやが うすれながら後退して領域をひろげていく
早春の目覚めのなかで
林は いっせいに溢れてくる
──不意に
コロ コロと明るい声がはじけ
小雀の群が しじまをくすぐって飛び過ぎる
僕は
何か たまらぬところにうっかりと触れてしまったらしい
林の流れは
メルヘンの純粋さできよらかに溢れてくる
小鳥の可憐な胸をはずませて 悦びにふるえるところから
散らした枯葉が いくえにも重ねた想いをつづけるあいだから
野兎の無邪気なかわきをうるおすために
泉は吹き上げてくる
流れは小砂をひたし 石の合いまを縫って
光にあたって 明るくかえし
悦びの笑を羞らいながら立てて
ひそかに流れは
沢の奥の しげみの見えがたい内にかくす
流れの 源は つつましくかくしていなければいけない
僕は
この静寂をいくたびか驚ろかし 騒がせてしまっただろう
夢と まどかな想いを乱してはいけないのに
エゴの花が咲くころ
林は
さらに豊かなみどりを波打たせる
僕の帆船は水尾を引いて走り
波の底では
僕の夢のために一つの扉が音もなくひらきみどりの部屋を準備する
疲れたキャプテンは
漂泊の時の間を
青草の揺籃にゆられながら
進路の誤差を星座に修正するのだ
雲が 透明な水の底まで 他人ごとのように流れる影を落すが
ここでは 行きかう旅人もいないので
僕は
道を尋ねられたりして あわてたりいらだつこともない
羊の睡りは 林の午睡に重ねられる
もはや 僕と林との関係を 性急な乾いた接吻で傷つけることもない
時の しだいに熱してくる気に包まれて 無邪気な興奮があるばかりだ
青木繁
「青木繁詩集」所収
1959
ただただ素晴らしく神々しく思えます。