犀川

うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に座りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川ながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり

室生犀星
抒情小曲集」所収
1918

帰る旅

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである

高見順
死の淵より」所収
1964

浅き春に寄せて

今は 二月 たつたそれだけ
あたりには もう春がきこえてゐる
だけれども たつたそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たつた一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはゐない
だけれども たつた一度だけ
そのひとは 私のために ほほゑんだ

さう! 花は またひらくであらう
さうして鳥は かはらずに啼いて
人びとは春のなかに笑みかはすであらう

今は 二月 雪の面につづいた
私の みだれた足跡……それだけ
たつたそれだけ――私には……

立原道造
優しき歌Ⅰ」所収
1939

露骨な生活の間を

毎日夕方になると東のほうの村から
三人の親子のかつぎ屋が
驛に向つてこの部落をとおる
母親と十二、三歳の女の子と
まだ十になつたとも思われぬ男の子だ
めいめい精いつぱいに背負い
からだをたわませて行くかれら
ずん/\暮れるたんぼ道を
かれらはよく小聲をあわせてうたつていく
そのやさしくあかるい子供うたは
いちばん小さい男の子をいたわり
またみんなをはげまして
小聲の一心な合唱が
うず高い荷物の一かたまりからきこえる

それは露骨な生活の間を縫う
ほそい清らかな銀絲のように
ひと筋私の心を縫う

(いまどんなお正月がかれらにきているか)

伊東静雄
「「反響」以後」所収
1953

飛込

僕は白い雲の中から歩いてくる
一枚の距離の端まで
大きく僕は反る
時間がそこへ皺よる
蹴る 僕は蹴った
すでに空の中だ
空が僕を抱きとめる
空にかかる筋肉
だが脱落する
追われてきてつき刺さる
僕は透明な触覚の中で藻掻く
頭の上の泡の外に
女たちの笑いや腰が見える
僕は赤い海岸傘の
巨い縞を掴もうとあせる

村野四郎
体操詩集」所収
1939

また来ん春・・・・・

また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが…

中原中也
在りし日の歌」所収
1936

人に

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに実のなるやうな
種子よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

高村光太郎
智恵子抄」所収
1912

悪いおっぱい

熱風が吹いた
植物が繁茂する
昆虫が繁殖する
高温と多湿
植物が繁茂する
昆虫が繁殖する
熱帯性低気圧に
雨が白い渦をまく
植物が繁茂する
引越のために縛りあげる
縛りあげたままのわたし
縛られたわたしのあらゆる部分
乳房に
変化する
昆虫が繁茂する
朝は張って飲みきれない乳房が
ひっきりなしに吸うから
夜になるとしなびてしまって何も出ない

不信を
わたしを

ひっきりなしに吸うから
しなびてしまって何も出ないわたしを
不信を
わたしのおびただしい乳房を

よいおっぱいから
悪いおっぱいへ
悪いおっぱいに
赤ん坊達は復讐を企てている

雨が降るので乳房を食いたい
雲が走るので乳房を食いたい
風が荒れくるうので乳房を食いたい

雨が渦をまくので乳房を食いたい
雨がやんだら
おいしいやむいもが拾える
おいしいたろいもが拾える
おいしいむかごが拾える
おいしいあんこが
おいしいみのむしが
おいしいのみが
おいしい澱粉質が
両手に余るほど拾える

雨がやんだらおいしいたろいもが
両手に余るほど拾える

中尾佐助「農耕植物と栽培の起源」、メラニー・クイーン「羨望と感謝」から引用・参考箇所あり

伊藤比呂美
テリトリー論1」所収
1987

恋と病熱

けふはぼくのたましひは疾み
烏さへ正視ができない
 あいつはちやうどいまごろから
 つめたい青銅の病室で
 透明薔薇の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない

宮沢賢治
春と修羅
1922

カーバイト倉庫

まちなみのなつかしい灯とおもつて
いそいでわたくしは雪と蛇紋岩との
山峡をでてきましたのに
これはカーバイト倉庫の軒
すきとほつてつめたい電燈です
  (薄明どきのみぞれにぬれたのだから
   巻烟草に一本火をつけるがいい)
これらなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのでなく
またさびしいためからだけでもない

宮沢賢治
春と修羅」所収
1922