ながい夜

眼を見ひらいたまま
暗い水の底から浮びあがるように
ゆめからさめる
ガラス窓に
木枯しが鳴っている
また眠り、べつのゆめを
みる ふたたび目ざめ
時計をのぞく

毎晩
おなじことだ
遠いゆめと
近いゆめの記憶が重なり
すこしたつて、闇のなかで
ぼくの来し方行く末が
散らばつた骨のように白々と見えてくる

もうだれも
ぼくのセーターの匂いを
かがないであろう
夜の台所にぶらさがっている
まないたや包丁のように
ぼくの未来はあるであろう
明るい朝のあいさつは
つぶやきのように消えてしまった
無を打ちくだくことばは
青いインクで書かれなかった
あしたもまた
ハンカチを忘れて家を出るであろう
力を入れて引き抜いた草が
泥のついた根ごと
机の上に置かれてあるであろう
ぼくは愛した
恐れた
ぼくは恐れるであろう
ぼくは机の上の草を見ているであろう

時計をのぞく
毛布をひきあげて
顔をかくす
腕を伸ばして両脇につけ
垂直に
暗い水の底に沈んでゆく姿勢をとる
目をつむる              

北村太郎
冬の当直」所収
1972

             冬の庭、
うごかない黒々とした杉や檜のうえに
黒い空がある。おびただしい
星はひとつずつ燃えながら凍りついているけれど、わたしのまわりは
すべてが死んでしまっているようだ。
すこし靴をうごかすと、枯れた草がポキポキと折れて
深い沈黙の骨にひびく。

           けさ、この庭に、
あたたかい陽が、一秒を永遠のときに
縮めながら、そそいでいた。
霜で固められた土の表面は、処女の
汗よりもきよらかに濡れていた。そして
そのとき、わたしは見た、
いっぴきのカマキリが
地に倒れた枯れ草のあいだから、ゆっくりと
這いだして、石のうえに休んでいるのを、藁のこげくさい七月に
ちいさな虫たちを苦しめた前脚を、冬のひかりのなかに
錆びついた剃刀の刃のように持てあましているのを。その翅は
落葉の音をたてて剥がれそうにみえた。

                  黒い空に
燃えている星は、どのベッドからも
窓からも近いところにある。
しかし、この庭に
立っているわたしからは最も遠い。
わたしは慄えながら靴をうごかし、ころがっている空壜に
すべり、また星を見つめる。
杉や檜のうえに、わたしの心の
ラジウムが、すこしずつ死と沈黙の
つめたさを運んでゆく。そこに
限りない日没と朝の
墓がある。わたしの靴の
しずかに止まるところがある。塵の
車輪にひかれてゆく無数のカマキリの
死骸がある。あの黒い空に
ためいきと、喜びのちいさな叫び声の
林がひろがっている。
いつでも、どこでもひとりでいる
わたしは、だれにも見えない。凍りながら燃えている
星からも見えない。ただ
わたしは慄えながら、待っている、
沈黙に聴きいり、黒い空を見つめている、
冬の庭で。

北村太郎
北村太郎詩集」所収
1966

水のほとりに

水の辺りに零れる
響ない真昼の樹魂。

物の思ひの降り注ぐ
はてしなさ。

充ちて消えゆく
もだしの応へ。

水のほとりに生もなく死もなく、
声ない歌、
書かれぬ詩、
いづれか美しからぬ自らがあらう?

たまたま過ぎる人の姿、獣のかげ、
それは皆遠くへ行くのだ。

色、
香、
光り、
永遠に続く中。

三富朽葉
「三富朽葉詩集」所収
1926

蹈み入つてはいけない

蹈み入つてはいけない!
ここは熟れて落ちた櫻の實で一杯だから・・・・・・
葉蔭は休息によかろう けれど
葉から すべりおりてくる毒矢をもつた野蠻人が
卿等のまどろみを 永遠に
魔法にかけやうから---

蹈み入つてはいけない!
その数多い赤黒い血球が 卿等を
ぬりつぶしてしまふから・・・・・・
卿等が 若し冒した罪の贖にくるのなら 卿等は路をとりちがえてゐる
ここは罪の阿修羅場だ
血腥い 屠牛場

蹈み入れてはいけない!
ほつかり虞美人草の花が 卿等を誘ふたにしても
生毛のやうな毛並から 囁かれる 悪魔の不思議な話に 惑がされても
美装した惰眠は濃霧の谷に
おまへらを陥入れやうから---

蹈み入つてはいけない!
おんみらはみるだらう
乳白色の瞳をもつた少女が
厚つぽい赤い唇に涎を垂れて
桜の木のもとを流れてゐる溝に
血を啜つてゐるところの---

蹈み入れてはいけない!
あの木蔭に卿等はきくのだろう
哀しい運命を預覚した牛の 傷ましい声を
うすら笑みを浮べて待つてゐる黒猫を
いくども喉に舌やつて 唇を
ぬらしてゐる少女の
佇んでゐる木蔭に---

高木斐瑳雄
「青い嵐」所収
1922

青空に

青空に
魚ら泳げり。

わがためいきを
しみじみと
魚ら泳げり。

魚の鰭
ひかりを放ち

ここかしこ
さだめなく
あまた泳げり。

青空に
魚ら泳げり。

その魚ら
心をもてり。

山村暮鳥
聖三稜玻璃」所収
1915

くちばしの黄な 黒い鳥

くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、

なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭いてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ

八木重吉
秋の瞳」所収
1925

詩集の美 「裾花」

詩集の美、第3回目は杉本真維子さんの「裾花」を紹介いたします。
「裾花」は杉本真維子さんの3冊目の詩集で2015年の第45回高見順賞を受賞した作品です。

まず目を引くのがこのビビッドな赤い色です。
白地に赤い文字、赤地に白い文字と鮮やかなコントラストが美しいですね。

IMG_1432(1)

写真では分かりにくいのですが、この表紙は実は一枚の紙を折ってこのような形になっています。
つまり、表が赤、裏が白い紙の上下を折りこんで、このように一つの表紙としてまとめているのですね。

広げてみるとこんな感じです。

IMG_1433(1)
このような一風変わった紙使いが、特殊な効果を生んでいます。
私は、まるで人間の皮膚がぱっくりと割れて赤い血が覗いて見えるような感覚を覚えました。

この詩集の内容にぴったりの素晴らしい装丁だと思います。菊地信義さんの仕事です。

菊地さんは、詩や小説の装丁を作る際は、内容を読み込んで、どうすれば、それを人に伝えられる形に翻訳できるかを考えるそうです。菊地さんはこの赤で「裾花」の何を伝えようとしているのでしょうか?

カバーを取るとこのようになっています。完全な赤色です。

IMG_1434(1)

「裾花」には24編の詩が収められています。そのどれもが高密度でぐいぐいとせまってくるような迫力があります。
私はまぎれもない傑作だと思います。

当サイトにて「裾花」から一篇、「一センチ」を紹介させていただいています。
是非皆さんも読んでみてください。

アマゾンのLinkはこちらです。

一センチ

匿う水が、植木のしたに溜まっている
鈍器で殴りこんできた敵は火のなかで死んだ
洗われた傷を清潔なガーゼでおさえながら
病室で泣く人の傍らに座った
言葉よりもからだのほうが近く、
とじこめて、死後に語る、と約束をした

郷里の雪はタイヤの跡が茶色く、
少しも美しくはなかった
わたしたちのほうがまだ、と息をとめ、
片割れのからだが、さらに細切れの一人を零し、
睫のさきが重くなる
もう眠れ、とあなたは言った

それから、しずかな遺体をくるんだ
何かあったらすぐにおまえに
そう告げていた指先から一センチのところで
携帯も眠っていた

わたしも、植物を育てている
あの一センチの距離が、ただひとつのやさしさになるまで
この血のなかで、何度も語りつづける人よ
如雨露の蓮口を拒んで
水はいらないと、けだかく怒鳴る人よ

杉本真維子
裾花」所収
2015

おっとせい

そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無をおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な弾力。
かなしいゴム。

そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。

菊面。
おほきな陰嚢。

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、
いつも、おいらは、反対の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画でみる
アラスカのやうに淋しかった。

そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢と、饒舌で
かきまはしているのもやつらなのだ。

くさめをするやつ。髭のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦だ。権妻だ。やつらの根性まで相続ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたたくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚さばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡で、海水をにごしていった。

たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい声でよびかはした。

おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。

みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは氷上を匍ひまわり、
……………文学などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷にただれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」

金子光晴
「鮫」所収
1937

帰来

僕はゐる さまざまの場所に
昔のままのやさしい手に
責められたり 抱かれたりしながら

僕はそこにもゐる
酸っぱいスカンポの茎のなかに
それを折るときのうつろな音のなかに

僕はそこにもゐる
柿若葉の下かげに
陽のあたる石の上に
トカゲみたいに臆病さうに

僕はそこにもゐる
ながれのほとりの草の上に
とらえそこねた幸福のやうに
魚の光る水の中に

僕はそこにもゐる
土蔵のかげ 桑の葉のかげに
アイヌ人みたいに
口のほとりに桑の実の汁の刺青をして

僕はそこにもゐる
小鳥が巣を編む樹の梢に
屋根の上に
略奪の眼を光らせて

僕はそこにもゐる
しその葉のいろのたそがれのなかに
とほくから草笛のきこえる道ばたに
人なつかしくネルの着物きて

ああ僕はそこにもゐる
井戸ばたのほのぐらいユスラウメの木の下に
人を憎んで
ナイフなんど砥いだりしながら

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966