義眼の中にダイアモンドを入れて貰ったとて、何になろう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何になろう。
腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。
その骨灰を掌の上でタンポポのように吹き飛ばすのは、いつの日であろう。
北川冬彦
「戦争」所収
1929
義眼の中にダイアモンドを入れて貰ったとて、何になろう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何になろう。
腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。
その骨灰を掌の上でタンポポのように吹き飛ばすのは、いつの日であろう。
北川冬彦
「戦争」所収
1929
料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。
たれも住んでないからつぽの白い家。
人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。
死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。
この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。
左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1911
かぜよ、
松林をぬけてくる 五月の風よ、
うすみどりの風よ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ねむりの風よ、
わたしの髪を なよなよとする風よ、
わたしの手を わたしの足を
そして夢におぼれるわたしの心を
みづいろの ひかりのなかに 覚まさせる風よ、
かなしみとさびしさを
ひとつひとつに消してゆく風よ、
やはらかい うまれたばかりの銀色の風よ、
かぜよ、かぜよ、
かろくうづまく さやさやとした海辺の風よ、
風はおまへの手のやうに しろく つめたく
薔薇の花びらのかげのやうに ふくよかに
ゆれてゐる ゆれてゐる、
わたしの あはいまどろみのうへに。
大手拓次
「藍色の蟇」所収
1936
ひしやげた屋根の下に暮らす俺達の心は
みんなひねくれなものだよ
この灰色の六畳間を
俺はあつちから! こつちへ
何回同じことを繰り返したことであらう
見ろ
こんなに成つてしまつた
さゝくれ立つたすり切れた
じめじめと陰鬱の涙のこもつた
薄汚ない古畳を
その部屋の真ん中に
『望み』といふ碌でもない屑綿を
どつさり詰め込んだ
向ふ見ずの乱暴者の
煎餅蒲団の反撥を
じつと尻の下に押さへつける仕事もあんまり
楽な仕事ではない
傷だらけの机の上の
偽善者の出しや張屋の
真鍮の豆時計と一日にらみあひ
俺の頭の髪に一本でも白髪の多くなりますやうに
一日も早く地球が冷却して行きますやうに
この善人が速に地獄に墜ちますやうに
俺はお祈りして居るのだ……
小熊秀雄
「小熊秀雄全集2初期詩篇」所収
1940
こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ1本ないくらがりでどうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
栗原貞子
「黒い卵」所収
1946
だまして下さい言葉やさしく
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬ私の心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
ああ貴方には誰よりも私が要ると
感謝のほほえみでだまして下さい。
その時私は
思いあがって傲慢になるでしょうか
いえいえ私は
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ちあがりましょう。
もっともっとやさしくなりましょう
もっともっと美しく
心ききたる女子になりましょう。
ああ私はあまりにも荒地にそだちました。
飢えた心にせめて一つほしいものは
私が貴方によろこばれると
そう考えるよろこびです。
あけがたの露やそよかぜほどにも
貴方にそれが判って下されば
私の瞳はいきいきと若くなりましょう。
うれしさに涙をいっぱいためながら
だまされだまされてゆたかになりましょう。
目かくしの鬼を導くように
ああ私をやさしい拍手で導いて下さい。
永瀬清子
「焔について」所収
1950
あれは
不気味に靄が立ちこめている
キナ臭い昨日の戦場から
突然湧き起り
流れてくるミサの声だ──
左手に聖書を持ち
天に祈る黒衣の牧師
その前にひざまずき
十字を切っている兵士の群れ
見知らぬ土地に
戦友の死体を埋め
やっとここまでたどりついた若い生命たち
その乾いた両眼から
少しずつ悲しみの涙が滲み落ちる
一枚の額縁にはめこまれたこの情景が
返ってきた手紙のように
いつも私の前の壁に架かっている
巨大な地球儀がのろのろ廻り
きまぐれな一本の針が刺した地点で
また戦争が起った
しばらくして
顔をかくした神が腐爛した死体の間を
こちらに向って歩いてこられると
街の暗闇で
チュウインガムのように
無造作に吐き捨てられた若い命が
あちらの谷間から 水田の中から
いくつもいくつも起き上がり
ぼろぼろの魂を引きずって
少しずつ海の方へ
故郷の方へ歩き出す
その時分
西でも 東でも
広い株式市場では
欲望でひん曲ってしまった
両の手を突き出して
戦争が狂気のように取引されている
私はいま新聞紙をひろげて
積み上げられた白い貝殻の山が
無惨に崩れ落ちる
その静かな静かな音を聞いた
いくつも嚥み下した新薬で
間違ってしまった現代の人々よ
地中深く埋没した
平和という名の埴輪を掘り出せ!
墓堀り人夫のスコップを持った
その汚れた手で
上林猷夫
「遠い行列」所収
1970