恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬつて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

よしんば私が美男であらうとも

わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない

わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない

わたしはしなびきつた薄命男だ

ああなんといふいぢらしい男だ

けふのかぐはしい初夏の野原で

きらきらする木立の中で

手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた

腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた

襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた

かうしてひつそりとしなをつくりながら

わたしは娘たちのするやうに

こころもちくびをかしげて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

くちびるにばらいろのべにをぬつて

まつしろの高い樹木にすがりついた。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

人間に与える詩

そこに太い根がある

これをわすれているからいけないのだ

腕のような枝をひっ裂き

葉っぱをふきちらし

頑丈な樹幹をへし曲げるような大風の時ですら

まっ暗な地べたの下で

ぐっと踏張っている根があると思えば何でもないのだ

それでいいのだ

そこに此の壮麗がある

樹木をみろ

大木をみろ

このどっしりとしたところはどうだ

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

無題

み吉野の

耳我の嶺に

時なくぞ

雪は降りける

間無くぞ

雨は振りける

その雪の

時なきが如

その雨の

間なきが如

隈もおちず

思ひつつぞ来し

その山道を

 

天武天皇

万葉集」所収

759

 

無題

石見の海

角の浦廻を

浦なしと

人こそ見らめ

潟なしと

人こそ見らめ

よしゑやし

浦はなくとも

よしゑやし

潟はなくとも

鯨魚取り

海辺を指して

和田津の

荒礒の上に

か青なる

玉藻沖つ藻

朝羽振る

風こそ寄せめ

夕羽振る

波こそ来寄れ

波のむた

か寄りかく寄り

玉藻なす

寄り寝し妹を

露霜の

置きてし来れば

この道の

八十隈ごとに

万たび

かへり見すれど

いや遠に

里は離りぬ

いや高に

山も越え来ぬ

夏草の

思ひ萎へて

偲ふらむ

妹が門見む

靡けこの山

 

柿本人麻呂

万葉集」所収

759

無題

うつせみと

思ひし時に

取り持ちて

わが二人見し

走出の

堤に立てる

槻の木の

こちごちの枝の

春の葉の

茂きがごとく

思へりし

妹にはあれど

たのめりし

児らにはあれど

世間を

背きしえねば

かぎろひの

燃ゆる荒野に

白栲の

天領巾隠り

鳥じもの

朝立ちいまして

入日なす

隠りにしかば

我妹子が

形見に置ける

みどり子の

乞ひ泣くごとに

取り与ふる

物し無ければ

男じもの

脇はさみ持ち

我妹子と

ふたりわが宿し

枕付く

嬬屋のうちに

昼はも

うらさび暮らし

夜はも

息づき明かし

嘆けども

せむすべ知らに

恋ふれども

逢ふ因を無み

大鳥の

羽易の山に

わが恋ふる

妹は座すと

人の言へば

石根さくみて

なづみ来し

吉けくもそなき

うつせみと

思ひし妹が

玉かぎる

ほのかにだにも

見えなく思へば

 

柿本人麻呂

万葉集」所収

759

無題

天地の

分れし時ゆ

神さびて

高く貴き

駿河なる

富士の高嶺を

天の原

振り放け見れば

渡る日の

影も隠らひ

照る月の

光も見えず

白雲も

い行きはばかり

時じくぞ

雪は降りける

語り継ぎ

言ひ継ぎ行かむ

富士の高嶺は

 

山部赤人

万葉集」所収

759

 

湖水

この湖水で人が死んだのだ

それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

 

葦と藻草の どこに死骸はかくれてしまつたのか

それを見出した合図の笛はまだ鳴らない

 

風が吹いて 水を切る艪の音櫂の音

風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

 

ああ誰かがそれを知つてゐるのか

この湖水で夜明けに人が死んだのだと

 

誰かがほんとに知つてゐるのか

もうこんなに夜が来てしまつたのに

 

三好達治

測量船」所収

1930

コップに一ぱいの海がある

コップに一ぱいの海がある

娘さんたちが 泳いでゐる

潮風だの 雲だの 扇子

驚くことは止ることである

 

立原道造

1932

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

 

安西冬衛

軍艦茉莉」所収

1929

秋の悲歎

 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。

 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静かな接吻をも惜しみはしない。今はあの色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。

 私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない――土瀝青色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであつた……

 夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰るかの女の胸のを、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか? 私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?

 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨のにまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。

 

富永太郎

富永太郎詩集」所収

1924