うつせみと
思ひし時に
取り持ちて
わが二人見し
走出の
堤に立てる
槻の木の
こちごちの枝の
春の葉の
茂きがごとく
思へりし
妹にはあれど
たのめりし
児らにはあれど
世間を
背きしえねば
かぎろひの
燃ゆる荒野に
白栲の
天領巾隠り
鳥じもの
朝立ちいまして
入日なす
隠りにしかば
我妹子が
形見に置ける
みどり子の
乞ひ泣くごとに
取り与ふる
物し無ければ
男じもの
脇はさみ持ち
我妹子と
ふたりわが宿し
枕付く
嬬屋のうちに
昼はも
うらさび暮らし
夜はも
息づき明かし
嘆けども
せむすべ知らに
恋ふれども
逢ふ因を無み
大鳥の
羽易の山に
わが恋ふる
妹は座すと
人の言へば
石根さくみて
なづみ来し
吉けくもそなき
うつせみと
思ひし妹が
玉かぎる
ほのかにだにも
見えなく思へば
柿本人麻呂
「万葉集」所収
759