Category archives: 1960 ─ 1969

存在

この世に
あなただけをみる

あなたに照射されている
私だけをみる

ものみな
爽かにほろびつくし
この美しい荒寥のなか
この激しく奔騰する無のなか

矢車がしきりに風を喚んで舞うような
一途な願いで 歌で

己れを失いながらあなたのなかに昇華する

伊藤桂一
「定本・竹の思想」所収
1968

疲れ切つて 仰向けに寝る
おれは水たまりだ
うつし出される一日の記憶に
はずかしくなり
首をまげ 手足をちぢめ
大地の闇に吸われ 消えてゆく

杉山平一
声を限りに」所収
1967

生と死

毒薬をのんだバラが
青空にすがる。
肉体よ
死んではいけない。

この人生を
言ひくめるのは
死をあつかふほど
らくなことではないが、

死んではいけない。
ひけめでしかない
祖国のためにも、
愛するものの為にも、

まして、あの破廉恥な
ボス共のためにも
奴らのいふ自由や
正義のためにも、

金子光晴
屁のやうな歌」所収
1962

ふたたび母はあらわれなかった
幾日も幾夜も
もはやどんな星よりも遠くおもわれたが
すぐそこの戸の外に立っているようにおもわれるときがあった
ふと耳にきく声は
いつもの澄んだやさしい母の声だった
ぼくはきゅうに駆けだした
うち鳴らす鐘の音を
どこかで母がきいているにちがいないと
一つの遊星が
いまぼくのなかを大きな影を落として通りすぎる
やがてそれを霧がつつんでぼくを眠らせた

嵯峨信之
魂の中の死」所収
1966

風の歌

おぼえているだろうか 薔薇よ
あまたの空の透き見える露だまに飾られ
ふと めざめていたおまえのうなじに
めぐり ためらい わたしがそっとくちづけたことを
わたしは来た こんなにも遠く ああ薔薇よ
たとえおまえがどれほど美しかったとしても
とどまりみちる場所を わたしは持たない
わたしはとどまることが出来ない

不安におののく夜の梢をわけて
わたしはきょうも馳けぬける
胸の柩におまえを呼び おまえを育て・・・

呼ぶことーそれがわたしだというのか
ふりかえることもなく過ぎ去りながら
過ぎ去ったものへの愛に重くみなぎりながら

伊藤海彦
「黒い微笑」所収
1960

幻の花

庭に
今年の菊が咲いた。

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!

そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。

石垣りん
表札など」所収
1968

詩人

ひとりの人間が石の国に誕まれていた。
山も河も樹も草もみな石ばかりであった
なんというさびしいつめたい生活しかないのであろう
ひとりの たったひとりの生きている人間は
毎日 樹や人や草や塀や石塊に至るまで
眼につくものすべてをその手でたたき
自分の言葉だけでかれらの石になにかをつたえようとつとめていた
百年も 或いはそれ以上もつづけてきたのだろう
石の国に住むひとりの人間が
石と区別されていることといえば
それは彼がすべての石に対し同じ愛情と真実とをもって
その胸を叩き叩き哭けることであった
泪はずいぶん深く豊かなものだ
その泪が石を濡らし石を蘇えらすか
それとも遂には彼の泪も涸れたときに
またひとつの石の像がふえるか
どちらかだ そのどちらかだ
石ばかりの国に夕陽の残照がみなぎり
哭き哭き石をたたいている彼の
石に映る影もまた彼と同じに哭きながら
やっぱり石の影をたたいているのであった

伊藤桂一
定本 竹の思想」所収
1968

もはやそれ以上

もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった

かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやりと空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと座っていたことがある

今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか

運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである

もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ

そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると

黒田三郎
黒田三郎詩集」所収
1968

絶景

ひっそりと抱きあったまま
谷底へ墜ちてゆく蝶
無常なほどにも美しく
そこに湛えらえている深淵
その上でひらりと別れ
こんどは絶壁に沿うて
なおも相連れして のぼってくる

伊藤桂一
定本・竹の思想」所収
1964

蜜蜂のようなものが

蜜蜂のようなものが しきりと
私のなかを 出たり入ったりする
何かを持ち込んだり
何かを持ち出したりしている
それらを私は黙って見ている
それらは私の小さな思考のようである

智慧のように草の葉の光るなかに
歩きくたびれて腰をおろした私は
そしてまた見る 大きな翼を
みるみる空遠く飛翔して行く翼を
翼だけ大きく 胴が小さいが
小さい筈だ それはさっき私が投げすてた
携帯用の人生案内書なのだ

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わが埋葬」所収
1965