この世に
あなただけをみる
あなたに照射されている
私だけをみる
ものみな
爽かにほろびつくし
この美しい荒寥のなか
この激しく奔騰する無のなか
矢車がしきりに風を喚んで舞うような
一途な願いで 歌で
己れを失いながらあなたのなかに昇華する
伊藤桂一
「定本・竹の思想」所収
1968
この世に
あなただけをみる
あなたに照射されている
私だけをみる
ものみな
爽かにほろびつくし
この美しい荒寥のなか
この激しく奔騰する無のなか
矢車がしきりに風を喚んで舞うような
一途な願いで 歌で
己れを失いながらあなたのなかに昇華する
伊藤桂一
「定本・竹の思想」所収
1968
おぼえているだろうか 薔薇よ
あまたの空の透き見える露だまに飾られ
ふと めざめていたおまえのうなじに
めぐり ためらい わたしがそっとくちづけたことを
わたしは来た こんなにも遠く ああ薔薇よ
たとえおまえがどれほど美しかったとしても
とどまりみちる場所を わたしは持たない
わたしはとどまることが出来ない
不安におののく夜の梢をわけて
わたしはきょうも馳けぬける
胸の柩におまえを呼び おまえを育て・・・
呼ぶことーそれがわたしだというのか
ふりかえることもなく過ぎ去りながら
過ぎ去ったものへの愛に重くみなぎりながら
伊藤海彦
「黒い微笑」所収
1960
ひとりの人間が石の国に誕まれていた。
山も河も樹も草もみな石ばかりであった
なんというさびしいつめたい生活しかないのであろう
ひとりの たったひとりの生きている人間は
毎日 樹や人や草や塀や石塊に至るまで
眼につくものすべてをその手でたたき
自分の言葉だけでかれらの石になにかをつたえようとつとめていた
百年も 或いはそれ以上もつづけてきたのだろう
石の国に住むひとりの人間が
石と区別されていることといえば
それは彼がすべての石に対し同じ愛情と真実とをもって
その胸を叩き叩き哭けることであった
泪はずいぶん深く豊かなものだ
その泪が石を濡らし石を蘇えらすか
それとも遂には彼の泪も涸れたときに
またひとつの石の像がふえるか
どちらかだ そのどちらかだ
石ばかりの国に夕陽の残照がみなぎり
哭き哭き石をたたいている彼の
石に映る影もまた彼と同じに哭きながら
やっぱり石の影をたたいているのであった
伊藤桂一
「定本 竹の思想」所収
1968
もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった
かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやりと空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと座っていたことがある
今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか
運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである
もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ
そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると
黒田三郎
「黒田三郎詩集」所収
1968