おぼえているだろうか 薔薇よ
あまたの空の透き見える露だまに飾られ
ふと めざめていたおまえのうなじに
めぐり ためらい わたしがそっとくちづけたことを
わたしは来た こんなにも遠く ああ薔薇よ
たとえおまえがどれほど美しかったとしても
とどまりみちる場所を わたしは持たない
わたしはとどまることが出来ない
不安におののく夜の梢をわけて
わたしはきょうも馳けぬける
胸の柩におまえを呼び おまえを育て・・・
呼ぶことーそれがわたしだというのか
ふりかえることもなく過ぎ去りながら
過ぎ去ったものへの愛に重くみなぎりながら
伊藤海彦
「黒い微笑」所収
1960