Category archives: 1950 ─ 1959

川の水は流れている
なんといふこともない
来てみれば
やがて
ひそかに帰りたくなる

原民喜
原民喜詩集」所収
1951

器官

陰謀を抱かぬ男
男のふじつぼのように尖った肛門は華美だ 開いたまま過ごす
曲った股の間を占め 鰓と多くの触毛を持ち欲望するときうごく
常にそこがすっかり見える姿勢をとり 変えぬ
眠る際暗に穴をなし首を埋めてしまう
敵視する者には眼に卑猥な魔術の傘として映るので背後から見て蔑む
女にすらその部分で触れねばならず 避けるためにそれから厚い肉の被布を拡げ残忍に包む
無邪気であろう 男に廟と後架の区別がつかず
回廊の果て こもると色づいた甘藍のようになり 全身その器官で被われる
それにだけ承諾された男にとって他の機能は無益だ
男はその輝くものの底に溢れ 深い裂け目から濡れたぐにゃぐにゃの首や手を垂らし
胎児の優しさまで降りた蛆の視線を痙攣する穴の儀式に恋げかける

鎌田喜八
「エスキス」所収
1956

気鬱

母よ、あなたの胎内に僕がゐたとき、あなたを駭かせたといふ近隣の火災が、あのときのおどろきが僕にはまだ残つてゐる。(そんな古いことを語るあなたの記憶のなかに溶込まうとした僕ももう昔の僕になつてしまつたが)母よ、地上に生き残つていつも脅やかされとほしてゐるこの心臓には、なにかやはりただならぬ気鬱が波打つてゐる。

原民喜
原民喜詩集」所収
1951
 

時差

私は知らぬ間に
池のほとりに立っていた

そして いつのまにか
海辺の白い砂の上で足を濡らしていた

私が 池のほとりに立ったのは
いつの事であるか
自分ではわからないのである
たしかに あじさいの花がそこに
咲いていたことだけは覚えている

うす暗く かき曇った空の下で
その花を私は見ていた

そして 潮に足を濡らしている私は
焼き付くような太陽の光りが降りそそいでいる海の遠くを
今は眺めている

その池は どこにあったのかも私は思い出せない
私の頭の中の記憶の森の中にだけあるのかもしれない

けれども たしかに私は立っていたのだ
その池のほとりに
そして今は 海辺の砂浜を歩いているのだ

この不可思議な 現実の明るさと暗さの対比に
私の思弁は耐えられそうにもないのだ

高橋新吉
「高橋新吉詩集」所収
1952

古い機織部屋

ふりむくとき
古い機織部屋が見える。
 (あれは、おかあさんの機織部屋)

ふりむくとき
機を織る音がきこえる。
 (あの部屋で、おかあさんが機を織っていた)

ふりむくとき
古い大きな屋敷が見える。畑が見える。山が見える。
 (あれは おかあさんの 生れた家 生れた村。)

ふりむくとき
鐘の音がきこえる。
 (あれは 三十年前の夕暮れ 時は連続し このように不連続)

ふりむくとき
海辺の山が見える。
 (あそこには おかあさんの墓がある。)

ふりむくとき
波の音がきこえる。
 (あそこで おかあさんと貝がらを ひろった)
 
ふりむくな、ふりむくな
無量の愛をうちにしたときに、別れを告げよう。
 (わたしたちは前へ すすまなければ ならないから)

大江満雄
「機械の呼吸」所収
1955

黒い肖像

絶望

火酒



あるひは



のなか









距離

孤独




に濡れ

梯子
の形
に腐つてゆく

その



脆い
円錐

孤独

部分  

北園克衛
「黒い火」所収
1951

シリア沙漠の少年

シリア砂漠のなかで、羚羊の群れといっしょに生活していた裸体の少年が発見されたと新聞は報じ、その写真を掲げていた。蓬髪の横顔はなぜか冷たく、時速50マイルを走るという美しい双脚をもつ姿態はふしぎに悲しかった。知るべきでないものを知り、見るべきでないものを見たような、その時の私の戸惑いはいったいどこからきたものであろうか。
その後飢えかかった老人を見たり、あるいは心傲れる高名な芸術家に会ったりしている時など、私はふとどこか遠くに、その少年の眼を感じることがある。シリア砂漠の一点を起点とし、羚羊の生態をトレイスし、ゆるやかに泉をまわり、まっすぐに星にまで伸びたその少年の持つ運命の無双の美しさは、言いかえれば、その運命の描いた純粋絵画的曲線の清冽さは、そんな時いつも、なべて世の人間を一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをひたすら放射しているのであった。

井上靖
北国」所収
1958
 

手おくれの男

おでんやでは隅でよろけている椅子にすわる
するとにわかにそれはぼくだけの椅子になる
小さな所有から腰をあげると
ぼくにはいつも居住の不安定さがはっきりする

ものごとがおわってからはじめてぼくは気づくらしい
たとえば一日を吐瀉してしまった貨車のように
ぼくは夜のなかに夜よりもくろくうずくまりながら
かすかにのこる牛や陶器のにおいをさぐりあてている

あやまっておとした鏡には
みじんにくぎられた空がうつる
そこでようやくひとつらなりの天を見上げるしまつだ

―─愛と健康もうしなってはじめて切ないが

死をすら
ぼくは迎えてしまっているのではなかろうか
つねにおそってくる予感がぼくには記憶とまぎらわしい
盃をしずかに乾す
するとゆらゆらういている模様がすっとさだまる
そんなふうに死が見えているのは
これはたしかにぼくには手おくれの出来事ではあるまいか

大野新
「階段」所収
1958

なんでも一番

凄い!
こいつはまったくたまらない
せっかくきたのに
摩天楼もみえぬ
なにがなんだか五里霧中
その筈!
アメリカはなんでも一番
霧もロンドンより深い
嘘だと思う?
職業安定所へ
行って
試してみろ!
紐育では
霧を
シャベルで
運んでいる!

関根弘
「絵の宿題」所収
1953

手に手に棒きれをもち石をもちおまえたちは
おれをとりかこんでしまつた
はじめはじようだんだとおれは思つたくらいだ
一つの石はいきなりとんでおれの目玉をぐしやりつぶし
つづいて石だ石だ石だ石だ
ぐしやりとまた
おれの胸はやられ
口からは血が

  あのいいにおいのするくさむらへ
  かえつてゆきとぐろをまき
  ひなたの音楽をゆつくりきき

匍つて逃げる
だめかもしれない
逃すな逃すな棒きれでぐいとくびを押さえ
口あいたまんま
舌はさわぎ

  くさむらくさむら
  まつくらぎらぎらひかつている
  かみなりの晩
  縞子さんとあいびきしたね縞子さん
  縞子さんはあのとき甘えておれに
 
がしやり頭をとうとうやられ

  おれに石を投げたおまえたちよ
  けれどもおれには立ちあがつておまえたちに石を投げかえすことができない

血と泥
ひんまがつて
おれはおまえたちのなすがままだ

    ああ夕やけ雲が
    あんなにきれいおまえたちの肩の上に
    風は凪いだようだな
    さあ棒きれと残りの石をおれの死骸のそばにほうりだして
    おまえたちは帰れ

鳥見迅彦
「けものみち」所収
1955