シリア砂漠のなかで、羚羊の群れといっしょに生活していた裸体の少年が発見されたと新聞は報じ、その写真を掲げていた。蓬髪の横顔はなぜか冷たく、時速50マイルを走るという美しい双脚をもつ姿態はふしぎに悲しかった。知るべきでないものを知り、見るべきでないものを見たような、その時の私の戸惑いはいったいどこからきたものであろうか。
その後飢えかかった老人を見たり、あるいは心傲れる高名な芸術家に会ったりしている時など、私はふとどこか遠くに、その少年の眼を感じることがある。シリア砂漠の一点を起点とし、羚羊の生態をトレイスし、ゆるやかに泉をまわり、まっすぐに星にまで伸びたその少年の持つ運命の無双の美しさは、言いかえれば、その運命の描いた純粋絵画的曲線の清冽さは、そんな時いつも、なべて世の人間を一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをひたすら放射しているのであった。
井上靖
「北国」所収
1958