手おくれの男

おでんやでは隅でよろけている椅子にすわる
するとにわかにそれはぼくだけの椅子になる
小さな所有から腰をあげると
ぼくにはいつも居住の不安定さがはっきりする

ものごとがおわってからはじめてぼくは気づくらしい
たとえば一日を吐瀉してしまった貨車のように
ぼくは夜のなかに夜よりもくろくうずくまりながら
かすかにのこる牛や陶器のにおいをさぐりあてている

あやまっておとした鏡には
みじんにくぎられた空がうつる
そこでようやくひとつらなりの天を見上げるしまつだ

―─愛と健康もうしなってはじめて切ないが

死をすら
ぼくは迎えてしまっているのではなかろうか
つねにおそってくる予感がぼくには記憶とまぎらわしい
盃をしずかに乾す
するとゆらゆらういている模様がすっとさだまる
そんなふうに死が見えているのは
これはたしかにぼくには手おくれの出来事ではあるまいか

大野新
「階段」所収
1958

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