雨戸をあけると、待ちかねていた箱のカナリヤが動きまわつた。縁側に朝の日がさし、それが露に濡れた青い菜つぱと小鳥の黄色い胸毛に透きとほり、箱の底に敷いてやる新聞紙も清潔だつた。さうして妻は清々しい朝の姿をうち眺めてゐた。
いつからともなくカナリヤは死に絶えたし、妻は病んで細つて行つたが、それでも病室の雨戸をあけると、やはり朝の歌が縁側にきこえるやうであつた。それから、ある年、妻はこの世をみまかり、私は栖みなれた家を畳んで漂泊の身となつた。けれども朝の目ざめに、たまさかは心を苦しめ、心を弾ます一つのイメージが まだすぐそこに残つてゐるやうに思えてならないのだつた。
原民喜
「原民喜詩集」所収
1951