Category archives: 1950 ─ 1959

五月の雉

風の旅びとがこっそり尾根道を通る
ここはしずかな山の斜面
一匹の雌きじが 卵を抱いている
青いハンカチのように
夕明かりの中を よぎる蝶
谷間をくだる せせらぎの音
ふきやもぐさの匂いが
天に匂う
(どこからも鉄砲の音などきこえはしない)

一番高い山の端に陽がおちる
乳いろのもやが谷々からのぼつてくる
やがて、うす化粧した娘のような新月が
もやの中からゆっくりと顔を出す
ーー今晩は、きじのおばさんーー
平和な時間がすぎてゆく
きじの腹の下で最初の卵がかえる
月かげにぬれてひよこがよろめく
親きじがやさしくそれをひきよせる
(どこからも鉄砲の音などきこえはしない)

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

初聖体

或る朝のこと私は病室の窓から
見馴れない少女達の波のような一群れを
遠いい庭の芝草の上に見た。
だが、私がやがて御堂の入り口に立ったとき、私は今一人の少女が
その初聖体を受けようとしていることを知った
そうして波のようなあの少女達の一群れは、
その病んだ一人の少女の初聖体を祝う
多くの友であったことを。
私はいつからか見知っていた。
その少女の祈る様を、編まれた髪を、
又病んだその頬の色を。
だが今初めて真っ白なベールに飾られたその少女の姿は、
祭壇のマリアの御像のようにさえ美しく思われた。
そうして私はいつか思い出していた
街中桜の花びらが散っていて
乳母車を押してゆく若い母親達が、
誰もみんな天使のようにさえ美しく思われた
あの御復活祭の日の私の初聖体のことを。

野村英夫
「野村英夫詩集」所収
1953

ただ過ぎ去るために

     1.
 
給料日を過ぎて
十日もすると
貧しい給料生活者の考えのことごとくは
次の給料日に集中してゆく
カレンダーの小ぎれいな紙を乱暴にめくりとる
あと十九日 あと十八日と
それを
ただめくりさえすれば
すべてがよくなるかのように
 
あれからもう十年になる!
引揚船の油塗れの甲板に
はだしで立ち
あかず水平線の雲をながめながら
僕は考えたものだった
「あと二週間もすれば
子どもの頃歩いた故郷の道を
もう一度歩くことができる」と
 
あれからもう一年になる!
雑木林の梢が青い芽をふく頃
左の肺を半分切り取られた僕は
病院のベッドの上で考えたものだった
「あと二ヶ月もすれば
草いきれにむせかえる裏山の小道を
もう一度自由に歩くことができる」と
 
歳月は
ただ
過ぎ去るために
あるかのように
 
     2.
 
お前は思い出さないか
あの五分間を
五分かっきりの
最後の
面会時間
言わなければならぬことは何ひとつ言えず
ポケットに手をつっ込んでは
また手を出し
取り返しのつかなくなるのを
ただ
そのことだけを
総身に感じながら
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間を
粗末な板壁のさむざむとした木理
半ば開かれた小さなガラス窓
葉のないポプラの梢
その上に美しく
無意味に浮かんでいる白い雲
すべてが
平然と
無慈悲に
落着きはらっているなかで
そのとき
生暖かい風のように
時間がお前のなかを流れた
 
     3.
 
パチンコ屋の人混みのなかから
汚れた手をして
しずかな夜の町に出るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
薄い給料袋と空の弁当箱をかばんにいれて
駅前の広場を大またに横切るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
 
「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」
 
いや そうではない それだけではない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」
 
     4.
 
小さな不安
指先にささったバラのトゲのように小さな
小さな不安
夜遅く自分の部屋に帰って来て
お前はつぶやく
「何ひとつ変わっていない
何ひとつ」
 
畳の上には
朝、でがけに脱ぎ捨てたシャツが
脱ぎ捨てたままの形で
食卓の上には
朝、食べ残したパンが
食べ残したままの形で
壁には
汚れた寝衣が醜くぶら下がっている
 
妻と子に
晴着を着せ
ささやかな土産をもたせ
何年ぶりかで故郷へ遊びにやって
三日目
 
     5.
 
お前には不意に明日が見える
明後日が・・・・・
十年先が
脱ぎ捨てられたシャツの形で
食べ残されたパンの形で
 
お前のささやかな家はまだ建たない
お前の妻の手は荒れたままだ
お前の娘の学資は乏しいまま
小さな夢は小さな夢のままで
お前のなかに
 
そのままの形で
醜くぶら下がっている
色あせながら
半ばくずれかけながら・・・・・
 
     6.
 
今日も
もっともらしい顔をしてお前は
通勤電車の座席に坐り
朝の新聞をひらく
「死の灰におののく日本国民」
お前もそのひとり
「政治的暴力に支配される民衆」
お前もそのひとり
 
「明日のことは誰にもわかりはしない」
お前を不安と恐怖のどん底につき落す
危険のまっただなかにいて
それでもお前は
何食わぬ顔をして新聞をとじる
名も知らぬ右や左の乗客と同じように
叫び声をあげる者はひとりもいない
他人に足をふまれるか
財布をスリにすられるか
しないかぎり たれも
もっともらしい顔をして
座席に坐っている
つり皮にぶら下がっている
新聞をひらく 新聞をよむ 新聞をとじる
 
     7
 
生暖かい風のように流れるもの!
 
閉ざされた心の空き部屋のなかで
それは限りなくひろがってゆく
 
言わねばならぬことは何ひとつ言えず
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間!
 
五分は一時間となり
一日となりひと月となり
一年となり
限りなくそれはひろがってゆく
 
みすみす過ぎ去るに任せられている
途方もなく重大な何か
何か
 
僕の眼に大映しになってせまってくる
汚れた寝衣
壁に醜くぶら下がっているもの
僕が脱ぎ 僕がまた身にまとうもの
 
黒田三郎
「渇いた心」所収
1957

華麗な夏のボタン

あまり世界が暗いので
キリコ硝子
のように街をあるく

Lanvin
Balensiaga
Chanel
Schiapalelli

緑の室で
いきなり黒いパラソルだか
白いピアノだかもしれない影
にぶつかる

黄色い曲線にまきこまれながら
固い音楽に削られていく
ぼく
そして
あの
悲劇的な卵型の空間

北園克衛
真昼のレモン」所収
1954

遠い国

きみは聞いただろうか
はじめて空を飛ぶ小鳥のように
おそれと あこがれとで 世界を引きさくあの叫びを

 あれはぼくの声だ その声に
 戦争に死んだわかもの 貧しい裸足の混血児
 ギブスにあえぐ少女たちが こだましている
 愛をもとめて叫んでいるのだ

きみは見ただろうか
ぼくがすすったにがい蜜を 人間の涙を
この世に噴きあげるひとつのいのちを

 あれはきみの涙だ そのなかに
 夢を喰う魔術師 飢えをあやつる商人
 愛をほろぼす麻薬売りが うつっている
 その影と ぼくらはたたかうのだ

おお なぜ
ぼくらは愛し合ってはいけないのか
ほんとうにあの叫びを聞いたなら
ほんとうにあの涙を見たのなら

 きみもいっしょに来てくれたまえ
 遠い国で
 ぼくらがその国の最初の二人になろう

木原孝一
木原孝一詩集」所収
1956

悲劇

京浜国道を霊柩車が走ってきた。
私が歩いてゆく、前方から

と、
運転台と助手台で
二人の男が笑っている
何やら話しながら
ことに助手台に坐っている赤ら顔の大男が
まことに愉快そうに
ワッハッハと、声がきこえそうな表情で
笑っているのである。

静かな運転
霊柩車は私のかたわらを通り過ぎてゆく
うしろには柩がひとつ
文句のないお客様である。

そのあとから色の違うタクシーが三台続いた
いずれ喪服の親類縁者
ひっそりさしうつむいて乗っている
それも束の間
葬列はゆるやかに走り去っていった。

「駄目だ」
私は思わず振り返り、手を挙げて叫んだ、
芝居の演出者のように
「やり直し
も一度はじめから
はじめから出直さないことには!」

広い大通りのまんなか
である。

石垣りん
私の前にある鍋とお釜と燃える火と」所収
1959

山之口貘君に

二人がのんだコーヒ茶碗が
小さな卓のうへにのせきれない。
友と、僕とは
その卓にむかひあふ。

友も、僕も、しやべらない。
人生について、詩について
もうさんざん話したあとだ。
しやべることのつきせぬたのしさ。

夕だらうと夜更けだらうと
僕らは、一向かまはない。
友は壁の絵ビラをながめ
僕は旅のおもひにふける。

人が幸福とよべる時間は
こんなかんばしい空虚のことだ。
コーヒが肌から、シャツに
黄ろくしみでるといふ友は
『もう一杯づつ
熱いのをください』と
こつちをみてゐる娘さんに
二本の指を立ててみせた。

金子光晴
人間の悲劇」所収
1952

忠告

白い小さな花がいつぱい咲きこぼれている
掃き溜めのところで
(背のびをすれば曙の海の見える)
あの胴長女が言つたことを思い出すがいい
そして急いで自分の家に帰つてみることだ
もうまる三週間も汐かぜに吹かれていたのだから
罵りさわいだ腹の虫もすつかりおさまつているだろう
それ以上 本当にそれ以上遠いところのない心のはてに来たのだから
その深い悲しみを話してみるがいい
誰にというのか
誰もいなければやつぱりきみ自身に話すことだ
もしきみがいなかつたら
もしきみがいなかつたらと言うのか
それから先きはぼくにはなにも分らない

嵯峨信之
「愛と死の数え唄」所収
1957

不出来な絵

この絵を貴方にさしあげます

下手ですが
心をこめて描きました

向こうに見える一本の道
あそこに
私の思いが通っております

その向こうに展けた空
うす紫とバラ色の
あれは私の見た空、美しい空

それらをささえる湖と
湖につき出た青い岬
すべて私が見、心に抱き
そして愛した風景

あまりにも不出来なこの絵を
はずかしいと思えばとても上げられない
けれど貴方は欲しい、と言われる

下手だからいやですと
言い張ってみたものの
そんな依怙地さを通してきたのが
いま迄の私であったように
ふと、思われ
それでさしあげる気になりました

そうです
下手だからみっともないという
それは世間体
遠慮や見得のまじり合い
そのかげで
私はひそかに
でも愛している
自分が描いた
その対象になったものを
ことごとく愛している
と、きっぱり思っているのです

これもどうやら
私の過去を思わせる
この絵の風景に日暮れがやってきても
この絵の風景に冬がきて
木々が裸になったとしても
ああ、愛している
まだ愛している
と、思うのです
それだけ、それっきり

不出来な私の過去のように
下手ですが精一ぱい
心をこめて描きました。

石垣りん
私の前にある鍋とお釜と燃える火と」所収
1959

それはまたひとつの失意のやうにたちどまる
純金の葉飾りに縁取られて
イタリヤのcameeのやうに
朝の十時の
軽い響きのなかに
あなたは哀しくたちどまる
ぼくの思ひ出の瑪瑙のなかに
きびしい怨恨の裂目をのこして
ああ
冷い風とともに
紫に暮れていく日日の眼にしみる思ひよ
ひとりプロムナアドの
かたい陰影に気をとられながら

北園克衛
砂の鶯」所収
1951