Category archives: 1950 ─ 1959

はつ鮎

藁科川に初鮎をつるかたがた

もしや脚絆わらぢの釣り支度で

竿をもたない年寄りがいつたら

お邪魔でもすこし席をあけて

釣りを見せてやつてください

背の高い半身不随の

もののいへない年寄です

彼はわれとわが心から

淋しく 苦しく 不仕合せで

釣りのほかには楽しみがなく

これといつて慰めもありません

老衰のうへに病気もてつだつて

重たい鮎竿がもてないため

さうしてひと様の釣りを見てあるきます

そんな老人にお逢ひでしたら

私の伝言を願ひます

私はここにきてゐると

うきや糸まきおもりなど

かたみの品もあるから

ゆつくり寄つて休むやうにと

どうぞ皆さんお願ひします

彼は私の亡くなった兄です

 

中勘助

「藁科」所収

1951

友の家を訪ひたるに、

赤子の尿を漏せしとて、

ランプの火影のなか、

妻なる人は疊を拭くに忙し。

 

早や寝たかと思ひし友の、

起きて居し一室には、

食ふものも散らばりたり。

 

引く人もなき俥の

我れを乗せて何處ともなく、

右左搖れつゝ行けば、

廣き野の隅に出でたり。

 

枯草のなか二たところ

黑きものあると思ひし、

むくむくと動くを見れば、

それはみな數知れぬ鼠にして、

我れを見て逃げもせず……

此時に醒めし我が夢。

 

石井柏亭

1958

嬰児

私は、大阪の

みすぼらしい 子商人の 家の 末つ児に 生まれた、

上るとキイキイ音のする古い梯子段の下で、

私はいつも固い木箱に入れられたままで育つた。

 

私の周囲には売れ残りのものや、未だ季節の来ない商品が

ごみ捨て場の 塵芥の やうに 積み上げられてゐた、

身体を動かすと、そのうちの一つが私の動いた後へ転がり落ちた、

私が 一方に動くと、同じやうに他の一方が塞がれた、

動けば動くほど私の領分は小さくなり

私はそのなかに埋れて行つた、

声を立てて泣いたけれども

誰も私を救ひには来なかつた。

 

店には客が込んでゐた、

母も兄もその対手に忙しかつた、

誰も私のことなど構つてはゐなかつた、

天井から、丁度私の目の届くあたりに

誰が吊したのか赤い布切れのやうなものが下がつてゐた、

私はそれを眺めてゐた、

それが風に揺れるのを眺めてゐた。

 

然しやつぱり私は泣き出した、

一生懸命に身をもがいて

窮屈な木箱から外に出ようと

私はそればかりにかかつてゐた。

 

百田宗治

「百田宗治詩集」所収

1955

雑木林 そのファンタジア

僕は雑木林が好きだ

(雑木林は お前だ)

 

多彩な感情が溢れて 四季に変貌する

ありきたりの

エゴが花を咲かせ 楢や櫟が紅葉し

やわらかな起伏が豊かにあって

下生いの雑草が 野兎やミソサザイの歌をかくしている

 

高い山でないのがいい

深い森でないのがいい

耕された土地でないのがいい

いつも僕を呼んでいる

林は

僕を招き入れて

林のなかに溶かしてしまい

沁みてきて

僕のなかに緑のしげりをつくる

 

──その道を

どれほど来たのだろうか

僕の前に

林の このひろがり

歩むところが道となり

すべてが

わがままな歩みのために準備されている

 

夕ぐれ 紫の露を散して露草が咲いていた

そこに 林の入口があった

僕は 言葉や身振りや不自然に自分を飾りたてるものをすてて

林の気に抱かれて 跳びはねる

野兎になろう

起伏のひろがりこそ 僕の故郷だ

 

たれにも狙われてはいない

もう時間をかけて あんなにおびえることはいらない

かたくなな 僕に 重い言葉を強いるものはいない

遠い道程へ駆りたてる むちの音に 身体をさらすこともない

意志に反した言葉にも

つくり笑いにも

疲れなくていい

ここは 僕一人に許された場所だ

 

抱かれている

一人の僕が 全体なのだ

林の全体が 僕なのだ

やわらかく包まれて 僕は 昇華し透明な存在になる

朝の林に太陽がかがやき始めるとき

光 が

樹木のあいだを縫い

葉むらを織りなしてすみずみまでも沁みとおっていくように

豊かな起伏を見せる 地肌が

静かに うるおいを枯生いの根元ににじませて しだいに 春を呼ぶとき

みずからの速度に温まりながら

明るいスロープを 沢へすべるように愛撫の息吹を送り込んでいく

僕は

風の 透明なゆらめきだけを残して

溶けてしまうのだ

 

魂の声の聞こえる静かな奥の方の場所で

幾つかの合図を待ちながら

そして

夏はエゴの白い可憐な 花の

冬はヤブコウジのつぶらな 実の

甘える眸がジッと見まもっている

オリオンのまたたくよる 林はその十字の影を地肌に焼きつけた

 

弱い陽差しをあつめて 陽溜りをつくっている

笹むらの蔭に 僕は

疲れた身体を しばしの憩に横たえる

つらい歩みを僕は言わない

荒い呼吸を整えよう

(リンドウの気づかわしげに覗く目を知っているから)

言葉の葉をふり落して

姿態をあらわしてきたさまざまの樹木の思想

その梢の上にひろがる 青い空

木の間にちらつく遠い地平の山脈

その距離の越えて行かなければならない いくつもの冬の季節の訪れに耐えるために

僕が

熱い光の息吹となって どのように吹込もうと

風の掌のぬくもりで愛撫をかさねようと

(懸命な努力にかかわらず)

いくたびか 冬は 林に迫って容相を変えるだろう

(時の流れのなかで)

光は雲にさえぎられ

風は奪いとり 裸を強いるだろう

(自然の摂理の厳しさは)

幾月も 幾回も 繰返して

ふるえる裸身の上にさらに覆うだろう

僕は

冬の林を 胸のなかに抱くだろう

僕の胸に厚い氷がはりつめるとき 林も霜柱の柱廊にかこわれて窒息するだろう

だが 僕は

信じることが出来る

耳を傾けて聞こう

枯生いの地肌に頬をこすりつけよう

固い樹皮の内側に流れる 樹木のさかんな脈動がある

かわいた地表に散した枯葉の裏側で けんめいにしめり気を蓄えているいとしさがある

一面に林を埋めた 雪が

樹木の根元から

落葉の下のぬくもりから

ほころびていく

ふっくらした黒い土の水みずしい部分に かげろうの息吹が立ち

朝もやが うすれながら後退して領域をひろげていく

早春の目覚めのなかで

林は いっせいに溢れてくる

 

──不意に

コロ コロと明るい声がはじけ

小雀の群が しじまをくすぐって飛び過ぎる

僕は

何か たまらぬところにうっかりと触れてしまったらしい

林の流れは

メルヘンの純粋さできよらかに溢れてくる

小鳥の可憐な胸をはずませて 悦びにふるえるところから

散らした枯葉が いくえにも重ねた想いをつづけるあいだから

野兎の無邪気なかわきをうるおすために

泉は吹き上げてくる

流れは小砂をひたし 石の合いまを縫って

光にあたって 明るくかえし

悦びの笑を羞らいながら立てて

ひそかに流れは

沢の奥の しげみの見えがたい内にかくす

流れの 源は つつましくかくしていなければいけない

僕は

この静寂をいくたびか驚ろかし 騒がせてしまっただろう

夢と まどかな想いを乱してはいけないのに

 

エゴの花が咲くころ

林は

さらに豊かなみどりを波打たせる

僕の帆船は水尾を引いて走り

波の底では

僕の夢のために一つの扉が音もなくひらきみどりの部屋を準備する

疲れたキャプテンは

漂泊の時の間を

青草の揺籃にゆられながら

進路の誤差を星座に修正するのだ

雲が 透明な水の底まで 他人ごとのように流れる影を落すが

ここでは 行きかう旅人もいないので

僕は

道を尋ねられたりして あわてたりいらだつこともない

羊の睡りは 林の午睡に重ねられる

もはや 僕と林との関係を 性急な乾いた接吻で傷つけることもない

時の しだいに熱してくる気に包まれて 無邪気な興奮があるばかりだ

 

青木繁

「青木繁詩集」所収

1959

記憶

 もしも一人の男がこの世から懸絶したところに、うら若い妻をつれて、そこで夢のやうな暮しをつづけたとしたら、男の魂のなかにたち還つてくるのは、恐らく幼ない日の記憶ばかりだらう。そして、その男の幼児のやうな暮しが、ひつそりとすぎ去つたとき、もう彼の妻はこの世にゐなかつたとしても、男の魂のなかに栖むのは妻の面影ばかりだらう。彼はまだ頑に呆然と待ち望んでゐる、満目蕭条たる己の晩年に、美しい記憶以上の記憶が甦つてくる奇蹟を。

 

原民喜

原民喜詩集」所収

1951

柱時計

ぼくが

死んでからでも

十二時がきたら 十二 

鳴るのかい

 

苦労するなあ

まあいいや

しっかり鳴って

おくれ

 

淵上毛錢

1950

大怪魚

かじきまぐろに似た

見あげるばかりの

大きな魚の化物が

海からあげられた。

おきざりにされて

砂浜には人かげもない。

ひきさかれた腹から

こやつは腹一ぱい呑みこんだ小魚を

臓腑もろとも

ずるずると吐きだして死んでいる。

その不気味さつたら。

おどろいたことに

その小魚どもがまたどいつもこいつも小魚を呑みこんでいるのだ。

海は鈍く鉛色に光つて

太古の相を呈している。

波しずかなる海にもえらい化物がいるものだ。

ひきあげてみたものの

しまつにおえぬ。

生乾しのまゝ

荒漠たる中に幾星霜。

いまだに

死臭ふんぷんだ。

 

小野十三郎

火呑む欅」所収

1952

雲にはさまざまの形があり、それを眺めてゐると、眺めてゐた時間が溶け合つて行く。

はじめ私はあの雲といふものが、何かのシンボルで獣や霊魂の影だと想つた。

ナポレオンの顔に似た雲を見つけたり、天狗の嘴に似た雲を見つけたことがある。石榴の樹の上に雲は流れた。

雲は全て地図で、風のために絶えず変化してゆく嘆きでもあつた。金色に輝く夏の夕べの雲、濁つてためらふ秋の真昼の雲、それを眺めて眺めてあきなかつた中学生の私がある。

何時からともなく雲を眺める習慣が止んだ。私の頭上に青空があることさへ忘れ、はしたない歳月を迷つた。けれども雲はやつぱし絶えず流れつづけてゐた。そして今、私が再び雲に見入れば、雲は昔ながらの、雲のつづきだ。

 

原民喜

原民喜詩集」所収

1951

燃エガラ

夢ノナカデ

頭ヲナグリツケラレタノデハナク

メノマヘニオチテキタ

クラヤミノナカヲ

モガキ モガキ

ミンナ モガキナガラ

サケンデ ソトヘイデユク

シユポツ ト 音ガシテ

ザザザザ ト ヒツクリカヘリ

ヒツクリカヘツタ家ノチカク

ケムリガ紅クイロヅイテ

 

河岸ニニゲテキタ人間ノ

アタマノウヘニ アメガフリ

火ハムカフ岸ニ燃エサカル

ナニカイツタリ

ナニカサケンダリ

ソノクセ ヒツソリトシテ

川ノミヅハ満潮

カイモク ワケノワカラヌ

顔ツキデ 男ト女ガ

フラフラト水ヲナガメテヰル

 

ムクレアガツタ貌ニ

胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ

赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ

ボロキレヲスツポリカブセ

ヨチヨチアルカセテユクト

ソノ手首ハブランブラント揺レ

漫画ノ国ノ化ケモノノ

ウラメシヤアノ恰好ダガ

ハテシモナイ ハテシモナイ

苦患ノミチガヒカリカガヤク

 

原民喜

原民喜詩集」所収

1951

火ノナカデ 電柱ハ

火ノナカデ

電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ

蝋燭ノヤウニ

モエアガリ トロケ

赤イ一ツノ蕊ノヤウニ

ムカフ岸ノ火ノナカデ

ケサカラ ツギツギニ

ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ

サケンデユク 火ノナカデ

電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ

 

原民喜

原民喜詩集」所収

1951