雲にはさまざまの形があり、それを眺めてゐると、眺めてゐた時間が溶け合つて行く。
はじめ私はあの雲といふものが、何かのシンボルで獣や霊魂の影だと想つた。
ナポレオンの顔に似た雲を見つけたり、天狗の嘴に似た雲を見つけたことがある。石榴の樹の上に雲は流れた。
雲は全て地図で、風のために絶えず変化してゆく嘆きでもあつた。金色に輝く夏の夕べの雲、濁つてためらふ秋の真昼の雲、それを眺めて眺めてあきなかつた中学生の私がある。
何時からともなく雲を眺める習慣が止んだ。私の頭上に青空があることさへ忘れ、はしたない歳月を迷つた。けれども雲はやつぱし絶えず流れつづけてゐた。そして今、私が再び雲に見入れば、雲は昔ながらの、雲のつづきだ。
原民喜
「原民喜詩集」所収
1951