Category archives: 1940 ─ 1949

さうか

これが秋なのか

だれもゐない寺の庭に

銀杏の葉は散つてゐる

 

草野天平

ひとつの道」所収

1947

一億の号泣

綸言一たび出でて一億号泣す

昭和二十年八月十五日正午

われ岩手花巻町の鎮守

島谷崎神社々務所の畳に両手をつきて

天上はるかに流れ来る

玉音の低きとゞろきに五体をうめる

五体わななきてとゞめあへず

玉音ひゞき終りて又音なし

この時無声の号泣国土に起り

普天の一億ひとしく宸極に向ってひれ伏せるを知る

微臣恐惶ほとんど失語す

ただ眼を凝らしてこの事実に直接し

荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさゞらん

鋼鉄の武器を失へる時

精神の武器おのずから強からんとす

真と美と到らざるなき我等未来の文化こそ

必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん

 

高村光太郎

1945

ゆずり葉

子供たちよ。

これはゆずり葉の木です。

このゆずり葉は

新しい葉が出来ると

入り変わってふるい葉が落ちてしまうのです。

 

こんなに厚い葉

こんなに大きい葉でも

新しい葉が出来ると無造作に落ちる

新しい葉にいのちをゆずってーー。

 

子供たちよ。

お前たちは何をほしがらないでも

すべてのものがお前たちにゆずられるのです。

太陽のめぐるかぎり

ゆずられるものは絶えません。

 

かがやける大都会も

そっくりお前たちがゆずり受けるのです。

読みきれないほどの書物も

みんなお前たちの手に受け取るのです。

幸福なる子供たちよ

お前たちの手はまだ小さいけれどーー。

 

世のお父さん、お母さんたちは

何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちにゆずってゆくために

いのちあるもの、よいもの、美しいものを、

一生懸命に造っています。

 

今、お前たちは気が付かないけれど

ひとりでにいのちは延びる。

鳥のようにうたい、花のように笑っている間に

気が付いてきます。

 

そしたら子供たちよ。

もう一度ゆずり葉の木の下に立って

ゆずり葉を見る時が来るでしょう。

 

河合酔茗

花鎮抄」所収

1946

 

紅い夢

茜と云ふ草の葉を搾れば

臙脂はいつでも採れるとばかり

わたしは今日まで思つてゐた。

鉱物からも、虫からも

立派な臙脂は採れるのに。

そんな事はどうでもよい、

わたしは大事の大事を忘れてた、

夢からも、

わたしのよく見る夢からも、

こんなに真赤な臙脂の採れるのを。

 

与謝野晶子

1942

私は太陽を崇拝する

私は太陽を崇拝する…

その光線のためでなく、太陽が地上に描く樹木の影のために。

ああ、喜ばしき影よ、まるで仙女の散歩場のやうだ、

其処で私は夏の日の夢を築くであらう。

 

私は女を礼拝する…

恋愛のためでなく、恋愛の追憶のために。

恋愛は枯れるであらうが、追憶は永遠に青い、

私は追憶の泉から、春の歓喜を汲むであらう。

 

私は鳥の歌に謹聴する…

それは声のためでなく、声につづく沈黙のために。

ああ、声の胸から生まれる新鮮な沈黙よ、「死」の諧音よ、

私はいつも喜んでそれを聞くであらう。

 

野口米次郎

1947

青い桃をもって

青い桃をもぎとって

ふところへ入れると

女のような

華麗な表情になる

心臓に

桃がかちあふ

田舎道は熱烈で

喰ひ欠くと桃は真赤になる

自分は松の木によりかゝつて

川の南風をうけながら

大きい田舎の女と

真夏のおしやべりをする

 

佐藤惣之助

1942

 

耳鳴りの歌

私の耳の中では

ソバカラを鳴らすやうな

少しのしめり気もない乾ききつて

鉄砲をうちあふやうな音がきこえた

私は心で呟やく、あゝ、まだ戦争がつゞいてゐるのだと

とてつもない大きな大砲の音がひびく

ほんとうの戦争よりも激しい

貧困とたゝかふ者もある

そして夜がやつてくると

どしんどしんと窓は何ものかに

叩きつけられて一晩中眠れないのだ

 

やさしい秋の木の葉も見えない

都会の裏街の窓の中の生活

ときをり月が建物の

屋根と屋根との、わずかな空間を

見せてならないものを見せるやうに

しみつたれて光つて走りすぎる

煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も

これ以上つづくであらうか

愛といふ言葉も使ひ古された

憎しみといふ言葉も使ひ忘れた

生きてゐるといふことも

死んでゆくといふことも忘れた。

ただ人はゆるやかな雲の下で

はげしく生活し狂ひまはつてゐる。

 

私の詩人だけは

夜、眠る権利をもつてはいけない

不当な幸福を求めてはならないのだ

夜は呪ひ、昼は笑ふのだ

カラカラと鳴るソバカラの

耳鳴りをきゝながら

あゝまだ戦争は野原でも生活の中でも

つづいてゐるのだと思ふ。

そのことは怖れない

人民にとつて「時間」は味方だから

人と時とはすべてを解決するのだらう。

 

小熊秀雄

哀憐詩集」所収

1940

自然に、充分自然に

草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。

子供はのがしはしなかつた。

けれども何か瀕死に傷いた小鳥の方でも

はげしくその手の指に噛みついた。

 

子供はハツトその愛撫を裏切られて

小鳥を力まかせに投げつけた。

小鳥は奇妙につよく空を蹴り

翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

 

自然に? 左様 充分自然に!

――やがて子供は見たのであつた、

礫のやうにそれが地上に落ちるのを。

そこに小鳥はらくらくと仰けにね転んだ。

 

伊東静雄

詩集夏花」所収

1940

ヤマグチイズミ

きけば答えるその口もとには

迷い子になってもその子がすぐに

戻って来る筈の仕掛がしてあって

おなまえはときけば

ヤマグチイズミ

おかあさんはときけば

ヤマグチシズエ

おとうさんはときけば

ヤマグチジュウサブロウ

おいくつときけば

ヨッツと来るのだ

ところがこの仕掛おしゃまなので

時には土間にむかって

オーイシズエと呼びかけ

時には机の傍に寄って来て

ジュウサブロウヤとぬかすのだ

 

山之口貘

山之口獏詩集」所収

1940

 

案内

三畳あれば寝られますね。

これが水屋。

これが井戸。

山の水は山の空気のやうに美味。

あの畑が三畝、

いまはキヤベツの全盛です。

ここの疎林がヤツカの並木で、

小屋のまはりは栗と松。

坂を登るとここが見晴し、

展望二十里南にひらけて

左が北上山系、

右が奥羽国境山脈、

まん中の平野を北上川が縦に流れて、

あの霞んでゐる突きあたりの辺が

金華山沖といふことでせう。

智恵さん気に入りましたか、好きですか。

うしろの山つづきが毒が森。

そこにはカモシカも来るし熊も出ます。

智恵さん斯ういふところ好きでせう。

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1949