人は死んでゆく
また生れ
また働いて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此処に
ぽつんとゐればいいのだ
草野天平
「ひとつの道」所収
1947
くらい海の上に 燈台の緑のひかりの
何といふやさしさ
明滅しつつ 廻転しつつ
おれの夜を
ひと夜 彷徨ふ
さうしておまへは
おれの夜に
いろんな いろんな 意味をあたへる
嘆きや ねがひや の
いひ知れぬ――
あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ
なにもないのに
おれの夜を
ひと夜
燈台の緑のひかりが 彷徨ふ
伊東静雄
「詩集夏花」所収
1940
郊外の友だちの家でクリスマスのお祭りをしたかへり
まっ暗な廣い畑中の道を
大供小供うちまぜてひとかたまり一緒に歩いてゐる
わけもなくうれしく騒いだので今はみんな
少し疲れて黙りがちである。
小さい人達はおまけにねむさう
冬の夜の靄があたり一めんの黒い土によどみ
風の無いしんとした身籠もったやうな空には
ただ大きな星ばかりが匂やかにかすんで見える。
天の蝶々オリオンがもう高くあがり
地平のあたりにはアルデバランが冬の赤い信號を忘れずに出してゐる
森のむかうの空に東京の町の灯が
人なつこい暖かさに明るくうつる
とぎれとぎれに話しを為ながら
今夜の思出に顔を埋めながら
空をたよりに暗の夜路を
しづかに停車場に向つて行くパブリゴスの國のやからである
わたしはマントにくるまつて
冬の夜の郊外のつめたい空気に身うちを洗ひ
今日生まれたといふ人の事を心に描いて
思はず胸を張つてみぶるひした
──おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる
この世に彼を思ふほど根源の力を與へられる事はない
湯にひたるやうな和ぎと滴る泉の望みとが心に溶け入る事はない
どんな時にも彼を思ひ出せば
萬軍の後楯があるやう
おのれの行く道をたより切つて行ける氣がする
こんなかはい想な今の世にも清らかな微笑が湧く
塵にうもれてゐる事さへ幸福をさとる
彼がゐたと思ふだけで魂は顔を赤めて生きいきして來る
彼はきびしいがまたやさしい
しののめのやうな女性のほのかな心がにほひ
およそ男らしい氣稟が聳える
どうしても離れがたい人
この世で一ばん大切な一つのものを一ばんむきに求めた人
人間の弱さを知りぬいてゐた人
しかも人間の强くなり得る道をはつきり知ってゐた人
彼は自分のからだでその道を示した
おう彼を思へば奮ひたつ
心が燃え
滿たされる
彼はじつさい天の火だ
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる
──彼の言葉はのっぴきならぬ内側から響いて來る
痛いところに皆觸れる
けれどやがて又やさしく人を抱き上げる
人に寛闊な自由と天眞とを得させる
おのれの生来に任せきる度胸とつつましさを得させる
俎のの上に平氣でねさせる
地面の中から萬物と聲を合わせて宇宙の歌をうたはせる
おのれをくじらかさないで
おのれを微妙に伸びさせる事を知るたのしさ
此は彼からわたしに來たやうだ
彼は今でもそこらにゐる
一ばん古くて一ばん新しい
いつでもまぶしいほど初めてだ
古さをおそれるものに新はない
社會の約束がどう変わつても
彼を知る人間は強いだろう
彼を知る事はおのれの生來を知る事だ。
──わたしもこの日本に生まれて人の心の糧にたづさはる人間だ
無駄なやうなしかし意味深いいろんな道を通つて來た
いろんな誘惑にあひながらも
おのれの生來はその度に洗はれた
おのれの役目は天然に露出して來た
今彼の事を思ふのは力である
どんな誘惑にもたちむかはう
誘惑からも取るものは取らう
さうして 此の土性骨を太らせよう
出來る事なら肉もつけよう
夏の日にあたつても平氣な土着の木にならう
薄ぐらい病的な美は心を惹くが別の世界だ
いぢけた九年母のやうになりたくない
ただ目ざすのは天上だ
おうそして飽くまでもこの泥にまみれた道を立たう
ひた押しにあの自然と寛政角力を取らう
窯変もののこじれた癖は辞退しよう
臭みを帯びた東洋趣味に堕するのも恐ろしい
すがれた味に澄み切るのもまだ私の柄でない
いかに不恰好らしくても
しんじつ光を吸つて靑天井の下に生きたいのだ
それが出來れば一つの美だ
人間の行く道には今でもこの世の十字架が待ってゐる
おうけれどそれを避けるものは死ぬ
私はただ招かれた一つの道を行かう
彼も歩いた道である
何といふ光榮
おう彼の誕生を心から喜び感謝するものがここにもゐる
暗の夜道を出はづれると
ぱっと明るい光がさしてもう停車場
急に年の暮じみた陽氣な町のざわめきが四方に起り
家へ歸つている事を考えている無邪氣な人たちの中へ
勢のいい電車がお伽話の國からいち早く割り込んで來た
高村光太郎
1947
十五の少年
東京で靴磨きをしてゐた
うまくゆかないのであらう
職を求めて大阪へ行つた
大阪にも職はなかつた
東京へ戻るため汽車に乗つた
その汽車の中で少年は服毒した
苦しみだしたので助けられた
遺書があつた
遺書にはかう書いてあつた
もうこれ以上は悪いことをしなければ
生きてゆかれません
高橋元吉
「草裡」所収
1944
姉は二十九で死んだ
つまり その人の
二十九歳までしか
私は知らない
故郷の 古い庭が
いい時候になると
姉はそこの椅子に坐つてゐた
花が好きだつた
物の成長が好きだつた
それだのに 自分の生命は
あんなに 気忙しく
燃やしてしまつた
花弁を顔にあてがふと
泣き笑ひのやうな表情をした
そんなに
寂しい顔の娘だつた
今では
私の父も 姉の傍にゐる
ついこの間まで私の側にゐた父が
「男の子たちは
まるで花には無関心でね」
情の声である
「まあ そして私の庭は・・・・」
私達 私たちの生の側には
いい月夜がある
それで きつと
情や姉のことを思ひ出すのだらう
津村信夫
「詩集 父のゐる庭」所収
1942
さあ明日は出発だ
そこらあたりからしのび倚つて来る風よ
赤蜻蛉よ待つておくれ まつてくれ。
吾が部屋の 故郷のデッサンを 一枚 一枚 壁
からおろすのだから
旅立ちの日 心の重くならぬやう
小さなピンでもちくりとさせば痛いのだから。
一枚 一枚 ゆつくり眺めたいのと
つくつく法師のせはしい時と。
棕梠の木の繁りのなかから
蝉がしぐれて遠く近くに
日々の花火は鮮やかに散つた。
ふるさとのひとなつは 午睡のなかに
迷ひ込み
遊び道化てお芝居ばかり打つてゐた。
とある日の真昼時
白い窓から ほゝゑみかけて来たひとがある。
ハーモニカを吹いて呉れた。
花弁の静かな昼顔の花。
午睡のなかで
あれは……と尋ねるおまへに ひとゝきのまたと
ない真実を見せて 私よ にごつた笑ひ
のなかで おまへの喜びは悲しいばかり。
淡い日の照らす町の涼台で
私よ 遊び道化てお芝居ばかり打つてはゐたが
あのひとの 思ひをこめた心根の美しく
おまへは白銀の針をさゝれて
影のやうに泣いて軒場にきえた。
夏草のうたふ山を
鳴く虫も青い庭を
月は夜毎にのぞいて越えた。
白い窓に流れてくる青空も 花火の音はらんで
今日はお祭りなのだから
繭売つた百姓達もぞろぞろと来るのだから
少女達も浮かれてゐるのだから。
古い街もはずんで 遠い山
山あひの湖の夏草よ おまへは知つてゐる
ひとひ 桔梗夫人の湖に鏡した瞳の色を 岸づた
ひ白いミルはおまへのしとねにはづんでゐた。
昼顔の花よ 小向日葵よ 花々の少女達よ さよなら。
笠美波
「夏の逝く日の風に乗り」所収
1944
リトマス試驗紙は轉寢をし、タイル張りの螺旋階段は締切つた。
けれども三面鏡は間斷なく機關銃を亂射し、太陽から眼帶を略
奪した。スヰトピイの花瓶をたたき壊した彼は、決然とドアを
蹴つた。
克山滋
「白い手袋 克山滋遺稿集」所収
1948
かしこい人は、
警報を見知つて
沖に出ない。
戦はずにゐられぬ人達は、
今いろいろなもくろみを胸にたたむ。
怖ろしくも心地よいほど残忍性に富んだ白蛇は、
青葉の蔭に休息してゐる。
粗末な人間の住み家、
一撃のもとに倒される人間。
じめじめした畳にすわり
腕組して向ひあつてゐる男女。
道化者の雷は
食後の散歩にやつて来る。
こちらの空に柔い雲が
むらむらと起つて
同志を呼びよせる。
敵でもこんなことをしてゐるのか……
白雲が黒雲にかはる。
……戦がはじまる前
………………………………
夕蝉の声を聞きながら、
地べたに腰をおろして
休んでゐる兵士達――
ひきつけられる雲の量が多くなる時、
空はにごつて、
電光は
二人の人影を
鮮かに黒土にうつして
すぐに消える。
桜庭芳露
「青森県詩集」所収
1948
人はのぞみを喪っても生きつづけてゆくのだ。
見えない地図のどこかに
あるひはまた遠い歳月のかなたに
ほの紅い蕾を夢想して
凍てつく風の中に手をさしのべてゐる。
手は泥にまみれ
頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
冬の草のやうに生きてゐるのだ。
遠い残雪のやうな希みよ、光ってあれ。
たとへそれが何の光であらうとも
虚無の人をみちびく力とはなるであらう。
同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
寂蓼とそして精神の自由のみ
俺が人間であったことを思ひ出させてくれるのだ。
1940年1月28日 蘇州にて
田邉利宏
「従軍詩集」所収
1940
白い繭を破つて
生れ出た蛾のやうに
俺には
子供の成長が
実に不思議に思はれる
美しいもの──
とも考へる
俺は林の中に居を朴した
俺が老いるのは
子供が育つことだ
それにはなんの不思議もない
風が来て
芙蓉の花が揺れる
俺は旅で少女と識つた
古いことだ 昔のはなしだ
少女は俺の妻になつた
その妻が
今 柱のそばに立つてゐる
子を抱いて 少し口もとで笑つて
風が吹く
どのあたりから?
旅の空を はるかなものを
俺はもう忘れてしまつたのか
津村信夫
「或る遍歴から」所収
1944