Category archives: 1930 ─ 1939

僕は君が生れた時

僕は君が生れた時隣りの部屋で
夢中になつて君の母の苦しみを聞きながら原稿を書ゐていた
だつて僕はその時金が一文もなかつたからさ
僕は原稿を書き終へたら君は生れた
僕は原稿をポストへ入れに出ながら
わななく心を押へながら上野にゐる友達に金を借りに行つた
僕はアーク灯のぼんやりした公園の森の中を
声高々と歌を歌つて歩いて行つた
自然に僕は歌つてゐたのだ
僕は自分に氣がついてからも歌つた
僕は愉快でならなかつた
友は金と一緒におむつとタオルを渡してくれた
みな玄関に出て僕を見つめてゐた
僕は皆の顔を見て笑つた
僕はその金でどつさり思い切つて果物を買つて
君の母の所へ歸つて来た
だが 君は生れて
父の生れた土地へも行かない
母の生れた土地へも行かない
両方とも僕達をきらつてゐるのさ
僕はどつちへも通知しない
然しそんな事が何んだ
君はここの所から出発すればいいんだ
何者も怖れるな
勇敢なるかつ誠実なる戦ひの旗を
僕は死ぬまで君のために振るよ。

萩原恭次郎
断片」所収
1931
 

棒高跳び

彼は地蜂のように
長い棒をさげて駆けてくる
そして当然のごとく空に浮び
上昇する地平線を追いあげる
ついに一つの限界を飛びこえると
彼は支えるものを突きすてた
彼には落下があるばかりだ
おお 力なくおちる
いまや醜く地上に顛倒する彼の上へ
突如 ふたたび
地平線がおりてきて
はげしく彼の肩を打つ

村野四郎
体操詩集」所収
1939

夜の胸飾 ほのかな月の光りの木影の水のやうに
暗らい扉のむかうで私は睡眠の歌にゆられてゐる

靑い庭のラムプ 消えて行く幸福の足音のやうに
霧にしめつた枝と枝との中に その光りはちらばり

逃げてゆく影 美しい影 瀕死のラムプよ
靑銅の鐘は絶えず悲哀と恐怖を告げてゆく

その傍で しぼんだ薔薇の叢で 私を取圍く失心
ゆるやかな樹魂の呟く神秘を心地よく耳にしながら

告白と悔懺と祈祷と 石と水と火と
それら無言の囁 神のやうに惡魔に似て

漂泊に疲れし肉よ 巡禮に倦みし心よ
私は瞶める 永遠に閉ぢられて開くことのない窓を

楠田一郎
「楠田一郎詩集」所収
1938

群集の中を求めて歩く

私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居るのをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ。
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ。
ああ 春の日のたそがれどき
都會の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのは樂しいことだ。
みよ この群集のながれてゆくありさまを
浪は浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり、日影はゆるぎつつひろがりすすむ。
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと、みなそこの日影に消えてあとかたもない。
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましい。
いま春の日のたそがれどき
群集の列は建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれて行かうとするのだらう。
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影。
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい
もまれて行きたい。

萩原朔太郎
「定本青猫」所収
1934

燈台

      一

そらのふかさをのぞいてはいけない。
そらのふかさには、
神さまたちがめじろおししてゐる。

飴のやうなエーテルにただよふ、
天使の腋毛。
鷹のぬけ毛。

青銅の灼けるやうな凄じい神さまたちのはだのにほひ。秤。

そらのふかさをみつめてはいけない。
その眼はひかりでやきつぶされる。

そらのふかさからおりてくるものは、永劫にわたる権力だ。

そらにさからふものへの
刑罰だ。

信心ふかいたましひだけがのぼる
そらのまんなかにつつたつた。
いつぽんのしろい蝋燭。
――燈台。

      二

それこそは天の燈守。海のみちしるべ。
(こころのまづしいものは、福なるかな。)
包茎。
禿頭のソクラテス。
薔薇の花のにほひを焚きこめる朝燉の、燈台の白堊にそうて辷りながら、おいらはそのまはりを一巡りする。めやにだらけなこの眼が、はるばるといただきをながめる。

神……三位一体。愛。不滅の真理。それら至上のことばの苗床。ながれる瑠璃のなかの、一滴の乳。

神さまたちの咳や、いきぎれが手にとるやうにきこえるふかさで、
燈台はたゞよひ、

燈台は、耳のやうにそよぐ

      三

こころをうつす明鏡だといふそらをかつては、忌みおそれ、
――神はゐない。
と、おろかにも放言した。
それだのにいまこの身辺の、神のいましめのきびしいことはどうだ。 うまれおちるといふことは、まづ、このからだを神にうられたことだつた。 おいらたちのいのちは、神の富であり、犠とならば、すゝみたつてこのいのちをすてねばならないのだ。
……………………。
……………………。

つぶて、翼、唾、弾丸、なにもとどかぬたかみで、安閑として、
神は下界をみおろしてゐる。
かなしみ、憎み、天のくらやみを指して、おいらは叫んだ。
――それだ。そいつだ。そいつを曳づりおろすんだ。

だが、おいらたち、おもひあがつた神の冒涜者、自由を求めるもののうへに、たちまち、冥罰はくだつた。
雷鳴。
いや、いや、それは、
燈台の鼻つ先でぶんぶんまはる
ひつつこい蝿ども。
威嚇するやうに雁行し、
つめたい歯をむきだしてひるがへる

一つ
一つ
神託をのせた
五台の水上爆撃機。

金子光晴
」所収
1935

パン

パンをつれて、愛犬のパンザをつれて
私は曇り日の海へ行く

パン、脚の短い私のサンチョパンザよ
どうしたんだ、どうしてそんなに嚏をするんだ

パン、これが海だ
海がお前に楽しいか、それとも情けないのか

パン、海と私とは肖てゐるか
肖てゐると思ふなら、もう一度嚏をしてみろ

パンはあちらへ行つた、そして首をふつて嚏をした
木立の中の扶養院から、ラディオの喘息持ちのお談議が聞える

私は崖に立つて、候兵のやうにぼんやりしてゐた
海、古い小さな海よ、人はお前に身を投げる、私はお前を眺めてゐる

追憶は帰つてくるか、雲と雲との間から
恐らくは万事休矣、かうして歌も種切れだ

汽船が滑つてゆく、汽船が流れてゆく
艫を見せて、それは私の帽子のやうだ

私は帽子をま深にする
さあ帰らう、パン

私のサンチョパンザよ、お前のその短い脚で、もつと貴族的に歩くのだ
さうだ首をあげて、さう尻尾もあげて

あわてものの蟹が、運河の水門から滑つて落ちた
その水音が気に入つた、――腹をたてるな、パン、あれが批評だよ

三好達治
測量船」所収
1930

妖精の距離

うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった

脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた

麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
欲望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた

それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた

詩は形を持たぬ
という頑なな認識があり、私を捉えてはなさない。
書いているときの
ペンや鉛筆が紙を擦っているが、
これはこれで別の何かの仕事なのか?

言葉は処えらばず
遣って来て、掠めて去る。
私はおんなの名を呼びたいと思うとき
のように、その名を探している。

瀧口修造
「妖精の距離」所収
1937

汽車 一

だれが人の足を踏みたいか
だがおれたちはぎりぎりと踏んだ
靴と薄歯とで
はつとするほどほかの足を踏んだ
そしてきんきん踏まれた
おれたちのからだが人波にもまれて失われそうだつた

おれたちはおれたちのからだを人波のなかからもぎ取らねばならなかつた
おれたちは手荷物にしがみついた
おれたちは切符を握りつぶした
子供の泣き声がおれたちの股の下から叫んだ
女の頭がおれたちの鼻さきでばさばさになった
だれが人の足を踏みたいか
だがおれたちはむちやむちやに踏んだ
踏んでも下が見られなかつた
顔をねじむけることができなかつた
おれたちはからだを浮きあがらせたかつた
おれたちは浮きあがらなかつた
地面にすきまがなかつた
無数の足がくつついていた
おれたちはぎりぎりと踏んだ
いつでもぎりぎりと

中野重治
中野重治詩集」所収
1935

林中乱思

火を燃したり
風のあひだにきれぎれ考へたりしてゐても
さっぱりじぶんのやうでない
塩汁をいくら呑んでも
やっぱりからだはがたがた云ふ
白菜をまいて
金もうけの方はどうですかなどと云ってゐた
普藤なんぞをつれて来て
この塩汁をぶっかけてやりたい
誰がのろのろ農学校の教師などして
一人前の仕事をしたと云はれるか
それがつらいと云ふのなら
ぜんたいじぶんが低能なのだ
ところが怒って見たものの
何とこの焔の美しさ
柏の枝と杉と
まぜて燃すので
こんなに赤のあらゆる phase を示し
もっともやはらかな曲線を
次々須臾に描くのだ
それにうしろのかまどの壁で
煤かなにかゞ
星よりひかって明滅する
むしろこっちを
東京中の
知人にみんな見せてやって
大いに羨ませたいと思ふ
じぶんはいちばん条件が悪いのに
いちばん立派なことをすると
さう考へてゐたいためだ
要約すれば
これも結局 distinction の慾望の
その一態にほかならない
林はもうくらく
雲もぼんやり黄いろにひかって
風のたんびに
栗や何かの葉も降れば
萱の葉っぱもざらざら云ふ
もう火を消してしまはう
汗を出したあとはどうしてもあぶない
 
宮沢賢治
「春と修羅」補遺所収
1933

その手は菓子である

そのじつにかはゆらしい むつくりとした工合はどうだ
そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ
指なんかはまことにほつそりとしてしながよく
まるでちひさな青い魚類のやうで
やさしくそよそよとうごいてゐる樣子はたまらない。
ああ その手の上に接吻がしたい。
そつくりと口にあてて喰べてしまひたい
なんといふすつきりとした指先のまるみだらう
指と指との間に咲く このふしぎなる花の風情はどうだ
その匂ひは麝香のやうで 薄く汗ばんだ桃の花のやうにみえる。
かくばかりも麗はしくみがきあげた女性の指
すつぽりとしたまつ白のほそながい指
ぴあのの鍵盤をたたく指
針をもて絹をぬふ仕事の指
愛をもとめる肩によりそひながら
わけても感じやすい皮膚のうへに
かるく爪先をふれ
かるく爪でひつかき
かるくしつかりと、押へつけるやうにする指のはたらき
そのぶるぶると身ぶるひをする愛のよろこび はげしく狡猾にくすぐる指
おすましで意地惡のひとさし指
卑怯で快活な小ゆびのいたづら
親指の肥え太つたうつくしさと その暴虐なる野蠻性
ああ そのすべすべと磨きあげたいつぽんの指をおしいただき
すつぽりと口にふくんでしやぶつてゐたい。いつまでたつてもしやぶつてゐたい。
その手の甲はわつぷるのふくらみで
その手の指は氷砂糖のつめたい食慾
ああ この食慾
子供のやうに意地のきたない無恥の食慾。

萩原朔太郎
定本青猫」所収
1934