群集の中を求めて歩く

私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居るのをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ。
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ。
ああ 春の日のたそがれどき
都會の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのは樂しいことだ。
みよ この群集のながれてゆくありさまを
浪は浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり、日影はゆるぎつつひろがりすすむ。
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと、みなそこの日影に消えてあとかたもない。
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましい。
いま春の日のたそがれどき
群集の列は建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれて行かうとするのだらう。
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな地上の日影。
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい
もまれて行きたい。

萩原朔太郎
「定本青猫」所収
1934

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