林中乱思

火を燃したり
風のあひだにきれぎれ考へたりしてゐても
さっぱりじぶんのやうでない
塩汁をいくら呑んでも
やっぱりからだはがたがた云ふ
白菜をまいて
金もうけの方はどうですかなどと云ってゐた
普藤なんぞをつれて来て
この塩汁をぶっかけてやりたい
誰がのろのろ農学校の教師などして
一人前の仕事をしたと云はれるか
それがつらいと云ふのなら
ぜんたいじぶんが低能なのだ
ところが怒って見たものの
何とこの焔の美しさ
柏の枝と杉と
まぜて燃すので
こんなに赤のあらゆる phase を示し
もっともやはらかな曲線を
次々須臾に描くのだ
それにうしろのかまどの壁で
煤かなにかゞ
星よりひかって明滅する
むしろこっちを
東京中の
知人にみんな見せてやって
大いに羨ませたいと思ふ
じぶんはいちばん条件が悪いのに
いちばん立派なことをすると
さう考へてゐたいためだ
要約すれば
これも結局 distinction の慾望の
その一態にほかならない
林はもうくらく
雲もぼんやり黄いろにひかって
風のたんびに
栗や何かの葉も降れば
萱の葉っぱもざらざら云ふ
もう火を消してしまはう
汗を出したあとはどうしてもあぶない
 
宮沢賢治
「春と修羅」補遺所収
1933

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