Category archives: 1970 ― 1979

解決

古ぼけて煤けた駅であった その窓硝子も煤けていた よく駅夫が熱心に拭っていたが すぐもとにもどっていた ある夜のこと その一枚が 戸外の闇までつやつや見える位美しくすき透っているのを見た 近づくと硝子は割れてはづれていたのだった 煤けた彼が 何年かねがい 努め 悩んだものが そのようにして解決されていた 戸外の闇から凍った冬の夜風が吹きこんでいた

杉山平一
ぜぴゅろす」所収
1977

不具

たったひとつのことばを言へないために
こんなにも もどかしいのだ
ゆるさないのは わたしか 誰か
たったいっぴきの 目に見えないものの不在が
不当にも 愛を染め分けて
わたしの贈り物はいつも貧しい けれど

ひとりを ふるへながら壊しもしないで
失はれたものたちを どのやうに愛せるのか

わたしは坂道をかけ下りて
ビニールに梱包された死体を揺さぶる
老女よ 母でない母よ
塩鮭のやうに硬直し雪に埋まって
あなただけが知ってゐた
沈黙 こそがゆるしだったのに
そして嬰児よ
つひに孕まれなかったわたしたちのことばよ
塩鮭のやうに硬直し雪に埋まって──
たった一滴の涙を流せないために
夢のなかでさへ 唇をかむのだ

吉原幸子
「夢 あるひは・・・」所収
1976

祈り

わたしを解き放ってください
わたしは ステインドグラスの影にそまった
床のうえの 小さなしみをみつめているのです

愛がこわい やさしさがこわい
かみつぶす思いの悔いがこわい
わたしをいのちに誘わないでください
わたしはどこへも行かない 笑わない
ここに このじっとしたひとりの場所に
わたしを解き放ってください

わたしの肩に手を置かないで
ふりむかせないで
わたしの見つめている小さなしみを
親切な 大きな掌で
ふいてしまわないでください

吉原幸子
「魚たち・犬たち・少女たち」所収
1975

雨ですこっそり降ってます

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 あまえる鼻声 つばめの子
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 まいまいつぶろの ひとりごと
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 おはぐろとんぼの ためいきか
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 ひる寝のみの虫 その寝息
 それより それより しずかです

サトウハチロー
サトウハチロー童謡集」所収
1973

 死んでしまったひとがいっぱいいる町にすんでいると ちいさな女の子までときに妖しくみえてくることがある そんなのがせなかにのってあんましてくれたりしている

岡安恒武
「湿原 岡安恒武詩集」所収
1971

タンポポ

わたしのタンポポは
とおいとおい
ひとかたまりの
「昔」のなかから咲く
いつのこととも
なにのこととも
もう皆目くべつできない
ただなにかしら甘ずっぱい
とろとろとなまあたたかい
「昔」のなかから咲く
少しずつ
だが着実に去っていく
わたしのなかの「昔」を
ひきとめようとするように
それはいつも あどけなく輝いて
それは永遠の子どものなりをして
とおいとおい
ひとかたまりの
もどかしいなつかしさとわびしさに
つつまれた「昔」のなかから
わたしのタンポポは
今年も咲いた

征矢泰子
「砂時計」所収
1976

石卵

小さい謎の卵を
わたしはこの草むらに隠す、
わたしは雪白の翼をひろげて
二度と戻らぬ蒼穹(おほぞら)へ往かう。

わたしの父も、おそらく
奇異な鵠であつたのであらう、
相模の農家に生まれた彼は
醜い家鴨であつたのかも知れない。

孵化し得ると信じてゐた、
昨日までは、固く、  
だが苦しみぬいたあげく、
朝の光で、これは石卵であつたのだ、

姉は薔薇を抱いて逝つた、
義弟は黒苺を啖つて死んだ、
わたしは廃屋の屋根裏で
ずゐぶん永くこの卵を抱いて歌つてゐた。

いよいよ、この卵を置きざりにして
空へ飛ぶわたしの姿を見ろ、
星の光が冴え、野菊が匂ふころ、
鵠は飛ぶぞ、流行歌ながれる巷のうへを、高く、遠く。

西條八十
西條八十詩集」所収
1970

ラヴレター

何の言葉も書かれていない。
宛名と差出人の名と消印、
ただそれだけだ。

異国の街からの一枚の絵ハガキ。
木立の中の朝の光り、
尖塔と走る犬。

あとは何も書かれていない。
ただ沈黙だけが
そこにくっきりと書かれている。

他の誰れも書くことができない
言葉にならない言葉、それは
きみしか読むことができない。

長田弘
メランコリックな怪物」所収
1973

修辞的鋳掛屋

わが団地村を訪れる鋳掛屋の口上。
「コウモリガサノ
ホネノオレタシュウリ。
ドビンノ
トウヅルマキノユルンダシュウリ。
ナベカマノ
アナノアイタシュウリ。
なんでもお申しつけください」

マイクを口に押し当てて
日曜ごとの時間。
語順がおかしいので
私は日曜ごとに訂正する。

「鍋釜の穴のあいた修理」を
「穴のあいた鍋釜の修理」に。
もしくは「穴のあいた鍋釜の、修理」に。

しかし
語順訂正にも拘わらず
「穴のあいた修理」の残像呪縛は強い。
余儀なく「てにをは」を変え
「穴のあいた鍋釜を修理」とする。

何度目の来訪だったろう。
私は鍋に穴をあけ
鋳掛屋の鼻先へ突き出した。
「穴のあいた修理」を頼む――。

夕方、穴はきれいにふさがれて
鍋は戻ってきた。
「いらだっておいでのようですが――」
と鋳掛屋は微笑した。
「私は、夜毎、睡眠中のあなたを訪れていますが、ご存知ないでしょう。
夜いっぱいかかって、人々の傷をふさぎ、朝、立ち去るのですが、私
の手で傷が癒されたと思う人は、先ず、いないようです。
それが傷というものでしょう。
ですから、正確に〈穴のあいた修理〉としか、言いようがないのです」

吉野弘
感傷旅行」所収
1971

椅子

無人であることを絶対の
前提とすることで
部屋ははじめてひとつの意志に
めざめることができる
椅子を引き倒し
扉を押しあけたものの
最後の気配に
耳をすませたのち きみは
椅子がみずからの意志で
ゆっくりと起き直り
無人の食卓へ向うさまを
ひっそりとおもい
えがけばいいのだ

石原吉郎
北條」所収
1975