修辞的鋳掛屋

わが団地村を訪れる鋳掛屋の口上。
「コウモリガサノ
ホネノオレタシュウリ。
ドビンノ
トウヅルマキノユルンダシュウリ。
ナベカマノ
アナノアイタシュウリ。
なんでもお申しつけください」

マイクを口に押し当てて
日曜ごとの時間。
語順がおかしいので
私は日曜ごとに訂正する。

「鍋釜の穴のあいた修理」を
「穴のあいた鍋釜の修理」に。
もしくは「穴のあいた鍋釜の、修理」に。

しかし
語順訂正にも拘わらず
「穴のあいた修理」の残像呪縛は強い。
余儀なく「てにをは」を変え
「穴のあいた鍋釜を修理」とする。

何度目の来訪だったろう。
私は鍋に穴をあけ
鋳掛屋の鼻先へ突き出した。
「穴のあいた修理」を頼む――。

夕方、穴はきれいにふさがれて
鍋は戻ってきた。
「いらだっておいでのようですが――」
と鋳掛屋は微笑した。
「私は、夜毎、睡眠中のあなたを訪れていますが、ご存知ないでしょう。
夜いっぱいかかって、人々の傷をふさぎ、朝、立ち去るのですが、私
の手で傷が癒されたと思う人は、先ず、いないようです。
それが傷というものでしょう。
ですから、正確に〈穴のあいた修理〉としか、言いようがないのです」

吉野弘
感傷旅行」所収
1971

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