小さい謎の卵を
わたしはこの草むらに隠す、
わたしは雪白の翼をひろげて
二度と戻らぬ蒼穹(おほぞら)へ往かう。
わたしの父も、おそらく
奇異な鵠であつたのであらう、
相模の農家に生まれた彼は
醜い家鴨であつたのかも知れない。
孵化し得ると信じてゐた、
昨日までは、固く、
だが苦しみぬいたあげく、
朝の光で、これは石卵であつたのだ、
姉は薔薇を抱いて逝つた、
義弟は黒苺を啖つて死んだ、
わたしは廃屋の屋根裏で
ずゐぶん永くこの卵を抱いて歌つてゐた。
いよいよ、この卵を置きざりにして
空へ飛ぶわたしの姿を見ろ、
星の光が冴え、野菊が匂ふころ、
鵠は飛ぶぞ、流行歌ながれる巷のうへを、高く、遠く。
西條八十
「西條八十詩集」所収
1970