たくさんの屋根から
自分の屋根をみつけるのは
飛んでいるものたちにとっては
容易なことらしかった
いま母親の魂が夜の空を
自在に飛んできて
自分の屋根を探しはじめた
自分の屋根は高い屋根と
高い屋根とにはさまれた
低い屋根であったが
またたくまに母親は
自分の屋根をみつけて
まっしぐらにおりてきた
屋根にはなんのしるしもなく
雨樋に紙飛行機が
ひっかかっているだけだ
広部英一
「邂逅」所収
1977
たくさんの屋根から
自分の屋根をみつけるのは
飛んでいるものたちにとっては
容易なことらしかった
いま母親の魂が夜の空を
自在に飛んできて
自分の屋根を探しはじめた
自分の屋根は高い屋根と
高い屋根とにはさまれた
低い屋根であったが
またたくまに母親は
自分の屋根をみつけて
まっしぐらにおりてきた
屋根にはなんのしるしもなく
雨樋に紙飛行機が
ひっかかっているだけだ
広部英一
「邂逅」所収
1977
きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない
材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい
田村隆一
「新年の手紙」所収
1973
つたえてよ
風も雲もつたえてよ
女が ひとりここにいたと
歴史の風に吹かれていたと
吹かれ吹かれて 消えていったと
影ものこさず 匂いものこさず
一りんの薔薇よりも みじかくちいさく
生まれたことの おそろしさと
生きることの酷薄にも 細い首をもちあげて
うなだれることなく生き抜いたと
生きるにかなうひとつのことばを
空の太陽にかけようとして
投げつづけることのたたかいと
たぐりつづけることのたたかいに
飢え 渇き 飽くこともなく焼かれつづけて
ぼろぼろになって死んでいったと
洞窟のなかには
鍋も お釜も
髪の毛ひとすじも
なかった と
福中都生子
「やさしい恋歌」所収
1971
「ドイツからの手紙」という詩集がつくりたいんだ それから
「アフリカのソネット」
五十歳になったら着手したいね だから
ドイツとアフリカに行かなくちゃ
ドイツには森を見に行く
アフリカには動物の足音を聞きに行く
人間の言葉を聞く必要がないんだから
ぼくは語学の勉強なんかしないよ
言葉以外のものを聞くために耳を訓練せよ
黒い土からはえて黒い土にかえって行くものを見るために
眼を訓練せよ
そして舌は
土でできている言語
土でできている人間を愛撫するために
田村隆一
「新年の手紙」所収
1973
生涯を終るにあたり、きみはちょっとした実験をこころみた。つまり わらったのだ。いちはやく私は読みとった。その瞬間に 監視するものと されるものの位置がすばやくいれかわったのを。死が私を解放するまで 私はきみに監視されつづけた。死に行くものの奪権。それはしずかに しかしきわめて苛酷に行なわれた。きみの死が完全に終ったとき はじめて私は立ちあがった。いまは物でしかないきみをはなれるために。私はもう一度監視者となった。そのときはじめて知ったのだ。きみはあの時から すでに物として私を見ていたのだと。死者が見た生者も おなじく物でしかなかったのだと。
立ちあがった私の目の前に ちいさな窓がひとつだけあった。
石原吉郎
「北條」所収
1975
ドアを叩いた、
返事がなかった。
ドアを叩いた、
開かなかった。
ドアを叩いた、
窓がはずれた。
ドアを叩いた、
壁が崩れた。
ドアを叩いた、
屋根が墜ちた。
ドアを叩いた、
叩いた、叩いた。
空地のまんなか、
家のないドアが一つ。
ドアのまえに一人の男、
拳のさきに一つのドア。
長田弘
「言葉殺人事件」所収
1977