Category archives: 1970 ― 1979

紙飛行機

たくさんの屋根から
自分の屋根をみつけるのは
飛んでいるものたちにとっては
容易なことらしかった
いま母親の魂が夜の空を
自在に飛んできて
自分の屋根を探しはじめた
自分の屋根は高い屋根と
高い屋根とにはさまれた
低い屋根であったが
またたくまに母親は
自分の屋根をみつけて
まっしぐらにおりてきた
屋根にはなんのしるしもなく
雨樋に紙飛行機が
ひっかかっているだけだ

広部英一
「邂逅」所収
1977

新年の手紙(1)

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

田村隆一
「新年の手紙」所収
1973

友だちを送りに
久しぶりであの火葬場に行った。

いまから四十年前
私の四歳の妹も同じ鑵で焼かれた。

その時も
庭にあの木が立っていた。
木には目がついていないのだろうか。
それとも目をつむっているだけなのだろうか。

それなら目をさましたとき
びっくりするだろう。
とんだことをした
わたしは重大なことを見すごしてきたと。

古い木だなあ、とおもった
こんど行ってみて。

いろんな人の死に
立ち会った木である。

このでくのぼうめ
お前は私のようだ
死の意味を知らずに突っ立っている。

木がつぶやいた
たぶん、ね
お前がはこばれてきたら目をあけるよ。

石垣りん
略歴」所収
1979

風葬

つたえてよ
風も雲もつたえてよ
女が ひとりここにいたと
歴史の風に吹かれていたと
吹かれ吹かれて 消えていったと
影ものこさず 匂いものこさず
一りんの薔薇よりも みじかくちいさく
生まれたことの おそろしさと
生きることの酷薄にも 細い首をもちあげて
うなだれることなく生き抜いたと
生きるにかなうひとつのことばを
空の太陽にかけようとして
投げつづけることのたたかいと
たぐりつづけることのたたかいに
飢え 渇き 飽くこともなく焼かれつづけて
ぼろぼろになって死んでいったと
洞窟のなかには
鍋も お釜も
髪の毛ひとすじも
なかった と

福中都生子
「やさしい恋歌」所収
1971

詩の計画

「ドイツからの手紙」という詩集がつくりたいんだ それから
「アフリカのソネット」
五十歳になったら着手したいね だから
ドイツとアフリカに行かなくちゃ
ドイツには森を見に行く
アフリカには動物の足音を聞きに行く
人間の言葉を聞く必要がないんだから
ぼくは語学の勉強なんかしないよ

言葉以外のものを聞くために耳を訓練せよ
黒い土からはえて黒い土にかえって行くものを見るために
眼を訓練せよ
そして舌は
土でできている言語
土でできている人間を愛撫するために

田村隆一
「新年の手紙」所収
1973

はなのふじ

まひるまにゆめのように咲くはなのかぎりを出て
出てゆくあなたに肩をならべてあるきながら
わたしのあしはゆめを踏んで
ゆめを出るうつつを踏んで
わらうあなたがはなにみえるゆめのまひる。
ふじのはなが
その名のふじが
わたしをからめたふじのいろを咲いているのを知りもせずに。
はなの岸にあるいていって
名のないあなたに溶けるときに
はなのまひるに咲いていたのを知りもせずに。

三井葉子
まいまい」所収
1972

沈黙は詩へわたす
橋のながさだ
そののちしばらくの
あゆみがある
それはとどまる
ふりかえる距離が
ふたつの端を
かさねあわせた
夜目にもあやな
跳ね橋の重さなのだ

石原吉郎
水準原点」所収
1972

私の屋敷には秋の終り頃はぐれて一羽
柿の木のてっぺんに止まって残り実をつつく
小鳥がいる
子供たちがその小鳥に石を投げつけようとすると必ず「しっつ!」と
私の中で強く止めるものがある
妻となり 主婦となり 母となって 幾年
知らず知らず私は妻らしく母らしく主婦らしくなり
二十代 三十代 四十代と
着物も動作も髪型も変っていった
だのにこの変化についてこない
いつまでも私の中に
おきざりにされたままの少女がいる
人前にもどこへも顔を出すことの出来ないこの少女は
いつもこの屋敷の柿の木のてっぺんの
いずれの梢かに止まって飛び去らない

堀内幸枝
不意の翳」所収
1974

 生涯を終るにあたり、きみはちょっとした実験をこころみた。つまり わらったのだ。いちはやく私は読みとった。その瞬間に 監視するものと されるものの位置がすばやくいれかわったのを。死が私を解放するまで 私はきみに監視されつづけた。死に行くものの奪権。それはしずかに しかしきわめて苛酷に行なわれた。きみの死が完全に終ったとき はじめて私は立ちあがった。いまは物でしかないきみをはなれるために。私はもう一度監視者となった。そのときはじめて知ったのだ。きみはあの時から すでに物として私を見ていたのだと。死者が見た生者も おなじく物でしかなかったのだと。
 立ちあがった私の目の前に ちいさな窓がひとつだけあった。

石原吉郎
北條」所収
1975

スラップスティック・バラード

ドアを叩いた、
返事がなかった。

ドアを叩いた、
開かなかった。

ドアを叩いた、
窓がはずれた。

ドアを叩いた、
壁が崩れた。

ドアを叩いた、
屋根が墜ちた。

ドアを叩いた、
叩いた、叩いた。

空地のまんなか、
家のないドアが一つ。

ドアのまえに一人の男、
拳のさきに一つのドア。

長田弘
言葉殺人事件」所収
1977